ベンジャミン・ブリテンの世界 番外編 20世紀英国を生きた、才知溢れる作曲家の肖像 |秋元陽平
ベンジャミン・ブリテンの世界 番外編 20世紀英国を生きた、才知溢れる作曲家の肖像
The World of Benjamin Britten Extra Concert
Portrait of a Witty and Intelligent Composer Living in the U.K. in the 20th Century
2021年4月11日 東京芸術大学 奏楽堂
2021/4/11 Tokyo University of the Arts, Sogakudo Concert Hall
Reviewed by 秋元陽平(AKIMOTO Yohei)
Photos by ヒダキトモコ /写真提供:(c)東京・春・音楽祭実行委員会
<曲目> →foreign language
ベンジャミン・ブリテン:
アルプス組曲
ヴィットリアの主題による前奏曲とフーガ[試聴]
子守歌のお守り op.41 より
ウィリアム・ブレイクの歌と格言 op.74 より
ジミーのために〜ティンパニとピアノのための
レクチャーコーナー:歌劇 《ノアの洪水》 op.59(実演を交えながら《ノアの洪水》を解説します。)
シンプル・シンフォニー op.4
[ アンコール曲 ]
ブリテン:彼らは一人で歩く 前奏曲
<出演>
企画構成 / ピアノ / お話:加藤昌則
バリトン:宮本益光
メゾ・ソプラノ:波多野睦美
ヴァイオリン:川田知子、吉村知子
ヴィオラ:須田祥子
チェロ:小川和久
コントラバス:池松 宏
リコーダー:吉澤 実
打楽器:神田佳子
オルガン:三原麻里
敏腕プロデューサー加藤昌則の「目利き」ぶりが窺えるプログラムである。シンプル・シンフォニーを除けば知名度も高くない、どころかその道何年の演奏家も存在を知らないような曲をも取り混ぜた、まちがいなく、日本全国にあまたいるベンジャミン・ブリテン愛好家垂涎のコンサートだ。
限られた素材を高度な対位法を駆使して展開する『ヴィットリアの主題による前奏曲とフーガ』について、加藤はそのブリテンの「真面目な」側面を指摘した。それを引き継いで言うならば、この真面目さは、ときにはブリテンというひとのある種の批評的な微温性でもあると思う。儀礼的なふるまいは、「ルールの遵守」や「自粛」とは違って、ある種ユーモラスであることを可能にする。決まり事に敬意を表すると同時に、いくつかのことがらを言いかえたり言い落としたりするとき、そこに幾重にも折りたたまれた美意識と自意識、そしていくばくかの挑発のふくみをもたせることができるからだ。
「微温的である」ということばはもちろん、1970年代に至るまで英国の批評家が彼の「調性音楽」ぶりを批判したことを思い出させる。しかし、そういうことではない。ラヴェルにせよ、ショスタコーヴィチにせよ、意図しようがしまいがある種の挑発性を孕んでしまう「調性音楽」の大家などいくらでもいる(そもそも調性のあるなしが二分法なのか、ということには、今は立ち入らない)。ブリテンはその点、調性がどうのとは別の次元において、どことなく「微温的」であり、そしてその折り目正しさにおいて批評的だ(その意味で、コンサートのサブタイトルの「才知」は、英語ではwittyとなっているが、「天才」でも「奇才」でもない、的確な言葉である)。たとえばロンドンの老舗デパートでジャケットを買って、「これはロールアップして着ないほうがいいですよね」と聞くと、店員の老紳士は眉を持ち上げて、少しもったいぶって「おっしゃるとおり。常識common senseをお持ちの方ならそうしないでしょう」と答えることがある。このcommon senseは、体制的なものに異議を申し立てないものとして「微温的」だ、とひとをいらだたせることもあろう。ブーレーズのブリテン嫌いも概ねこの筋で理解することができる(ただし現在の視点から振り返れば、ブーレーズ自身の作品にその種の微温性がないとはおよそ思われない)。だが同時に、この紳士は、客に対してあえて常識を講じてみせる老舗店員の「踏み外し」を彼自身が誇張的に演じることで、この常識の実効性そのものに疑問符をつけているのである。
ようするに、ユーモアなのだ。コンサートの冒頭、リコーダー三重奏による『アルプス組曲』も、タイトルが想像させるようなツェルマットを抱く雄大な稜線、マッターホルンの雄々しい鋭鋒を、剥き出しの自然をロマンティックに描こうと彼は思わない。スキーに訪れた彼ら自身のたどたどしくも愛らしい滑降ぶりや、おとぎ話のような山の世界を立ち去るときの、旅の終わりのそこはかとない寂しさといった、語義通り「気質的なもの(=humorousなもの)」を、リコーダーの人肌に温められた音色で、親密さのなかで語るのである。彼は人間の微細な振る舞いの、ニュアンスの世界の矩を越えず、踏みとどまる。だが此岸の限界を知り、踏みとどまることを知ったものの人間観ほど厳しいものはない。例えば「戦争レクイエム」や「カーリュー・リヴァー」は「微温的」とはおよそ言いがたい緊張感と密度を感じさせる。純粋な幼年時代への憧憬があるとしても、ブリテンはリアリストなのだ。「子守歌のお守り op.41」は、初期近代英国詩のアイロニーと冗談に託された、子どもの貧困と苦痛をみつめる冷徹なまでのまなざしを感じさせる。誇張的に歌うことはいくらでも出来るが、それではブリテンの苦みがでてこない。そこへいくと、メゾ・ソプラノの波多野睦美がこの複雑な悲哀と諧謔のグラデーションを一筆書きで、一切りきむことなく歌い抜いたのはこの演奏会の白眉であった。
コロナ禍で再延期となったオペラ『ノアの箱船』は村の音楽祭のために書き下ろされた作品であり、ここにもブリテンのある種のリアリズムとユーモアの二重性がうかがえる。必要なのは一流の演奏者や複雑な仕掛けではなく、いわば村の子どもたちのスクラッチ・オーケストラのための配慮なのだ。マグカップを打楽器代わりに使ったり、開放弦をギコギコ弾くことしかできない子のためのパートがあったりするのだが、こうした愛らしい「寄せ集め」で描く旧約神話の世界の暖かさ——しかしそれは厳しい選別の時でもある——は、今回予告編として演奏されたいくつかの断片からも充分に感じ取れるものであった。錚々たる演奏陣のじつに和気藹々とした雰囲気もまた作品愛を感じさせる。機微を重んじること、現実の厳しさをユーモラスに見つめること、手持ちのものから出発すること、そこから洪水のあとの「再生」を願うこと——上演が待ち遠しいではないか。
(2021/5/15)
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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。
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<Cast>
Program Planner / Piano / Navigator:Masanori Kato
Baritone:Masumitsu Miyamoto
Mezzo Soprano:Mutsumi Hatano
Violin:Tomoko Kawada,Tomoko Yoshimura
Viola:Sachiko Suda
Cello:Kazuhisa Ogawa
Contrabass:Hiroshi Ikematsu
Recorder:Minoru Yoshizawa
Percussion:Yoshiko Kanda
Organ:Mari Mihara
<Program>
Benjamin Britten(1913-76):
Alpine Suite
Prelude and Fugue on a Theme of Vittoria
from A Charm of Lullabies op.41
Songs and Proverbs of William Blake op.74
Concert Piece for Jimmy for Timpani and Piano
■Lecture of “Noye’s Fludde” with musical demonstrations
Simple Symphony op.4 (String Quintet Version)
[ Encore ]
Britten:They Walk Alone Prelude