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撮っておきの音楽家たち|レオン・フライシャー|林喜代種

レオン・フライシャー(ピアニスト、指揮者)
Leon Fleisher, Pianist, Conductor

2007年1月15日 銀座・王子ホール
2007/1/15 Oji Hall
Photos & Text by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

アメリカの名ピアニスト、指揮者のレオン・フライシャーがメリーランド州ボルティモアのホスピスで亡くなった。92歳だった。1928年7月23日アメリカのカリフォニア州サンフランシスコに生まれる。4歳でピアノを始める。アルテュ―ル・シュナーベルに師事。レオン・フライシャーの10歳代のほぼ全ての時期に渡って楽曲および解釈・表現を磨くように指導。この時期のシュナーベルの影響は強く、レパートリーにおいて内面的な深みを重んじる演奏であり、技術的な誇示は少しもなかった。
16歳のときピエール・モントゥー指揮ニューヨーク・フィルとの共演でカーネギーホールにデビュー。このときモントゥー「100年に一人の才能」と賞賛。1952年24歳の時にエリザベート王妃国際コンクール・ピアノ部門で第1位を勝ち取る。その後、ベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲をクリーブランド管弦楽団と録音する。このLP盤は今も名盤として残っている。
しかし1965年37歳の時、原因不明の病に犯され(のちにジストニアと診断)、右手の麻痺に襲われる。しかしフライシャーは左手のためのピアノ曲もあることに気付き、ラヴェル「左手のための協奏曲」のような曲を多く弾きスペシャリストとなる。小澤征爾のボストン交響楽団と共演し左手のための作品アルバムを制作している。また指揮者としても活躍し、新日本フィルなどを弾き振りで共演している。そして2007年1月右手が40年振りに復活し東京などで驚異のリサイタルを開く。
プログラムは両手と左手のプログラムを交互の演奏し、左手だけの演奏も素晴らしさを披露。レオン・フライシャーの詩情豊かな音楽で聴く人を魅了した。復活した両手演奏のCD「ツゥー・ハンズ」はシューベルトの最後のピアノソナタが評判になった盤。

(2020/10/15)