パリ・東京雑感|勉強する女は殺す アフガン少女の勇気|松浦茂長
勉強する女は殺す アフガン少女の勇気
Education Poses an Existential Threat to Extremism
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
1989年2月にウズベキスタンのテルメズにいた。10年前アフガニスタンに侵攻したソ連軍が、ゲリラに敗れ、尻尾を巻いて退散する、その最後の部隊の撤退式を見に行ったのだ。戦車やトラックが行進した後、しんがりに司令官グロモフがアフガニスタン側から、長い橋を悠然と歩いて渡ってくる。馬鹿な戦争を始めた指導者への怨みをこめたような憮然とした表情。まるで映画のラストシーンみたい。ロシア人は皆役者なのだ。
当時は半分観光気分で見物していたのだが、今振り返ると、これは禁断のパンドラの箱が開かれ、魑魅魍魎が跋扈する天下大動乱劇の序幕だった。これから物語が一気に激烈さを加え、あれほどのスケールで急展開するとは思いもしなかった。
ざっとおさらいすると、アフガニスタンには共産政権・ソ連軍と戦うために色とりどりのイスラムゲリラが登場。敵の敵は味方という計算から、アメリカは彼らムジャヒディンに武器を提供し、アフガニスタンは、さながらCIAのゲリラ訓練場の様相を呈してしまった。後に有名になるビン・ラディンもここで腕を磨く。
アメリカに助けられてソ連と戦った勇士が、やがてニューヨーク貿易センタービルに旅客機をぶつけ倒壊させる反米反西欧の英雄に育つのである。
9/11への報復として、アメリカはアフガニスタンに侵攻。こうしてソ連のアフガニスタン侵攻に始まったサイクルは第Ⅲ周期に突入し、①アメリカのアフガニスタン侵攻、②タリバンの勝利、③米国軍の撤退へと一巡、今年9月には、89年のグロモフ将軍引き揚げの米国版が見られる段取りになった。
アメリカが引き揚げた後のアフガニスタンはどうなるのだろう?
5月8日、カブールで非情なテロがあった。女子高校の門の前で車に仕掛けた爆弾が爆発。女生徒たちが一斉に逃げ出してくるところを狙ってさらに2発の爆弾が炸裂し、90人が死んだ。できるだけ大勢の少女を殺す巧妙なやり方。「勉強する女子は死に値する」というメッセージである。
去年10月にも、この近くの学校で自殺テロがあり、24人の生徒たちが犠牲になった。
カブールで女性の人権活動をしているガズナヴィさんは「私達の教育センターは3年前から襲撃されてきました。8日のテロは初めてでもないし、最後のテロでもない。でも私達はあきらめません。もし30人が殺されれば、3000万人の心が痛むのです。」と言う。
それにしても、なぜイスラム・テロリストたちは少女が勉強するのをこれほど嫌がるのだろう?ニューヨークタイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフはこう書いている。
(女子校爆破で負傷し)カブールの病院のベッドに横たわる17歳のアリファさんは、NBCテレビのインタビューに凜とした態度で答えていた。『どんなに怖くても、勉強を続けます』。目の前で80人をこえる生徒が殺されたその同じ日に、アリファさんは、勉強して医者になりたい気持に変わりはないと言ってのけたのだ。
アフガニスタンの少女、少年には本もペンもパソコンも不足しているかも知れない。しかし、その学びへの情熱の強さによって、この少女達こそ世界の人々に大事なことを教えてくれるのではないか。さらに言えば、教育わけても女子教育には、根本的変化をもたらす力があると言う点で、過激派の考えと生徒たちの気持がぴったり一致するのである。
忌まわしい考えではあるが、イスラム原理主義者が学校を爆破するのは理にかなっている。なぜなら、少女の教育は過激勢力に致命的打撃となる脅威だからだ。だからこそ、パキスタンのタリバンは(ノーベル平和賞を受賞する)マララ・ユスフザイさんの頭を撃ったのだし、アフガンのタリバンは少女たちの顔に劇薬をかけたのだ。
学びへの情熱、学問への憧れと言えば、松本の開智学校を思い出す。市民の寄附によって地元の棟梁が建てた学校は明治9年にオープン。「開智学校」の額を支えるのは裸のエンジェルたちだし、なんとフランスから輸入したステンドグラスが教室に神秘的な光を注いでいる。学ぶことへの夢がこんな贅沢を許したのだろう。「良き臣民を育てる」といった威圧感とは正反対の、軽やかで楽しい、夢が一杯の建物だ(やがてこの学校にも御真影が祀られるが……)。現代の小学校にくらべればこぢんまりしたこの建物に、最初から数千人の生徒が押しかけ30人の先生が教えたそうだ。
校舎内の展示を見て感動したのは、「子守学校」の写真だ。奉公に出され、子守をさせられる貧しい家の子供たちのためのクラスで、小学生が背中に赤ちゃんをおぶって遊戯をする写真や、赤ちゃんをあやしながら勉強する写真。幼いときからきつい労働をさせられ、疲れ果てているだろうに。子供をおぶって登校する少女のがんばりは、アフガニスタンの少女達の勇気にひけを取らないのではないか?
維新のあと、日本がアジアでただ一つ国際社会に独立メンバーとして仲間入りできたのは、軍艦と大砲の力よりも、国民一人一人の学びの力のためではなかったのか?もしそうだとすると、クリストフの言う、教育に秘められた深い<変える力>というのも誇張とばかりは言えない。
さて本題に戻ろう。タリバンがアメリカを追い出すのに成功し、支配地域を広げるにつれ、女子の学びの場は縮小される。ある日突然女子学校が閉鎖され、女性教師は解雇される。
そんな町から州都シェベルガーンに逃れてきたアミニさん(17歳)は、「3年前に学校に行けなくなりました。女は一日中家にいなければならない。親戚に会いに行くことも出来ないのです。毎日キリム(平織りの敷物)の仕事をして過ごしました。タリバンは携帯電話の電波塔を破壊したので、電話のお喋りも出来ません。」と、故郷の町の様子を話す。どうしても勉強を続けたいので、最近シェベルガーンに避難したのだという。
アミニさんのお父さんは「私は文字が読めません。盲人みたいなものです。誰かに導いて貰わなければ生きて行けない。だから、娘には勉強して貰いたいのです」と言う。
2年前に母親と一緒にシェベルガーンに逃れてきたナビラさん(16歳)は、「本当に本当に勉強したい、と家族に頼みました。タリバンは女が怖いのね。」と言う。
1996年から2001年のタリバン支配、女を家に縛り付ける暗黒時代に続く、アメリカ侵攻後の20年間に女性の活躍圏は大いに広がった。いま学生・生徒の40パーセントは女性だし、軍、警察にも女性が加わった。国会議員、オリンピック選手、ロボット工学研究者、登山家にも…2001年以前にはありえなかったことが実現した。
しかし、9月にアメリカ軍が引き上げれば、数か月以内にタリバン政権が成立する。そうすれば、たちまち、女性暗黒時代に逆戻りするのだろうか?
いや、今のタリバンは20年前のタリバンと同じではないし、彼らが政権を取り、国際社会の一員として行動するようになれば、「女に教育はいらない」の石頭ではやっていけない。タリバンはさらに変わるかもしれない。現在のタリバンは中央集権の鉄の規律とはほど遠く、教育政策も地域によってさまざまだ。指揮官の考え方次第で、12歳までの女子教育を温存しているところは少なくないし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告によると、土地の人々が指揮官を説得して、もっと上の学校まで開かせているところもある。
ひょっとすると、少女たちの学びへの情熱と勇気が、タリバンを回心させるのも不可能ではない?アメリカの武力にできなかった奇跡を、少女たちが実現する……?
『千一夜物語』には、美しい女奴隷タワッドドが、カリファの前で、当代の最高の学者と知恵比べをして打ち負かす話がある。(そもそも『千一夜物語』の語り手、シャハラザードは世界文学史上屈指の才女だ)。問答の範囲は信仰から天文、物理、生物、医学と、文字通り百科全書的である。
かかる聡明さと学識を前にして、カリファ、ハールーン・アル・ラシードはいたく御感あらせられ、学者イブラヒーム・ベン・サイアルに、その外套を乙女に与えるようお命じになりました。学者は外套を渡してから、右手を上げまして、この乙女が知識においておのれをしのぎ、これこそ世紀の奇跡であると、一同の前に証言をいたしました。
かつて哲学、科学、医学でイスラム文化が時代をリードしていたころ、男は女を怖がらなかったに違いない。あの華麗で寛容なイスラム黄金時代とくらべ、いまのイスラム世界はなんと狭苦しく頑なになってしまったことか。アフガニスタンの少女たちためにも、いつか良い日が来る、かつての豊かなイスラム文化がいくぶんか復活する日が来ると信じたい。
(2021/6/15)