特別寄稿|私のフランス、私の音|『私が出会った作曲家と子孫達。聴くということ その1 |金子陽子
『私が出会った作曲家と子孫達。聴くということ その1
Les compositeurs que j’ai rencontrés I : Berio et Mozart, Kurtag et Donatoni.
Text by 金子陽子(Yoko Kaneko)
1. ベリオとモーツアルト
ピアノの個人レッスン、コンクール参加、著名ピアニストのマスタークラスやコンサートを聴きに行くことは音楽学校に所属せずとも体験できる。しかし、苦悩しながら音の世界を探索し、音によって自己表現する作曲家達、音楽作品を解釈、研究して本質に迫ることに生涯をかける音楽学や古楽の教授達の授業を受け、実際の生き方を見たことが、音楽学校(桐朋学園)が私にもたらした最大のメッセージで、私は自分が選んだ道を極めることが意味するものや、プロになることの厳しさを自覚するようになった。
高校時代に私がとりわけ悩んでいたのは、モーツアルト作品の演奏方法だった。アーティキュレーション、音の質、どう考えても不似合いな巨大なモダンピアノと、いつから『伝統』とされたのか皆目見当がつかない力任せや派手な演奏、ピアノの『巨匠』『xx演奏の神様』といったメディアの表現に至っては、作曲家や作品との関係が全く不可解なものに思えた。このように私の価値観が紆余曲折していた頃、音楽学の授業で話題となった『モーツアルトの書簡集』(日本語訳)を桐朋の図書館で初めて手にした。手紙の文面から湧き水のように溢れ出してくるモーツアルトの思考や本音が、新鮮に語りかけてくる彼の音楽と同一のものであることを即座に理解した私は、目から鱗がおちたかのようだった。演奏家と作曲家はこのように音楽を通して互いに本質を見つめ合う、伴侶のような親近性を持った関係でいられる、という『心の拠り所』を見いだした気持ちであった。以来、楽譜を見るということは、作曲家の思考、時には隠された人生の苦悩を含め、最大の情報を音を通して解読することだと私は捉える様になった。
1989年だったと思うがザルツブルグの講習会で講義を持たれたイタリアの著名作曲家ルチアノ・ベリオ氏 (Luciano Berio,1925−2003) のレッスンを聴講した。「現代曲のスペシャリスト」だという、優秀なピアノの学生がベリオ氏の作品を演奏した後、氏がぽつりとこう言った。「あなたの演奏には、モーツアルトのピアニズムが欠けています。古典ロマン派を弾くことを避けて現代音楽のスペシャリストを目指したと想像できるこのピアニストにとっては厳しいコメントだが、反対に、譜読みが遅く、テクニックにも自信がなく、『現代音楽の演奏』に大きなコンプレックスを持っていた当時の私には、一筋の光が射したような心持ちだった。決してモーツアルト生誕地ザルツブルグにかこつけた「お愛想」ではないこの一言は、音楽史における鍵盤楽器、人間の10本の手の指が実現できる表現技術の可能性を開いた天才、偉大な作曲家であるバッハ、ショパンと並ぶモーツアルトのピアノ作品の重要性を、200年後にベリオが改めて喚起したということなのだ。ベリオとモーツアルト、一見はるか遠い世界と思われがちな2人は実は深い所で繋がっているという事を知った私は、以来氏の音楽をより人間性に満ちたものとして聴く様になった。
その後何度もイタリアを訪れる様になって、あの懐の深い眼を見張るような絵画彫刻建築と音楽の伝統を知り、ボッティテェリの絵画や、色とりどりの偉大な大理石の空間が、ベリオを始め現代のイタリア人達の中に確実に生き続けていることをはっきりと理解することができた。
2.音楽を聴くという行為。
5月号のコロナ災禍特別寄稿で、音楽を演奏する側としての『時間の観念』について書いたが、反対に、音楽を聴く側はどのようなプロセスがあるのだろう。『音楽を聴く』と一口に言ってもその人の音楽体験、専門的な勉強の有無によって、段階ごとに様々な聴き方がある。
1)音楽その物の和声や音色に惹かれて心地よく楽しむ。
2)それぞれの楽曲の内容を物語として感動を持って聴けるようになる。
3)音楽理論の知識を学ぶと、作曲のされ方、様式、主題、展開、再現などを意識的に建築物のように捉えて作曲者の構想やその裏に隠れた哲学なども聴けるようになる。
4)音楽を更に専門的に学ぶようになると、奏者のテクニックの善し悪しや演奏解釈、更には師事した教授や出身地、流派までを聴きながら理解できるようになる。
5)プロの演奏家又は楽器の専門家になると、演奏者が使う楽器の音色、その長所短所、ピアノやチェンバロならば調律方法やその善し悪しなどの詳細も聴きとれるようになる。
6)録音経験を積んだ演奏家や録音技師になると、マイクの設置位置と質、会場の音響などの善し悪しを瞬間的に聴き取り評価できるようになる。
このように『聞こえる』『聴く』という行為には沢山の段階と可能性が存在する。水面の面積が小さくとも水面下に数百メートルにも渡る深い世界(水深)が存在するという東北の『田沢湖』や北海道の『支笏湖』の神秘的な湖面の色を私は思い浮かべる。
ちなみに私は、音楽を専門的に勉強し始めた学生時代後半から、前述の(4)以上の聴き方をする場合が多く、全く専門外の楽器編成かオーケストラや合唱作品でない限り、詳細までを聴いて往々に「厳しく評価」しがちになるので正直困惑することもある。
又、CD録音を体験すると、録音技師や音楽監督といった、音響、空間、マイクを扱うプロの方々のの耳の鋭敏さにいつも驚かされ、聴くと言う行為の奥深さを再認識、音楽学校で学べなかった多くの事を勉強させていただいた。
3.ジョルジュ・クルターク氏
西洋音楽の発祥の地、ヨーロッパにいると、まだご健在の著名作曲家やその子孫と出会って教えを受けたり演奏を聴いていただく機会が意外と頻繁に訪れる。1月号で触れた様に、パリ音楽院の始めの2年を大作曲家メシアン夫人であるイヴォンヌ・ロリオ女史 (Yvonne Loriod-Messiaen, 1925-2010) のクラスで学んだご縁でメシアン氏ご出席の元で氏の作品を演奏する光栄を頂いた。又、個人的には面識はなかったが、大変に尊敬されていた作曲家デュティーユ (H.Dutilleux)、ジョリヴェ (A.Jolivet) などもパリ音楽院やコンサートでお見かけすることが多かった。
1989年、ハンガリーの大ヴァイオリニスト、名教授として知られていた、シャンドール・ヴェーグ氏 (Sándor Végh, 1912-1997) が創始者・音楽監督としてイギリスの最西端で始まり今でも開催され続けている大変高レヴェルの室内楽マスターコース IMS Prussia Cove に単身赴いて、同じくハンガリーの大御所、作曲家、ピアニストであるジョルジュ・クルターク氏 (György Kurtág,1926- ) のレッスンを受けた。11月号でも触れたように、私は桐朋学園の3歳児教室でコダーイシステムによって音感教育を受けたご縁もあり、ハンガリーの音楽と、ハンガリーとドイツの演奏の伝統に尊敬と親近感を抱いてきた。
氏の細かく厳しい室内楽レッスンの評判は、教鞭を取られていたブタペストのリスト・バルトークアカデミーから伝わっていたが、そのとおり、2時間かけて2−3ページしか進まないという厳しさで、氏が納得できる「音楽的フレージング」が弦、ピアノ共に表現できるまで、何度でも繰り返させられた。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタで、生徒の私が、ピアノの繰り返す速いパッセージをつい、機械的に、練習曲のように弾いてしまった際の氏の、あの「怒りと失望」に満ちた眼差しは忘れられない。それは演奏家として『許されるべきでない』態度だったのだ。氏の教えはあくまでも『スパルタ』という意味ではなく、芸術の崇高さの前に必要不可欠な、氏が自分自身の芸術に対して課して来たであろう『極限に近い自己への厳しさ』を私達若い世代が知り、未来に受け継ぐ、という『芸術家としてのあり方の教え』に尽きると私は考える。
Youtubeでピアニストとしてのクルターク氏を、夫人との4手連弾のヴィデオで試聴できる。実際のレッスンで生徒と同じピアノでお手本を示してくださった氏の音色は真に偉大だった。これほど、ピアノという楽器に魂を込め、ピアノの『響板』を真に響かせられるピアニストは他に類を見ないと言っても過言ではない。
https://www.youtube.com/watch?v=Z8lTh58jhA8
4.フランコ・ドナトーニ氏
1992年にはイタリアの個性的な作曲家、フランコ・ドナトーニ氏 (Franco Donatoni, 1927-2000) がパリ音楽院に招かれた。ちょうどこの時期、ガブリエル・ピアノカルテットは氏の作品で、世にも稀な難曲『ロンダ』というピアノ四重奏曲を重要レパートリーとし、パリ音楽院第3課程の入試(首席入学)、最高位を受賞したヴィオッティ国際コンクール室内楽部門、日本公演でも各地で演奏して大成功を収めていたことからお声がかかり、パリ音楽院でのレクチャー及びラジオフランスの演奏会で氏ご出席のもと演奏し、大変喜ばれお褒めをいただいた。この曲は、絶えず変化するテンポと、しばしば『奏者ごとに違う』音価や拍を、ページをめくれるような休止場所がないために縮小コピーを張りつめた巨大な譜面とにらめっこしながら、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4人が、正に「阿吽の呼吸」で、指揮者なしで演奏する作品だ。4人の奏者達の脳内で起こっている光速に近い思考、集中、ストレスとは反対に、聴衆には冗談っ気に満ちた『心地良い曲』として耳に入ってくるのだからたまらない。とても光栄な体験だったが、大胆な楽想、マニアックに近い難しさを保つ作品と一見対照的な、氏の『超・楽観性』や笑顔に満ちた『超・人間らしさ』に、私達は少なからずド肝を抜かれた。「複雑な、時には理解不可能な譜面を書く職人」として見てしまいがちな現代に生きる作曲家のシンプルとは言い難い人間性を垣間みた忘れ難い出会いだった。
(1月号へ続く)
(2020/12/15)
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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/