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特別寄稿|私のフランス、私の音|Sushiと緑の瞳|金子陽子

Sushiと緑の瞳
Sushi et les yeux verts

Text by 金子陽子(Yoko Kaneko)

日本で生まれた寿司は「Sushi」となり、アニメーション、映画、ゲームと共に正に世界中を魅了してしまった。数え切れない程の国で、大都市の街角の至る所で、質の差はあれ「Sushi」と呼ばれる製品が手に入る程に世界の人々の食生活に浸透したのだ。

フランスは日本と肩を並べるグルメの国であるが、規模が世界一というランジス生鮮食料品マーケットを膝元に構えるパリは、最高級の魚介類を始め豊富な食材にとりわけ恵まれている地だ。信頼できる魚屋を見つけ、お米をきちんと炊き、湿気ていない海苔が手に入るなら、誰もが我が家のごとく気軽に手巻き寿司パーティを開催できる。

「Sushi」が流行するにつれ、怪しげなレシピやその外見だけでなく、作られ方、味、盛りつけ方から食べ方までが、日本人としての私のアイデンティティと同様に意識されて重要さを増し、寿司の世界制覇を喜びつつも気難しくなっている自分に気づく。
例えば、こちらでお目にかかる寿司に関して私達がこだわり、譲れない境界線や伝統として、食材の種類(日本の丸いお米、ワインビネガーでなく米酢)は勿論のこと、刺身の切り方、その厚さ(厚すぎても薄すぎてもおかしい)、盛りつけ方(直角直線ではなく少々斜めに)、箸の置き方(箸を交差したり、対が離れて置かれた写真を見ると辟易してしまう)が挙げられ、無意識にとても沢山の項目をチェックしている。プロか素人か、日本人が調理したものか、日本文化を知らない者による真似か、お店の外装や名前メニューを一見しただけでも即座に解る。食文化は言語と同じように、いや、もしかしてそれ以上に民族の歴史、人々の生活に密接しているため、流暢に言語をこなしても持ち続ける発音やイントネーションの違いがネイティブに露呈してしまうのと似た状況かもしれない。

元祖の日本においては、地方によって、寿司、鮨、と地方ごとに多様な異なった歴史、伝統があるのは勿論だ。今日、贅沢な会食としての寿司が一般的な日本人の生活と密接に結びついているなら、獲り立ての抜群なネタの数々を漁師さんのような気分で口いっぱいに頬張れるような穴場で頂くお寿司も素晴らしい。私自身の体験としては、北九州で公演した折に、地元のタクシーの運転手さんが教えてくれた、港近くの行きつけの寿司屋、幼少時に馴染んだ築地の卸売り市場の『プロ』が出入りする寿司屋の活気が鮮明に記憶に残っている。近年では演奏会で何度も滞在した武蔵野市に素晴らしいおしどり夫婦が永年続けていられる極上のお店にご縁を頂き、来日した共演者や家族共々美食の真髄を極める体験を重ねた。

寿司の世界流行のまだはしりだった1990年代、ベルギーの現代バレエ団との公演で冬のスエーデン、ストックホルムとマルメに10日程滞在したことがある。ストックホルムでは中心部にあった寿司屋にワクワクしながら通い、最南端の街マルメでは、スエーデン人と結婚した小柄で優しい日本女性が経営する素敵な日本レストランをみつけた。難しいバッハソロリサイタルとダンサーとの共演で連日緊張していた私の心身を、美味しいお寿司と懐かしい日本語が温めてくれた。スカンジナビアといえばサーモン、実際にこの地の寿司屋のネタはサーモンと海老が主体で、それ以外のネタが入ると断然値段が張っていた。フランスではクリスマスと新年に欠かせないご馳走サーモンは、この地ではありふれた食品であり「戦争中は食料が不足してねえ、サーモンくらいしかなかったんだ」という地元の人の話に、私は生唾を飲み込みながら、サーモンにうんざりするという(羨ましい)贅沢をこっそり想像してみたものだ。
8年前に再訪したストックホルムでは、太陽が昇らない季節でも暖かい屋内マルシェ内の屋台の寿司屋を見つけた。タイから移住してきたという愛らしい女性が独りで切り盛りしてなかなか繁盛している様子で、ネタのバラエティも時代を反映したのか格段に増えていた。早速注文した鯛のにぎりも入ったメニュー、淡い桜色の鯛の刺身上に、朱色の液体が点々と飾られていた。唐辛子ソースだった。スパイシーな料理を世界に誇る国で育った彼女は、鯛の淡白な身には唐辛子ソースが合っていると直感したらしい。内心驚いたが、なるほど、人々の自由な発想を受け入れて、お寿司も世界に発展をするのだ、と思い直したものだ。

日本発の寿司を新たにクリエートしようという開き直った動きは日本以外にルーツを持つ若い世代を中心に今日至る所で見られる。アメリカ、カリフォルニア発のツナとアボカドは勿論、チーズやフォアグラ、チョコレートクリームまで入れた Sushi と称されている海苔巻きもパリの若者達は楽しむと耳にするから驚きだ。そこで思わず眉をしかめる私のような者と、別にそれはそれで面白いではないか、と寛容な反応をする世代。人それぞれの感性や世界観の違いを垣間見ることもまた興味深い。

最近では、フランス空軍で研修中だった長女が、中近東のイエメンの対岸でアフリカ大陸にあるジブチ共和国に飛び、その地のレストランの豪華な寿司メニューの写真を興奮の体で送ってきた。この折に知ったのだが、ジブチは日本の陸上自衛隊の唯一の国外拠点があるとのこと。 本格的なお寿司が提供されているのは間違いなく日本との活発な往来に由来しているのだろう。長女はちなみに「らくだの肉入りの焼きうどん」をそのお店で初体験したという。パリで帰りを待つ私の驚きは最高潮に達した。

このような日本文化の発展と拡散は、西欧人がしばしば不思議に思うという、(西欧発)クラシック音楽がアジアで盛んに演奏され発展している現象と、外国人である私達の解釈や演奏との関係、スタイルや伝統が理解され(又は誤解され)時代を超えて発展していく過程とも、実は多大な共通点があるようだ。

緑の瞳

大昔は大陸と陸続き、後に島国として発展してきた日本では「日本人は単一民族」「眼や髪の色は皆同じ」という信仰に近い前提があったと私は感じてきた。一方欧米では、ルーツ、眼や髪、肌の色まで全てが想像を絶する位バラエティに富み、眼の色についてはとりわけ家族や友達の間で話題となる。
長女は紺色の瞳を持って生まれ、その後比較的早くに瞳は私と同じ茶色となった。反対に次女はというと、生後何ヶ月もの間父親譲り、いやもっと美しい鮮やかな青色の瞳を保っていた。乳幼児の眼の色が誕生後に変化していくのは欧米では知られたこと、更に両親の眼の色が異なる場合、青より茶色の眼の遺伝子が優性で、生まれた時は青でもほぼ茶色に変化する、とメンデルの遺伝法則(顕性又は優性遺伝)に沿った科学的な事実として知られている。私からの茶色の遺伝子を当然持つため、次女の瞳は青の時代を経て次第にグレーがかった緑に、そしてカーキ色となり、緑の面影を残す明るい茶色へと変化して落ち着いた。(目の色は外界の光線の色彩にも微妙に左右されるから神秘的でもある)
彼女の瞳が緑だった0歳の後半に、一家で日本に飛び、遠方の病院で療養していた母方の祖母に会いに行った。広島出身の祖母は、目の彫りが深く日本人離れした顔立ちとかねがね称されていた。脳梗塞で寝たきりで、話も出来なくなっていた祖母とひ孫の最初で最後となった対面で驚いたのは、2人の瞳はなんと同じ緑色だったことだ。「先祖にハーフがおったらしいんよ」という昔の祖母の広島弁が私の脳裏に蘇った。

今年(2022年)に入ってから、私は東京で健在の叔父と叔母に国際電話をかけた。祖母の眼の色の話と共に、亡き母のピアノの先生の話も一緒に確認したかったのだ。
私の母は長女として生まれ育った(日本の植民地だった)上海で、ロシア人のラザロフというピアノの先生に師事したと言っていた。何でもリストの弟子の弟子だったと。叔母によると、ロシア革命を逃れてかなりのロシア人が中国に移住しており、中学生だった母は、1人で路面電車に乗ってレッスンに通っていた、と叔母は電話口ではっきりとした口調で教えてくれた。そして祖母の眼の色の話題になると、これもはっきりと、更に2世代前辺りにハーフがいて、祖母の顔立ちや眼の色が日本人離れしていたのは叔母にとっても既知の事実だったとのことだった。
いわゆる典型的な日本人とか思っていた自分の家系が、外国と大いに接点があったというのはちょっとした発見であった。

目覚ましい科学の進歩により、昨今では自分の祖先のルーツを知るために (フランスを含めて国によっては法律で国内での検査が禁止されているが) 遺伝子DNA 検査ができるようになった。検査の目的と結果によっては、それまでの価値観が覆される場合もあると言う。すでにこの検査をしたという(国際色豊かな)知人の話を参考にして、私は自分の持つDNAのルーツのみを知るべく、ヨーロッパの専門機関に申し込んで自分の唾液のサンプルを送ってみた。(プライバシーの心配がないよう、一番シンプルな検査を選んだ)
DNA 解析の結果が出るまでに、理由は解らないがかなり長い時間がかかった。待ちに待った私のDNAルーツは、祖母が緑の瞳を持っていたことを裏付ける内容だった。私は9割が日本人, 残りの1割の中には中国か韓国,とそして中央アジア、そして ごく僅か(1.5%)北欧フィンランドに由来するDNAが含まれるということだった。(外国のDNAの割合は、1世代遡るごとに倍の比率になるらしい)
何世代も前に、フィンランドにルーツを持つ、恐らく青い眼と金髪の祖先が、何らかの事情があって、隣国のロシアや中央アジア(ちなみに、旧ソビエト連邦のカザフスタンという国には顔がアジア系で目が青い人が多い)、中国や韓国の人と出会いや婚姻を繰り返して日本に渡り、広島で子孫を残すという、時代と国々をまたがる大移動が繰り広げられていたのだ。フィンランドと一部の中央アジアの青い眼の遺伝子と、アジアの茶色い眼の遺伝子が混ざり、世代が下るごとに分割されていった結果、祖母の眼の色が、グレーがかった緑として落ち着いたのであろう。

緑の眼のヨーコ

コロナ禍のロックダウンが緩和された昨年のこと、アメリカとフランスの文化を持つバイリンガル一家を我が家の手巻き寿司ディナーにご招待することにした。それに先立って友人一家の息子からの質問が以下の通り。
「ああ、Sushiネ!  Sushi って要するにさあ、日本でも、手軽なファーストフードって訳でしょ?」

一瞬の沈黙の後に、私は穏やかに速やかに少年の説を修正した。新鮮な生魚をお刺身として頂く事は、日本でもフランスでも「贅沢」であり、大切な時のご馳走なのだという事を。
その傍らで、読書家の彼の妹が、幼い頃に愛読したという大好きな絵本を自分の本棚から探し出して、私に笑顔で見せてくれた。
表紙のイラストと題名を見た私は仰天した。

お寿司をお友達に届ける子猫のYOKO

“お寿司をお友達に届ける子猫のYOKO” これ、、瞳が緑色になった私の権化?
(因みに私のニックネームはファミリーネームに由来して「ネコさん」なのだ)

お寿司と私自身(YOKO)についてどのようなことが描かれているのか大いに気になった私は、早速絵本を手に取りページをめくった。この物語の中には実は、子猫のYOKOと「ママ猫」の他に、沢山の国をルーツとするクラスメートのお友達とその家庭料理が登場、子供に異文化の尊重と人間愛を教える、心温まる美しい本だった。
読みながら、私自身、娘達が通っていた小学校(パリの公立の現地校)の校長先生のアイデアで毎年開催されていた「世界の料理」パーティに、苦心しながらサーモン入りの太巻きを沢山作って参加したことを懐かしく暖かく思い出した。

食べ盛りの高校生達の栄養のバランスを考え、次女手作りの餃子、長女手作りの抹茶ケーキも添えた我が家の手巻き寿司ディナーを堪能した一家は、ファーストフードでない、皆でいただく「特別なご馳走」としてのお寿司に舌鼓を打ち、感激の様子だった。

お寿司と緑の瞳、そして音楽、一見無関係な事柄から、世界の国々の繋がりと広がり、フィンランドから広島にたどり着いた人間のエネルギーと行動力を、驚きと共に発見した。そのエネルギーの源、大移動のきっかけは何だったのだろう、戦争、生への飢え、愛、それとも芸術?
フィンランドの先祖もサーモンを沢山食べていただろうか、そして祖母と同じく音楽好きで歌を沢山歌っていたのだろうか?
限界のある自分の想像力を駆使しながら、文化の交流と発展 、DNA達の出会いと結合、更に、コロナ災禍が終息し、若い世代がこれから繰り広げることになる未来の大紀行に想いを馳せる今日この頃である。

2020年以来続けた「私のフランス・私の音」シリーズは今回にて幕を下ろすことにする。
書くことは音楽と同じく自分を内省し、自身を知り、人々との繋がりも深めてくれる。本当に貴重な体験を頂いたものだと思う。
最後までお読みくださった皆様に感謝すると共に、お世話になった編集、執筆陣の方々に深く御礼を申し上げたい。

(エピローグとして、2022年7月、8月号は『作曲家と演奏家の対話』の方にてシリーズをしめくくる予定である)

(2022/6/15)

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
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