東京現音計画#14 コンポーザーズセレクション6:森紀明|西村紗知
東京現音計画#14 コンポーザーズセレクション6:森紀明
Tokyo Gen’On Project#14 Composer’s Selection 6: Noriaki Mori
2021年7月13日 杉並公会堂小ホール
2021/7/13 Suginami Koukaidou Small Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 松蔭浩之
<演奏> →foreign language
プログラム監修:森紀明
出演:東京現音計画
有馬純寿(エレクトロニクス)、大石将紀(サクソフォン)、神田佳子(打楽器)、
黒田亜樹(ピアノ)、橋本晋哉(チューバ)、森紀明(サクソフォン、その他)
ゲスト出演:坂田明(サクソフォン、その他)
<プログラム>
●インスタレーション
マリアンチ・パパレクサンドリ-アレクサンドリ《ソロ》モーター、セルパンと脳のモデルのための(2017)【ロビーにて】
サム・プルタ《ペーター・アプリンガーと共にある自画像》(2011)【開場中のホール内にて】
●プログラム
ケリー・シーハン《色の系列》スネアドラムとテープのための(2017-2018)
演奏:神田佳子(打楽器)、有馬純寿(エレクトロニクス)
キャサリン・ヤング《アンダーワールド(ダンシング)》ウーリッツァー・エレクトリック・ピアノとチューバのための(2008)
演奏:黒田亜樹(ピアノ)、橋本晋哉(チューバ)
アレックス・ミンチェク《核》サクソフォンと打楽器のための(2007)
演奏:大石将紀(サクソフォン)、神田佳子(打楽器)
~休憩~
イアン・パワー《浮標》ローレンス・クレインに倣って エレクトリック・オルガンと家電のための(2015-2016)
演奏:黒田亜樹(ピアノ・家電)
ウェストン・オーレンキ《メロディカのための》任意の数のメロディカとアナログ&デジタルシンセシスのための(2017-18/19)
演奏:森紀明、黒田亜樹、神田佳子、有馬純寿、大石将紀、橋本晋哉(メロディカ)
森紀明《マトリックス》アンプリファイド・アンサンブルとソリストのための(2020委嘱初演)
演奏:坂田明(サクソフォン他)、大石将紀(サクソフォン)、橋本晋哉(チューバ)、黒田亜樹(ピアノ)、神田佳子(打楽器)、有馬純寿(エレクトロニクス)
ホールの出入り口にほど近く、なにかジージーとモーター音をたてる奇妙な物体が横たわっている。マリアンチ・パパレクサンドリ-アレクサンドリのインスタレーション《ソロ》だ。近づいて見ると、セルパンの側に脳が置いてある。セルパンはもはや楽器に見えず、なにかのオルガノン、例えば実在しない生物の腸のように見える。
《ソロ》をひと通り眺めたあとホールに入り席に着くと、開演前のホールでは、サム・プルタ《ペーター・アプリンガーと共にある自画像》が演奏されていた。舞台上のスクリーンに4段の五線譜が写っていて、そこに、7つほどの黒玉の音符が、数秒ごとに切り替わって表示される。音は、狭い音程でぶつかる電子音のドローンで、そこに、ピアニカ、ソプラノサックス、チューバ、ピアノなどが、交代して持続音を添えている。
これら2つの「インスタレーション」から得た感覚を、苦し紛れながら言葉にすると次のようになる。これはユーモアやアイロニー、つまり現実に対する態度表明というのではなく、ただ、そこに物や音が提示されているという、現実そのものの表明である。というのも、作者の主観をこちらに押し付けられるような感じがなく、セルパンにせよスクリーンの五線紙にせよ、通常の使い方からはだいぶ逸脱しているけれども、気持ち悪いと思わせるようなところがない。どこまでも繊細で、しっかり構築されていて、クールで、おしなべて風流である。軽妙洒脱で、洗練されていて、なにかストレスをこちらに与えるようなところもなく……。
審美的な合理性という言葉を思い浮かべた。思えば、合理性が審美的というのは、奇妙な謂いである。
しかし、この日の作品はすべてそうだったと記憶している。審美的な合理性に基づいている、と。
ケリー・シーハン《色の系列》。ホワイトノイズなどのノイズと、スネアドラムのざらついた音色とが、細かく不可分に交錯していく。この日はMvt0とMvt7が演奏された。Mvt0は演奏者の姿が見えない。Mvt7では、打楽器奏者は舞台上にいて縦になったスネアドラムの膜を撫でるように演奏するのだが、どうやって発音しているのかわからなかった。なにが起こっているのかはわからない。しかし、これが美であると強く説得される。
キャサリン・ヤング《アンダーワールド(ダンシング)》。エレクトリック・ピアノの不規則でアラベスク的な音型のうえに、チューバによるピッチがゆるゆると不安定に揺れる長音がのせられていく。エレクトリック・ピアノとチューバの音色は、どちらも丸みを帯びていて、相性がよい。暗く沈み込んでいく曲調ではあるけれども、あまり湿っぽい鬱屈とした感じはなく、どこかグラフィックアートのような軽さがあり、その軽さが魅力的であった。エレクトリック・ピアノのポップな音色と、エレクトリック・ピアノとチューバ双方の緊密なリズム作法とが、その軽さの要因なのかもしれない。
続く、アレックス・ミンチェク《核》とイアン・パワー《浮標》においても、ケリー・シーハン、キャサリン・ヤングの両作品同様、音色の相似、きめ細やかなリズム作法とが、表現の要となっているようであった。
アレックス・ミンチェク《核》の冒頭、サックスのスラップタンギングとサスペンデッドシンバルの中央寄りの場所を叩く音とが、互い違いに鳴る。その後も重音奏法とスネアのロールなど、双方が互い違いに鳴らしていくのだが、その関係は、音域と音色との相似を次第に逸脱していき、アンサンブルは拡大し大胆に変貌していく。フリージャズらしくも聞こえるけれども、細かなループ構造が支配的で、そのため音量が増し音数が増えても秩序だった印象が強く残る。
イアン・パワー《浮標》は、エレクトリック・オルガンと掃除機、ミキサー、扇風機などの家電とのアンサンブルである。エレクトリック・オルガンは、単音ないし重音の長音を鳴らし続ける。そこに、音域の微妙に異なるそれぞれの家電の「シュー」というノイズが重ねられていく。この日のプログラムのなかで一番動きの少ない作品だが、組み合わされる音具の奇特さから、スリリングさが途切れることがない。
ウェストン・オーレンキ《メロディカのための》と森紀明《マトリックス》とで、アンサンブルを構成する人数は増えるものの、きめ細やかさが損なわれることはなかった。
《メロディカのための》は、電子音とメロディカの音塊とが対比をなして展開されていく。ベタッとしてベロシティの差異があまりないメロディカ(鍵盤ハーモニカ)と、それに対しもっとプツプツと途切れたり、自由なうねりをみせる電子音との対比である。後半メロディカは、カードを使ったグリッサンドで電子音の自由さに対抗する。時間経過で微妙に姿を変えていくメロディカの音塊が印象的。
森紀明《マトリックス》。ソリストに坂田明を迎えた即興的コンチェルト。エレクトロニクスによる全体の音響の調整と、各楽器がそれぞれの奏法で擦れた音色を添えていくので、爆発するような力というよりやはり繊細さが行き渡っているように感じられる。その時々の呼応・交錯・反復、すなわち全体への関心の無さは、今日最も可能な部分と全体との関係性だと思う。
今回の森紀明のキュレーションにおいて、作曲におけるアカデミズムがテーマの一つとして掲げられていた、というのをプログラムノートから知る。
確かに、この日の作品はいずれも、アカデミズムの産物であろうと説得されるところが多かった。それはネガティブな印象ではない。それにアカデミズムは、制度的な問題に尽きるはずもない。例えばの話、桜台poolでやるのと杉並公会堂小ホールでやるのとでは違うのだ、というのは詭弁に過ぎない。
アカデミズムの範疇の作品は、イマジネーションの領域を有し、作品外部の世界に対する指示作用をもっている、とでもいうのだろうか。あるいは、忘却を免れるインデックスをもっている、とでもいえるのかもしれない。自らの、作品の組成の力で、この日の作品はそれぞれ閉じている。こちらの身体反応や情念に直接アクセスすることを、どことなく節制した音の数々が存在した。
そもそも、アカデミズムはスノビズムではないのであるし、自らの座する高度な文脈に安んじていてよいものでもない。アカデミズムとは一個の反省形式のことをいうのだろう。それはさながら、形態化の拠り所となる薄紙のようなものだ。薄紙自体が聞こえてくるわけではないけれども、薄紙が無ければ作品自体がまさに目の前に在るようにはあり得ない、といったことをこの日ずっと思っていた。
そうして、審美的な合理性に基づき、これは美であると反省せよとこの日の作品はいっている。
(2021/8/15)
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<Artists>
Curator:Noriaki Mori
Artists:Tokyo Gen’On Project
Sumihisa Arima(electronics)、Masanori Oishi(saxophone)、Yoshiko Kanda(percussion)、
Aki Kuroda(piano)、Shinya Hashimoto(tuba)、Noriaki Mori(saxophone, etc.)
Guest:Akira Sakata(saxophone, etc.)
<Program>
●Installation
Marianthi Papalexandri-Alexandri: Solo for motor, serpent and brain model (2017)【at lobby】
Sam Pluta: Selbsportrait mit Peter Ablinger (2011)【pre-performance】
●program
Kelly Sheehan: A Series of Colors for Snare Drum and Tape(2017-2018)
players:Yoshiko Kanda(percussion), Sumihisa Arima(electronics)
Katherine Young: Underworld (Dancing) for wurlitzer electric piano and tuba(2008)
players:Aki Kuroda(piano), Shinya Hashimoto(tuba)
Alex Mincek: Nucleus for Saxophone and Percussion(2007)
players:Masanori Oishi(saxophone), Yoshiko Kanda(percussion)
~intermission~
Ian Power: Buoy (after Laurence Crane) for electric organ with household appliances(2015-2016)
player:Aki Kuroda(electric organ , household appliances)
Weston Olencki: for melodicas for any number of melodicas and analog & digital synthesis(2017-18/19)
players:Noriaki Mori, Aki Kuroda, Yoshiko Kanda, Sumihisa Arima, Masanori Oishi, Shinya Hashimoto(melodica)
Noriaki Mori : Matrix for amplified ensemble and soloist(2020 world premiere)
players:Akira Sakata(saxophone, etc.), Masanori Oishi(saxophone), Shinya Hashimoto(tuba), Aki Kuroda(piano), Yoshiko Kanda(percussion), Sumihisa Arima(electronics)