ROSCO結成20周年 記念リサイタル|大河内文恵
ROSCO結成20周年 記念リサイタル
ROSCO 20th Anniversary Recital
2022年2月11日 東京オペラシティ リサイタルホール
2022/2/11 Tokyo Opera City Recital Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by #1, 3: 稲木紫織 / #2: 後藤天
<出演> →foreign language
ROSCO:
大須賀かおり(ピアノ)
甲斐史子(ヴァイオリン)
<プログラム>
一柳慧:シーンズ I
チャールズ・アイヴズ:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第2番
~休憩~
桑原ゆう:リリスの儀式
大胡恵:タッチの行方 G
北爪裕道:クロマティクス
夏田昌和:エレジー
~アンコール~
パラディス:シチリアーノ
4年に一度のオリンピック。東京オリンピックが1年後ろ倒しになったために、夏季オリンピックと冬季が半年の間隔でおこなわれるという事態になった。音楽から少し離れるがこの話をもう少し続ける。冬季オリンピックがおこなわれるシーズンの全日本フィギュアスケート選手権は毎回異様な雰囲気になる。オリンピック選考がかかっているからだ。
毎回テレビで見ながら「この現場にいることができたらどんなにいいだろう」と思ってきたが、今年は現地観戦ができた。オリンピック選考に焦点が当てられがちなTV中継と違って、現地では選手ひとりひとりに等しく時間が与えられる。よい演技や本人の努力の跡・達成感が見えた演技には惜しみない拍手が送られ、新たなヒーロー・ヒロインが生まれる場となる。そこに立ち会えることこそ、観戦料や長時間椅子の上に座り続けたことと引き換えに得られる貴重な宝だ。
現代音楽、とくに委嘱新曲が並ぶ演奏会には、同様の歓びがある。
ROSCOはヴァイオリンの甲斐とピアノの大須賀によるユニットである。結成は2001年8月、20年にわたり、多くの演奏会に出演し、また委嘱も含め多くの作品の初演をおこなってきた。
ヴァイオリンとピアノという、一見どこにでもありそうなユニットが独自性を持つのは、単に現代音楽の名手というだけでも、委嘱を積極的におこなう能動性だけでもないことが、演奏から感じられた。
彼らの本領が発揮されたのは、何といってもプログラム後半である。20周年ということもあり、豪華4本立ての委嘱初演。4つの作品は、プログラム印刷の時点では、桑原、北爪、大胡、夏田の順だったが、当日の挟み込みで桑原、大胡、北爪、夏田に変更された。
北爪は、ヴァイオリンとピアノの二重奏という編成で新曲を書くということがいかに困難であるかということを、プログラムノートの中で吐露している。「歴史的に無数のマスターピースが存在する編成で作曲する機会をいただき(中略)、楽器や編成の特性から『固有性』を見出し作曲の発想を得ていくことが多い私ですが、これはあまりにオーソドックスな編成(以下略)」と。
楽器や編成の特性からインスピレーションを得ることができないがために、作曲者の作曲技術や音楽的熟連度、あるいは作曲思考の深さといったものが露わになってしまう。それを4曲並べて聞ける状況は、聴き手にさまざまな発見をもたらした。
桑原の作品では、ヴァイオリンとピアノというシンプルな構成がもつ難しさを感じた。第31回芥川也寸志サントリー作曲賞を受賞した桑原は、作品コンセプトの立て方の絶妙さとそれを緻密に実現させる書法に特徴があり、昨年同賞の選考演奏会で聴いたときにはコンセプトのすべてを聴きとることはできなかったが、それを実現させる過程でできた音響に非常に魅力があった。
ヴァイオリンとピアノだけになると、オーケストラよりもコンセプトがよく聴きとれ、「第一の音楽」と「第二の音楽」とを行き来しつつ、「第三の音楽」と「第四の音楽」が出てきたときの高揚感は捨てがたいのだが、逆に聴きとれ過ぎてしまう。コンセプトそのものと同時に、それを実現させていく過程とが桑原作品では両輪となっており、ヴァイオリンとピアノのみでは、そのバランスがコンセプトの方に傾きすぎてしまうのではないかと思われた。
とはいえ、桑原のコンセプトは、到達点を直接示すのではなく、2次元の地図上に示されたチェックポイントを3次元で実現させていくようなところがあり、3次元になったときにどうなるか見えていないところが面白い。この面白さをまた体験したい。
大胡作品は、都節音階を使いつつも、それは断片的で、むしろ音楽の内実はアーティキュレーションにあるという不思議な音楽。全体の見取り図がある桑原作品と違い、少しずつ違うものが積み重なるけれども、どこまで進んだのか、そもそも今どこなのかさっぱりわからない。しかもこれだけ断片的な音楽なのに意外に長いことに途中で気づく。永遠にいつまでも続きそうなこの感覚は、ミニマル音楽に近い。最初からそれを知っていて聴いたら、また別の楽しみ方ができたかもしれないと考えると、もう一度聴いてみたいと思った。
3曲目は北爪《クロマティクス》。半音階をベースに「シンプルでティピカルな素材を用いて、いまの自分の作曲技術と感性のバランス(?)を測って」(プログラムノートより)作られたというこの作品、前の2作品と違ってコンセプトに捻りがない分、そこからの道程が遠い。それだけに、現在の北爪の力量を余すところなく注ぎ込んだ音世界は、調性に逃げたわけではない紛れもない「現代音楽」なのにキレイなもので、存分に堪能できた。
最後は夏田の《エレジー》。「4分音も用いるヴァイオリンと12平均律のピアノを統合するための非オクターヴ旋法を予め用意した以外、コンセプトや道行きは何も決めず」(プログラムノートより)作曲されたもので、いわば小さなコンセプトの作品。冒頭のテーマらしきものが何度も戻ってくるのだが、その度ごとに少しずつ変わっていき、ピアノは弦を指で直接鳴らすなど内部奏法的な手法も使われていた。フランクっぽい音遣いやシベリウスのヴァイオリン協奏曲を思わせる響きは、冒頭テーマの回帰によるフランクの循環形式への連想も相俟って、ヴァイオリン作品の偉大なる先達へのオマージュに聞こえてきた。これが単なるオマージュにとどまらず、それらに並ぶ作品に昇華しているように聴こえるところがさすがである。
今回、曲順変更によって、前半2曲はコンセプトが楽曲構想の大きな部分を占める作品、後半2曲はコンセプトが構想の一部にしかならず、そこからより広い世界が提示された作品となっていた。どちらを選択するかは作品の良し悪しを決定する直接の要因にはなっていないのだが、作曲におけるコンセプトの果たす役割について考えさせられた。
演奏に話を戻そう。それなりの楽曲規模をもつ4つの新曲を初演するというのは、並大抵ではないだろうと想像されるが、ROSCOの2人は「これらは元々私たちのレパートリーでしたよ」くらいの事もなさげな様子で、それぞれの曲の魅力を最大限に引き出していた。この20年数々の作曲家が委嘱依頼に応えてきたのは、そういった信頼が演奏家と作曲家たちの間で築かれてきた証左であり、その積み重ねが今後への原動力になっているともいえよう。
今回配布された冊子には、通常のプログラム解説のほかに、ROSCOのあゆみとROSCO初演リストが掲載されていた。前者は結成から現在までROSCOが出演したコンサートが年月日と会場とともに年代順に記されたもので、最低年1回以上、多い年には15回のコンサートの記録が残されている。
後者は初演作品を年月日、作曲者、タイトル、会場、コンサート名とともに、委嘱初演、日本初演、世界初演の区別が記載され、その多さに圧倒された。
新しい音楽が生まれる瞬間に立ち会える。それが現代音楽コンサートの醍醐味であるとすれば、その醍醐味が十二分に味わえる演奏会であった。そしてアンコールで演奏されたシチリアーノが、ROSCOの2人から、曲を提供した作曲家や今日ここに立ち会った聴衆への最後の贈り物のように感じられ、心に沁みた。
(2022/3/15)
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Players:
ROSCO:
Violin: Fumiko KAI
Piano: Kaori OHSUGA
Program:
Toshi ICHIYANAGI: Scenes I for violin and piano
Charles IVES: Sonata for violin and piano No. 2
–intermission–
Yu KUWABARA: Rites of Lilith(2022)
Kei DAIGO: Whereabouts of Touch G(2021)
Hiromichi KITAZUME: Chromatics for violin and piano(2022)
Masakazu NATSUDA: Elégie, pour violon et piano(2022)
–Encore—
Maria Theresia von Paradis: Sicilienne