小人閑居為不善日記|TENETの「主人公」とは何者なのか――クリストファー・ノーランは「トランプ時代」をどう描いたか|noirse
TENETの「主人公」とは何者なのか――クリストファー・ノーランは「トランプ時代」をどう描いたか
What is the “Protagonist” of TENET? – How Christopher Nolan Described Age of Trump
Text by noirse
※《TENET》、《メメント》、《インセプション》、《インターステラー》の結末に触れている箇所があります
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U2と並ぶアイルランドの国民的ロックシンガー、ヴァン・モリソンが新曲《Born to Be Free》で政府のロックダウンに反対を表明し、物議を呼んでいる。彼はさらに同傾向の新曲を2曲用意しており、科学者が事実を歪め、人々の自由を奪うと歌っているらしい。
ヴァン・モリソンは元来政治とは距離を置いており、内面世界の表現を重視するソングライターだ。とはいえサイエントロジーに傾倒したり、スピリチュアリスト教会へのシンパシーを告白したり、一方では無神論者と嘯いてみたりと気まぐれな人物で、それだけに個人的には驚きはなかった。それでも政治に関しては超然としていた彼にとってキャリア50年余にして(おそらく)初のプロテスト・ソングがアンチロックダウンだったというのは、やはりインパクトがある。
こうした動きはヴァン・モリソンだけではなく、英国を代表するロック・アイコンのノエル・ギャラガーやイアン・ブラウンもマスク着用を拒否(イアンはロックダウンについての新曲〈Little Seed Big Tree〉をリリース)。4月にはアンドレア・ボチェッリが「ロックダウンは屈辱」と発言した。
ボチェッリはともかく、ヴァンやノエルの態度は、ロックの文脈に則ればむしろ正統的だ。ロックは永らく反体制のイメージを纏ってきた。ロックダウンやマスク着用を強制する権力に抵抗し、「今はたくさんの自由を奪われている状態だ」と述べるノエルの態度は反体制という意味では一貫としており、従順に要請に応じるミュージシャンよりよほど「ロック」だと言えよう。
一方アメリカの大統領選挙を見ていると、現職のトランプ側に反体制を謳う保守自由主義者が集うという矛盾した状況となっている。自由主義者は通常、政府や権力に容易には従わないものだ。そこに大統領がライドする図式はやや倒錯してはいるものの、その倒錯性でもって支持を広げようとするジョーカーめいた戦法は、生真面目な民主党より巧みではある。
わたしは大統領選はトランプが勝利すると考えている(ただし、この原稿を書いている今、トランプがCOVID-19に感染し、さらに予測がつきにくくなっている)。事前調査ではバイデン優位となっているが、そんな情報が役に立たないのは前回の選挙で明白だ。
トランプ優位と見る理由は色々あるので省略するが、マスクひとつ取ってもそうだ。ノエル・ギャラガーやトランプ支持者が何と言おうと、一定の状況下ではマスクの着用が好ましい。しかしそれが分かっていても、過密した集会でマスクを外している光景は、見る者に一定の感情――早くマスクを着けないでいい状況に戻りたいという憧憬――を呼び起こすだろう。一様にマスクを着用した、見るからに息苦しい民主党員の姿と、一面に笑顔を浮かべた共和党員のそれとでは、心の奥底では誰しもが後者の状態に好感を抱くはずだ。その時点で共和党は、民主党に一歩リードしている。
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先日、話題の映画《TENET テネット》を見てきた。監督のクリストファー・ノーランは毎作奇抜な設定を課して人気を得てきた才人。今回のコンセプトは「過去に遡る」ことだ。同趣向の映画は山ほどあるが、タイムマシンなどを使うのではなく、特殊な「回転ドア」をくぐった者だけ時間が逆に進んでいくという趣向がミソで、1時間前に戻るには1時間、1週間前に戻るには1週間の時間が必要になる。
主人公には名前がない(日本では「名もなき男」と表記されているが、本来は主人公を意味する「protagonist」とクレジットされているのでそれに準じる)。彼はCIAの工作員だったが、時間を逆行して世界を破滅させようという武器商人セイターを止めるため、TENETという組織にリクルートされる。やがて「主人公」は、セイターから虐待を受ける妻のキャットに惹かれていく。
ノーランの代表作をピンポイントに見ていくと、設定こそ毎回凝っているものの、本質的には同じ主題を繰り返し語っていることが分かる。初期作《メメント》(2000)は妻を殺害された男の犯人探しだが、主人公は怪我により前向性健忘を患っており、映画も時系列を遡行していく。《インセプション》(2010)は夢に侵入する話だが、夢の最深層のイメージは主人公が亡き妻と築き上げた思い出の場所だ。《インターステラー》(2014)は恒星間航行SFだが、時空を超えて過去に戻るのがミソ。つまり、全部「昔はよかった」、「昔に戻りたい」という内容なのだ。
だが《TENET》では今までと大きく相違する点がある。今までの主人公は、過去に遡っても望むものは得られなかった。《メメント》の主人公は残酷な事実を突き付けられ、絶望するしかない。《インセプション》の主人公は家族のもとへ戻るが、それもまた夢かもしれないことが示唆される。《インターステラー》の主人公は娘との再開を果たすが、彼の帰還があまりに遅かったせいで、娘は余命幾ばくもない状況だ。
このようにノーラン作品では、過去への拘泥と喪失感がワンセットとなっていた。「昔はよかったが、過去に戻ってやり直すことはできない」というのが、彼の一種の矜持だったと言っていい。
しかし《TENET》は違う。「主人公」はキャットを失うことなく、守り続けることに成功する。そればかりか「主人公」は、セイターに代わって、すべてを自由にできる立場を得るのだ。
3
「昔に戻りたい」という感情は保守思想に絡め取られやすい。欧米でも日本でも、昔の方がよかったという感情が保守や右翼の支持の原動力となっている。《メメント》の頃はそうでもなかったと思うが、いつしかノーランの回顧主義は、今の世相とフィットするようになってきた。
《TENET》で気になったのは、繰り返される「理解しようとするな、感じろ」というブルース・リーばりのセリフだ。時間遡行を支える科学的な設定も用意されてはいるものの、もちろん穴は多い。そこで「感じればいい」と登場人物に言わせるのは随分雑ではあるのだが、これがまたファクトを軽んじ、フェイクニュースを受け入れる人々を想起させる(なおtenetには「信条」という意味があり、これも同じ含みを感じさせる)。
というと反論がありそうだ。世界を破滅させようというセイターの動機はなんとも浅墓なもので、自分の都合で行動するトランプ側に近く、それを阻止する「主人公」側にノーランは立っているのだと。
だがそれは見方が甘い。「主人公」はセイターのあとにその座に就き、時間という武器を手中にして、遠くからキャットを見守り、邪魔者を排除する。つまり彼は、キャットを独占する立場――セイターと同等のポジションである――に立ったのだ。
「主人公」はセイターと本質的に変わらない、危険な人物だ。「主人公」に名前がついていないのは、正義のスパイにも危険な人物にもなり得る、ニュートラルな存在としたかったからかもしれない。
これは何を意味するか。SNSなどでの保守とリベラルの政治論議を眺めていると、意見の異なる相手を尊重し議論を深めるのではなく、互いの信条を譲らずぶつけ合い消耗しているだけで、やっているのは同じだ。
保守とは過去の慣習にこだわるものだが、リベラル側も一切合切未来志向なわけでは決してない。最近のリベラルは、ネットやSNSが登場する以前に通用していた理想像にこだわるあまり、現実を直視できていないフシがある。「過去に戻りたい」という意味でも、保守とリベラルは似た者同士なのだ。
《TENET》のマスクに注目してみよう。時を遡る際は呼吸ですら逆行するため、常に酸素マスクを着けなくてはならない。時間を逆行するのは「主人公」側の組織だけでなく、セイター側からも大量の刺客が放たれる。そのせいで両陣営共にマスク着用率が高く、観察力の欠けた人間(わたしのことだ)には何が起きているのか分かりにくく、その分娯楽性が犠牲になっているきらいがある。
ちょっと気の利いた監督ならいくらでも打開策を講じるだろうが、ノーランはそうしない。まるでどちらの陣営も本質的に変わりはしないことを強調するようだ。「主人公」とセイターのように。
ノーランは政治的な立場を明確にはしないタイプだ。どの作品も政治的な領域には踏み込まず、どのような信条の持ち主でも楽しめるような内容になっている。時代に流されにくい、超然とした作品を作りたいと考えているのだろう(ノーラン自身は民主党支持者らしいが)。
しかし《TENET》はこれまでと異なり、過去にこだわる者を危険視して描くことまで踏み込んだ。これは一種の自己批判でもある。《TENET》にメッセージがあるとすれば、過去を美化するなというものだろう。だがノーランは回顧主義者だ。つまりノーランは、回顧主義者たるノーラン自身をも信用するなと言っているのだ。
「主人公」とセイターには、ノーラン自身がある程度投影されているのだろう。3人とも過去にこだわり、そしてある種の権力者でもある。トランプ支持者は回顧主義者かもしれないが、民主党支持者だってそうでないわけではない。リベラルな人間でも、少なからずヴァン・モリソンやトランプ支持者と同じ感情を抱えているはずだ。それを見つめ直さない限り、ノーランが描いたような似た者同士の争いが続くだろう。《TENET》は、誰よりも過去にこだわるノーランが自らを掘り下げたからこそ達成した、2020年にふさわしい「政治的な映画」だが、(残念なことに)普遍的な作品でもあるのだ。
(2020/10/15)
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noirse
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