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il Sole/ Y × S Crossing#04|西村紗知

パーカッショニスト安江佐和子プロデュース
「il Sole/ Y × S Crossing#04 ~杉山洋一 影響を受けた作曲家とともに~」

il Sole/ Y × S Crossing#04

2021年1月15日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2021/1/15  Tokyo Concerts Lab.

Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by  Yo Hirai/写真提供:東京コンサーツ

<演奏>        →foreign language
安江佐和子(打楽器)
日野原秀彦(ピアノ)
工藤あかね(ソプラノ)
松平敬(バリトン)
杉山洋一(作曲)
原倫太郎(美術家)
古賀優(卓球奏者)
細田銀爾(卓球奏者)

<プログラム>
原倫太郎:
インスタレーション「マリンバピンポン」(2019)
杉山洋一:
ブッソッティの詩による「娶られた少年」(2021)委嘱初演
シルヴァーノ・ブッソッティ
「双子ピンポン」(1993)
「涙」(1978)
「心」(1959)
オペラ≪和泉式部≫(2005-2006)抜粋
-休憩-
「愛撫のフォリオ」~室内オペラ≪Silvano Sylvano≫(2003)より~
「肉の断片II」(1958-1960)抜粋

 

ひと続きのパフォーマンスとなるよう、プログラムに記載された作品をつないで演奏する、シアターピース的なスタイルの演奏会。シルヴァーノ・ブッソッティの作品で全体が構成され、そこに杉山洋一の委嘱新作と原倫太郎のインスタレーションとが添えられている。

サウンドインスタレーション「マリンバピンポン」の演奏から舞台ははじまる。
奏者は開演前から卓球をやり始める。長短様々な板が組み合わさってできた卓球台にピンポン玉が落ちると、ランダムな音高で卓球台がマリンバのように鳴る。
打球の速度は緩やかで、ラリーはあまり続かない。すぐにネットにピンポン玉がひっかかってしまう。だが、ネットにひっかかったピンポン玉は、静止するまで加速的に弾んで、同音連打のトレモロのようになる。

バリトンとソプラノが、それぞれ下手と上手に、舞台後方に立っている。「娶られた少年」。スラーでつなげられた2音くらいでできた断片を、銘々歌い出す。たまに吐息の音も混ざる。マリンバピンポンの演奏も続いている。マリンバピンポンは2人の歌手の伴奏のようになる。
しばらくこの4人の奏者のアンサンブルが続いたのち、ストップモーションをはさんで今度はピアノも入ってくる。ピアノもまた断片的な音型を演奏する。
すると、不思議なことに、マリンバピンポンのラリーの終わりと、他3人の奏者の奏でるフレーズの終わりが、同期しているように感じられてくる。その瞬間、床に散らばった大量のピンポン玉はさっきまで鳴っていたはずの音符の数々で、ピンポン玉の軌道は音符をつなぐスラーに変わる。
再びストップモーションが挿入され、パーカッションも入ってくる。グロッケンが間断なくすばやくオルゴールのように鳴り響く。グロッケンとマリンバピンポンのアンサンブルののち、ストップモーション。床にピンポン玉がバウンドする音だけが後に残る。

アタッカでつながれ、次はピアノのC-H-A-F-Eの音型からはじまる、「双子ピンポン」。この日の双子はピアノとマリンバだ。断片の応答を2人の奏者が行う。マリンバの同音トレモロは、さっきまで弾んでいたピンポン玉の模倣だ。ピアノもまた模倣する。最初の音型は変奏され、アクセントの位置が変わったり、音の数が2つや3つに変わったりしながら、マリンバとピアノは密やかに卓球を楽しむ。マリンバピンポンが運動による音楽の模倣だったとすれば、「双子ピンポン」は反対に音楽による運動の模倣である。

白い透けた被り物をし、ソプラノが再び登場する。「涙」。これは、人間の顔の世界。さきほどのピンポン玉の世界からうって変わって、泣いたり、踊ったり、歩いたり、歌ったり、喋ったりと表情が豊かに変わる。嗚咽はピアノに反響し、会場を包み込む。
「心」はパーカッションのソロだが、奏者を囲むようにパーカッションがずらっと並べられ、時折目にもとまらぬ速さでそれらが鳴らされていく。例えば、タムタム、バスドラム、鉄琴、釣り鐘、トライアングル、サスペンデッドシンバルなどがスリリングに打ち鳴らされていく。これらのパーカッションは一つのオーケストラのように有機的に組み合わさって、さながら生命体のようであった。

一旦セッティングをはさんで、前半最後はオペラ≪和泉式部≫より。ソプラノとバリトン2人それぞれの歌唱をピアノと打楽器のアンサンブルが隔てていて、2人の恋人のコミュニケーションはなかなか重ならない。ピアノ奏者は内部奏法でハーモニクスやミュートを披露する。また終盤には、なにか和楽器(龍笛?)を吹いて、かすれた音を全体に足していた。

後半休憩明けは、ピアノソロのパフォーマンスから。
F-Es、H-B、As-Gといった2度の下降するフレーズが反復される。しばらくするとダンパーペダルで全体の反響がつくられるなか和音が散りばめられた部分に移行する。低音が鳴り響く上に和音が重ねられ、高音部から細かいパッセージが降りてくる。
荒々しい残響が一区切りついたところ、ソプラノと鉄琴がffで入ってくる。ピアノは応答するが、すぐに木琴、バスドラム、ゴング、トライアングルなどが入ってきて、息つく間もない。
バリトンとソプラノの会話劇のような部分があったのちには、ピアノの内部奏法とパーカッションのアンサンブルが続いて、音響は熾烈をきわめていく。シンバルと、ピアノの内部を弾くことによるジャラジャラした金属音とが、殊の外自然に調和してしまうのである。
より強烈なのは、パーカッションとピアノ、奏者2人がかりのピアノ内部奏法による音響だ。まず、2人でピアノの至る所を鳴らそうと触っていく、見た目のインパクトである。隠微さというのだろうか。それは、神聖な存在が次第に裸へ向かっていくようである。
というのも、ダンパーペダルは常に開放された状態で、ピンポン玉がピアノの中に落とされていく。鞭打たれたり、マレットで裏側を叩かれたりもする。
内部の弦は、引っかいたり、弾いたりもされるが、そのたびごとに、声にもならない轟音が、かたちをなさない響きの数々が、散らばっていってとめどなく溢れたままとなるのだった。

そののち、バリトンのソロや作曲の杉山がマリンバを叩くシーンもあったりしたのだが、ピアノの内部奏法の強烈な印象が脳裏から離れないうちに、音楽は終わってしまった、というのが正直な実感であった。

同じ週トーキョーコンサーツ・ラボで開催された《表象の森を通り抜け》が、複数の視覚的にも聴覚的にもバラバラの表象を照応させることで、無意味さを獲得していた一方で、この《il Sole》は表象の下側を、まるで皮下組織のようななにかを、表に出すようであった。
これもまた無意味さではあるのだが、記号的機能の停止というのでなく、もっと蠢く質感のような、それこそなにか「肉」と呼ばれるようなものだ。
シルヴァーノ・ブッソッティの作品の下には何かが動いている。それが何かは、筆者にはまだわからない。

(2021/2/15)

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<Artists>
YASUE Sawako: Percussion
HINOHARA Hidehiko: Piano
KUDO Akane: Soprano
MATSUDAIRA Takashi: Baritone
SUGIYAMA Yoichi: Composer
HARA Rintaro: Artist
KOGA Yu: Ping-Pong player
HOSODA Ginji: Ping-Pong player

<Program>
HARA Rintaro : Installation “Marimba Ping-pong”(2019)
SUGIYAMA Yoichi : Un ragazzo per moglie(2021) *Premiere
Sylvano BUSSOTTI
: Ping-Pong-Gemello(1993)
: Lachrimae(1978)
: Coeur(1959)
: from ≪Izumi Shikibu≫(2005-2006)
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: FOGLIO LA CAREZZA, from≪Silvano Sylvano≫(2003)
: Pièces de chair II(1958-1960)