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飯野明日香 Parfum du Futur Vol.21 新たな出会い|秋元陽平

飯野明日香 Parfum du Futur Vol.21 新たな出会い
PARFUM DU FUTUR VOL. 21「NEW ENCOUNTER」

2021年5月22日 サントリーホール ブルーローズ
2021/5/22 Suntory Hall Blue Rose
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
写真提供:オーパス・ワン

<曲目>        →foreign language
第一部
「エラールの旅」第2回
1867年製、福澤諭吉家伝承のエラール・ピアノの調べ
A.ベルク:ピアノソナタop.1(1907~08)
L.ベリオ:「6つのアンコール」より“水のピアノ(1965)、芽(1990)、大気のピアノ(1985)”
T.ミュライユ:別離の鐘、微笑み(1992)
新実徳英:尺八とエラールピアノのための新曲(委嘱作品・世界初演)(2020)
  共演:三橋貴風(尺八)

第二部
和の歌 〜CD発売記念〜
日本の歌によるピアノ作品集
全曲委嘱新作 世界初演
金子仁美:日本の唱歌「雪」による変奏曲-3Dモデルによる音楽Ⅳ-(2019)
川上 統:夕空の泉に(2019)
川島素晴:白河踊りメタモルフォーゼ(2019)
小出稚子:うさぎのダンス(2019)
篠田昌伸:ゲートキーパー(2019)
鈴木純明:いそいそパラフレーズ
法倉雅紀:茜草指(あかねさす)第三番~独奏ピアノの為の(2018)
挾間美帆:コラール-“からたちの花”メロディーによる-(2019)
平川加恵:ずいずいFantasy(2019)
山田武彦:七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)による変奏曲 (2019)

<出演>
飯野明日香(Pf)

 

第一部は、福沢家に伝わるセバスチャン・エラールの1867年製ピリオド楽器を用いた現代音楽演奏という、敢えてアナクロニズムに打って出る試みである。L.ベリオによる短編や、ミュライユのメシアン追悼作品のふとした瞬間に、アルカイックな響きが宿る面白さがある。新実による尺八とピアノのための新作は、アタックに宿る倍音の立体感や、さまざまな含みを持った持続のヴァリエーションとその破砕といった尺八の魅力を多角的に引き出す試みであり、この邦楽器の「奥行き」が、作曲家が蓼科から着想したという、いわば空間的な音響の魅力と呼応していた。他方、作曲年で言えば楽器の製造年代にもっとも近いはずのベルクのピアノ・ソナタはもどかしさを味わう思いだった——飯野の深い呼びかけにエラールのピアノは充分に応答していないという感覚が残る。後期ロマン主義の香り色濃いモチーフの執拗な重なりあいは、立体感を失って奇妙な壁画のような趣である。そういう聴覚体験が面白くないかと言われれば、面白くはある。だが少なくともこの曲に関しては、奥ゆかしい響きではなく痩せた高音、制限されたダイナミックレンジというネガティヴな語彙で形容したくなる瞬間がある。それでは歴史的アプローチが浮かばれない。制約と捉えるのではなく、この楽器の独特の音質に寄り添う必要があるが、しかしベルクのこの曲でそれはどのようにして可能だったのだろうか?という疑問が残る。少なくともエラールのピアノである必要性は感じなかった。もちろん必要性が全てではないが。

さて、第二部「和の歌」で漠然と感じ取られたのは、「和」や「歌」というテーマとは別のことだ。それはピアニスト飯野の秘めた激しさ、仕込み刃のような表現志向である。多くの人が知っている歌をモチーフに新作委嘱、とくれば、作曲家がとる道はおのずといくつかのパターンに分けられる。既知のものと「戯れる」、既知のものを「異化する」、既知のものに「浸る」、あるいはこの三つのうちに任意の二つを兼ねる、欲張って三つとも変奏のなかで取り入れる、など。このなかで特にピアニストの資質と共振していたのは、ある種の自動性によって既知のものを増殖させ、爆破する「異化」の道を選んだ篠田昌伸『ゲートキーパー』と川島素晴『白河踊りメタモルフォーゼ』だ。リズムという現象には、身体から発される自律性といつしか身体を縛る自動性が同居しているが、前者はどちらかといえば民謡という身体的なリズムとナンカロウ的な自動性の衝突に、後者はむしろ、身体的なリズムの繰り返しそのもののなかにある制御不能性にフォーカスする。以前ヨーロッパのある都市で、ヴォルフガング・ハイジックの所持するピアノラ(自動演奏ピアノ)によるナンカロウのピアノ・ロール演奏を聴いたが、ノンシャランな軽快さをもってするすると流れ落ちるマシンのわだかまりのなさと比べると、飯野の演奏はつねにこのリズムの二律背反を体現する——リズムを身体的に巻き込んでいく、あるいは身体的に巻き込まれていく——もので、エラールとうってかわって硬質なスタインウェイの響きとともに、非-人間的なものの炸裂の待望という、逆説的にもヒューマンなぎこちなさと、そこに宿る欲望を感じさせた。と、ここまで書いて、飯野が一柳慧のピアノ作品演奏に携わってきたことは、この逆説とやはり無関係ではないと思わされた。一柳作品にも、あくまで人間の側から人間の意志の向こうへ突き抜けていこうとする側面があるからだ。この張り詰め方のまま、狭間作品の、作曲者の手の動きが目に浮かぶような即興フレーズはやや生真面目な装飾音となり、小出作品のスケルツォなパッセージでは兎がいくぶん警戒していた(まあ、兎は警戒心の強い生き物ではあろう)。だが「和の歌」というタイトルの企画が持つ、セルフオリエンタリズムのおもてなしに陥る危険からは、作曲家もピアニストもほどよい距離感を保っている。とくに飯野の「求道的な」側面は今後、どういう作品と邂逅を果たすのだろうか。

(2021/6/15)

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<Program>
Berg: Sonata for Piano in B minor, Op. 1
Berio: From “6 Encores”
Murail: Cloches d’Adeu, et un Sourire
T. Niimi: Commissioned Work for Syakuhachi and Erard piano
H. Kaneko: Yuki (Snow) (2019)
O. Kawakami: For Fountain of Dusk (2019)
M. Kawashima: Metamorphosis of Shirakawa Odori (2019)
N. Koide: Rabbit Dance (2019)
M. Shinoda: Gatekeeper (2019)
J. Suzuki: Isoiso Paraphrase (2019)
M. Norikura: Akane Sasu No. 3 for Piano Solo (2018)
M. Hazama: Chorale from Melody of “Karatachi no Hana” (2019)
K. Hirakawa: Zui Zui Fantasy (2019)
T. Yamada: Variations on a Theme of an Elegy of Shichirigahama (2019)

<Cast>
Iino Asuka (Piano)