パリ・東京雑感|トランプ大統領が負けてもアメリカに民主主義は戻らない?|松浦茂長
トランプ大統領が負けてもアメリカに民主主義は戻らない?
Are We Witnessing the End of American Democracy?
Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
新型コロナを軽く見た政治指導者は、ブラジルのボルソナーロ大統領もイギリスのジョンソン首相もコロナに感染したので、トランプ大統領が新型コロナにかかったと聞いたときは「やっぱり」と妙に納得してしまった。
それよりも、9月にもっとびっくりする報道があった。新型コロナについて、トランプ大統領は、ごく早い時期に正確な知識を持っていたというのだ。ウォーターゲート事件の報道で有名なボブ・ウッドワードが9月に出した本によると、彼が2月7日にインタビューしたとき、トランプ大統領は「新型コロナは激烈なインフルエンザよりずっと命取りだ。(致死率)5パーセント!インフルエンザで死ぬのは1パーセント以下なのに。」と、模範的な理解を示している。
ところがその同じトランプ大統領が、国民に向かっては「(新型コロナの致死率も)1パーセント以下だ。」とか、「4月になれば、奇跡みたいに消えてなくなる」とか演説し、飛沫感染、空気感染を完全に理解しながら、マスクを軽蔑し、大きな集会を開かせた。アメリカが20万人を越える死者を出したのは大統領のせいなのだが、疫病の怖さを十分知りながら、お粗末な感染対策で国民を死に追いやった理由をどう考えたら良いのだろう?
アメリカのジャーナリストも、ウッドワードの暴露にはびっくりしたようで、「トランプ大統領にこんな面があるとは知らなかった」と書いている。経済学者のポール・クルークマンは、「これまでコロナ対策の失敗は大統領の怠慢だと考えていた。たとえて言えば、スピード違反や信号無視で人をひき殺すようなものだと。ところが私は間違っていた。彼は無能だったのではなく、インモラル、犯罪的だったのだ。」と驚いている。
2月初めに新型コロナの怖さを理解できるだけの頭脳の持ち主だったら、感染をどれだけ食い止めるかが大統領自身の人気に直結することだって理解できるはずだ。それなのになぜ?クルークマンは「最愛の株式市場を脅かさないため。株価を支えるには数万のアメリカ人の命を犠牲にする必要があると思ったのだ」と言う。説得力のある解釈だ。でも、トランプの悪魔的二枚舌は貪欲だけで説明がつくだろうか?
7月の世論調査で、新型コロナを健康上の大きな脅威と見なす人が、共和党寄りのアメリカ人には46パーセントしかいない。何万人が死んでも、過半数はインフルエンザ程度の伝染病と感じている。なぜこれほど頑なに疫病の脅威を否定するのか?まるで、コロナ軽視が、忠誠の証し、神聖不可侵な信仰箇条であるかのように。
トランプ大統領には、岩盤支持層と呼ばれるグループが付いている。新型コロナの感染者数770万人、死者21万人の数字を突きつけられても、トランプへの信頼はびくともしない。コロナ前と同じ40パーセントを越える人気である。彼らはよほど馬鹿なんだ、と思いたくなるが、これほどの盲目的信頼には理由があるはずだ。何が彼らをそれほど引きつけるのだろう。おそらくそれは、人種的恐怖だ。
白人の福音派キリスト教徒は、なぜ圧倒的にトランプ支持なのか?本来福音派とトランプは水と油のはずなのに?福音派は聖書を字句通り守り、性のモラルを大切にし、隣人を愛することをモットーとしてきた。トランプはちょうど正反対。女性を襲ったことを自慢し、3回結婚し、ギャンブルで財をなした。偏狭な人物と親しくし、自分の罪の許しを請うなんてとんでもない。大統領としては、移民・難民をシャットアウトし、嘘を連発し、聖書の教えの正反対を実践した。それなのになぜ福音派の白人はトランプに失望しないのか?
アメリカの研究者もこの謎に挑み、「中絶禁止を実現するチャンスだから」とか、「最高裁に保守派判事を送り込めるから」とか、トランプの人物には不満だが、福音派の政治目標を実現してくれそうだから支持する、いわば一種の政治的取引だという解釈が一般的だ。
他方、トランプの「人となりにもかかわらず」ではなく彼の「人となりのために」支持するのだという解釈もある。白人キリスト教徒は、自分達があたかも絶滅危惧種の運命にあるかのように恐れている。この人種・文化的恐怖のために、彼らを守ってくれる心強い用心棒として、必死でトランプに頼るのだ。アイオワ州で白人キリスト教徒の声を取材したニューヨークタイムズの記事から拾ってみよう。
「今の時代、人が好き勝手に軽蔑し、馬鹿にし、からかえる相手がクリスチャンなのだ。でも、ようやく私たちクリスチャンは悪くないと言ってくれる男が現れた。」
「宗教の自由は奪われている。同性愛を信じないと、仕事がなくなる。逆立ちした不寛容。宗教の自由を守ってくれる貴重な男がトランプだ。」
「今の時代、自分のキリスト教信仰について口にするのは危険。私たちキリスト教徒は偏狭な人種主義者と思われている。ヘイトをまき散らす者。嘲笑の的。アメリカが抱えるすべての問題は、白人クリスチャンのせいだとされる。トランプはキリスト教道徳・価値を擁護してくれる。」
「オバマ大統領の時代に、同性愛とマイノリティーに自由が与えられ、私たちの自由は取り上げられた。私たちがマイノリティーになってしまったのだ。トランプは私たちの自由を回復してくれると思う。」
日曜には家族揃って教会に行き、食事の前にはお祈りするような家庭が普通でなくなったからと言って、宗教の自由が奪われるというのは、あまりに大げさではないか?黒人だって、ヒスパニックだって、教会は違うけれどクリスチャンだ。彼らの恐怖の原因は信仰ではなく、人種なのではないか?アメリカは近いうちに非白人がマジョリティになる。白人の特権が危機にさらされている。インタビューで彼らの言う「自由」を「特権」「パワー」と読み替えるとすんなり理解できるのではないか?(『新型コロナを手なずけた女性リーダーたち 自由を捨てる優しさ』)
ともあれ、彼らは存亡の危機感と恐怖を抱き、それを自分の信仰の問題と信じ込んでしまった。他のことなら妥協できても、自分の生き方の根本に関わる宗教となると妥協できない。タリバンではないが、宗教が旗印に掲げられると、極端に非妥協的、攻撃的な集団が出来上がってしまう。そうした過激集団の空気にトランプ一派のレトリックはぴったり波長を合わせている。
共和党全国大会では黙示録的(終末論的)な語彙が飛び交った。トランプの息子は民主党候補のバイデンを「ネス湖の怪獣」と呼び、チャリー・クラークはトランプを「西洋文明のボディーガード」と呼んだ。トランプ大統領自身は、「暴徒支配」を糾弾し、「あなた方が誰に投票するかで、法の尊重されるアメリカを守るか、それとも暴力的アナーキスト、市民を危険にさらす犯罪者どもが好き勝手をする国にしてしまうかが決まる」と演説した。
こんなSFアニメみたいな言葉使いは、「ホワイト・ジェノサイド陰謀理論」に由来するそうだ。この陰謀理論によれば、褐色と黒の人々が、人種差別反対者の助けを借りて、白人文明を破壊する。人種差別反対者は、「暴徒」「アナーキスト」「扇動者」と呼ばれる。白人世界を破壊する褐色移民は、「怪物」「ケダモノ」「白人に群がる働き蟻」。そして「人種差別反対者」は、「ケダモノ=褐色移民の召使い」であり「ヒューマニズムの優しいミルク」に汚染されている。(「ホワイト・ジェノサイド陰謀理論」を吹き込んだ張本人、トランプのスピーチライターであるスティーブン・ミラー補佐官も、十数人の大統領側近と一緒にコロナに感染した。)
有色人種とリベラルがもたらす破局という妄想に取り憑かれた陰謀理論だが、実際のところ過去30年間アメリカで起こったテロ事件は、左翼ではなく主として過激右翼によるものだった。現実と妄想は逆方向を向いている。もっとも、「ホワイト・ジェノサイド陰謀理論」は、陰謀理論としては常道を行く大人しいものかもしれない。世界を変えるような出来事は、一人の人間の意志とか、偶然の連鎖で実現するものではなく、深い原因と意味があるのだとする、それなりの合理性を備えているのだ。
ところがこうした古典的陰謀理論とは次元の違う新型陰謀理論が爆発的に流行している。古典的陰謀理論が、混沌とした現実から(強引に)意味を読み取ろうとするのに対し、QAnonと称する新型陰謀理論は、現実に全く関心がない。たとえば、
- 小児性愛者や人食い、「ディープステート(国家内国家)」と呼ばれる陰の政府、民主党の重鎮たち、ハリウッドのセレブや著名なユダヤ人たちが米国民を取り込もうと画策し、子供の人身売買をする。主流メディアはそれらを全て隠している。
- ヒラリー・クリントンたちが、ワシントンにあるピザ屋の地下で小児性愛者向けの売春宿を運営していた。
- リベラル派セレブは子供の人身売買に加担していて子供の血液から延命化学物質を採取している。
- この悪魔的な計画から世界を救えるのはドナルド・トランプ大統領ただ1人である。
- 新型コロナは存在しない。メディアのでっち上げだ……。
SNSなどで妄想を拡散する分にはまだ罪がないが、政治の表舞台に幅をきかせ始めたから穏やかでない。Qと大きく書いたTシャツを着て集会を開く。トランプの政治集会にはQシャツが大勢集まる。共和党議員の中にはQAnonに共鳴するものが出てきて、トランプのお墨付きまで得た……。ある調査によると、この荒唐無稽な陰謀理論を「大部分本当だ」答えたのが、共和党支持者の3人に1人。「一部は本当」と答えたのが23パーセント。全く信じないのは13パーセントしかいなかったという。
アメリカの母親達はQAnon信奉者でない層まで、自分の子が悪魔的秘密組織にさらわれるのでは、と本気で怖がるようになり、その結果、闇の世界に闘いを挑む救い主として、トランプへの女性の支持が増えているという。
トランプの岩盤支持者は、いまや妄想的教義を信奉する巨大なカルト集団と化してしまったかのようだ。
トランプ自身の方も、妄想カルト集団の期待に背くことはできないから、言動がますます常軌を逸してくる。もともとトランプが、容姿について女性を攻撃したり、身障者のレポーターをからかったり、ネオナチを擁護したり、ハイチは「くそ穴」だと侮辱したりしたのは、周到な計算の上だ。あからさまにポリティカリー・コレクトを嘲笑することで、リベラルや穏健派からシャットアウトされる存在であることを天下に明らかにする。対立集団から決定的に排除されるのは、自集団への堅い忠誠の証し。ことさらに自集団外の人の顰蹙を買う「目印」を付けると言う点で、ヤクザの入れ墨と似ているかも知れない。肝腎なのは敵と味方の間にあいまいさの残らない決定的区別をつけること。そうして分断と敵への憎悪を煽ることだ。
最初の疑問に戻って、トランプがみずから演じるトランプ像に忠実であるためには、「新型コロナは取るに足らない」と言うほかなかったのではないか?それこそ、入れ墨に匹敵する取り返しのつかない「目印」。軟弱な人種差別反対者どもとの違いを鮮明にする最重要の教義なのだ。新型コロナに感染してからは、一層ボルテージが上がり、「私がコロナにかかったのは神の恵み」と豪語している。周囲にウイルスをばらまきながら、疫病をねじ伏せた救世主を演じるのだ。
扇動の天才トランプによって、分断国家アメリカが完成した。敵対勢力はお互い譲歩・妥協はおろか、相手の話に耳を傾けることすら出来ない国になってしまった。政治学者のジェニファー・マコイは、「感情的分極化と非建設的党派心が激しくなるにつれ、敵の政党は国家と国民生活を破滅に導くと思い込むようになる。ライバル政党を国家の脅威とみなすようになると、権力者とその支持者は権力の座を手放そうとしなくなる。民主主義の危機だ。」と書いている。
たとえ、トランプが大統領のイスに留まる策略に失敗しても、国家の亀裂は修復不可能にまで深まってしまったので、「アメリカ民主主義の終焉を目撃することになるのでは?」と危惧する学者もいる。
(2020年9月30日、10月11日加筆)
(2020/10/15)