特別寄稿|私のフランス、私の音|パリで聴くワルシャワからのショパン|金子陽子
パリで聴くワルシャワからのショパン
Le concours Chopin dans le métro parisien.
Text by 金子陽子 (Yoko Kaneko)
2013年春にフォルテピアノでモーツアルトを演奏した、ワルシャワフィルハーモニー大ホールのあの歴史のある楽屋、ボルドーワインの色を思わせる赤紫の椅子、古い石の階段、それとは対照的な最新テクノロジーによって世界中に届けられる音と映像を画面で確認しながら、私は2021年の秋にショパンコンクール出場者の数々の名演奏をヘッドホンとスマ−トフォンで聴き入っていた。パリで、しかもメトロや電車の移動時間も含めてである。性能の良いワイヤレスヘッドホンも、あらゆるアプリケーションを使える高性能のスマートフォンも、コロナ禍でロックダウン中の音楽院のレッスンや会議をズーム、スカイプ等で対応するための必需品として今年になって購入したものだった。
かつて世界の大コンクールは、本人が参加する以外では、裕福な音楽愛好家や音楽学校の高名な先生方が、審査で、或はツアーで聴きに行くという「遠い世界の偉大なイヴェント」だった。因みに、ベルギーのエリザべートコンクールを1980年代初めに聴きにいらした恩師からお土産に頂いた記念のLPレコードは高校時代の私の宝物だった。
それがオンライン化で様相は一変した。
各参加者が白熱した一瞬一瞬をショパンの音楽で満たし、それがインターネットを通じてパリの地下鉄内の私の心の奥まで染み渡ってくる。若い頃はかなりショパンに傾倒して演奏方法を探求した私には、それぞれの演奏から、ピアノの技巧や楽譜の解釈だけでなく、各演奏者にとっての音楽と人生の関係、個人の精神性が伝わってくる。それが時には挑戦であり、自己やプレッシャーとの戦いでもある訳だが、純粋な歓びとして、広大な建築として演奏が昇華された折りには、たとえ立ちっぱなしのラッシュの車内でもその素晴らしさが享受できる、ということは(演奏者には失礼ではあるが)21世紀ならではのひとつの発見だった。
コンクールのプロ化
コンクール全体を通してまず気がついたのは、(とりわけ20代後半の出場者達は)既に演奏や録音活動で注目されているプロであることだった。隅々まで考え抜き、すでに数々の舞台で弾き込んできた演奏に感嘆しつつ、音楽の世界ではオリンピックのように、活動によって収入を得ているか否かという観点でのプロと、アマチュアという区分法がないということに気がついた。
と同時に、こんなに素晴らしい才能と努力の数々に順位をつけ、しかも『選抜』していく事自体が私にはとても不可思議な事に感じられ、順位をめぐって(とりわけソーシャルメディアで)話題が盛り上る様子には辟易した。
何故なら、演奏から聴こえてくるのは育った文化、風土や慣習に結びついた参加者のアイデンティティの多様性である。それが得点や順位となってしまうこと自体が不適切に思え、優秀な参加者が特に今回多かった日本国内で、日本人として歴代何位、、にこだわる(オリンピックや野球のリーグ戦と大して変らないかのような)メディアの反応も、海外の多様性の中で生活する者としては不可思議に映ったのだ。
グローバル化とイヴェント化
次に、コンクールが果たす役割が変化しつつあることに気がついた。そもそもコンクールとは無名のアマチュアが認められ、演奏会や録音の機会を与えられてプロになる為の登竜門と理解していたが、今回、ショパンコンクールは実際の若手の登竜門ではなくなって、大規模なプロのクラシックイヴェント、音楽祭という様相を呈したのではないだろうか。この先もしや、コンクール、つまり競争して順位をつけること、がクラシック音楽界の最大のイヴェントに(コンサートを抜いて)なってしまう日が来るのでは、という危惧が頭をよぎったのは考え過ぎだろうか。
しかしながら、世界のあらゆる地域の聴衆が、ネット環境さえあれば平等に、無料で質の高い演奏の数々を享受できるということは何よりも素晴らしい。それはコロナ禍による世界のテクノロジーの急激な進歩の恩恵でもある。更に生中継のライヴ演奏中は履歴が残らないリアルタイムチャットと投げ銭のシステムが導入されて、世界中のファンがコメントを発信して互いの一体感を強めるだけでなく、実はイヴェントを経済的にサポートする役割も果たしていたということも大発見だった。
ポーランド人の友人による現地メディアからの情報によると、今回のショパンコンクールの配信は、2次予選では450万人が演奏を視聴、アクセスは日本、韓国、ポーランド、米国からが多数。視聴者からのコメントは最高1日で70000通投稿され、2次予選では一秒間で最高22通まで着信、視聴者が寄付をするシステムでは、円、ユーロ、ドル、スイスフランでお金が集まったとのことだった。
以上の様な観点からも、2021年のショパンコンクールは今後の演奏家の世界とビジネスのあり方にひとつの指標を与えた歴史的なイヴェントだったと私は感じる。
クラシック音楽の在り方
コンクールに限らず、クラシック音楽の社会に於いての在り方はこれからも時代に沿って変容していくだろう。音楽祭、マスタークラス等のイヴェントの一環としてのコンクール、美術演劇など他の芸術分野とのクラシック音楽のコラボレ−ション、そして更には、学校、老人施設、病院や刑務所も含めた、あらゆる場所で、異なった文化や立場の人々が交流する橋渡してとしての音楽家の参加もとりわけ注目を浴びている。Médiation artistique という概念はフランスでは大学や音楽院の科目としてもカリキュラムに組み込まれ、社会と芸術の関係の在り方が模索されている。
コロナ前、コロナ後で、人々の働き方、住み方、行動の仕方が世界で変化したことは周知の通りだ。近日のフランスの文化相の発表によると、コロナ後の文化施設(映画館、コンサートホール、劇場)の観客がまだまだコロナ前の数に達せず、この先の不安感は隠しきれない。テレワークで大都市脱出が著しく、パリの学童数の大幅な減少も報告されている。
とはいえ、ショパンの音楽に代表されるように文化は人々に欠かせないものであるということは明らかに証明されている。地理的、経済的条件がクリアーされ、貧富の差なく人が平等に文化に触れられること、そして芸術家とその卵達が希望に沿った活動と相応な収入を得られる社会のシステムが実現できたら素晴らしい。
日本だけでない世界規模での舞台芸術のあり方の今後の動向に注目していきたい。
(2021/11/15)
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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
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