ランチタイム・コンサート vol.10「華麗とエレガンスとポエジー―ロマン派ピアノ曲の精髄を味わう―」|佐藤馨
ランチタイム・コンサート vol.10「華麗とエレガンスとポエジー―ロマン派ピアノ曲の精髄を味わう―」
Lunchtime Concert vol.10 ≪Brilliance, Elegance and Poesy≫
2020年9月2日 住友生命いずみホール
2020/9/2 Sumitomoseimei Izumi Hall
Reviewed by 佐藤馨(Kaoru Sato)
Photos by 樋川智昭/写真提供:住友生命いずみホール
〈出演〉 →foreign language
ピアノ:岡田将
企画・構成、お話:岡田暁生
〈曲目〉
メンデルスゾーン:ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14
リスト:スペイン狂詩曲
ワーグナー/リスト編:イゾルデの愛の死
~休憩~
ブラームス:ラプソディ第1番 ロ短調 Op.79-1
ショパン:バラード第4番 ヘ短調 Op.52
シューマン:パピヨン Op.2
住友生命いずみホールのランチタイム・コンサートはもともと、音楽評論家の日下部吉彦の発案により、1992年から2017年にかけて行われた長寿企画だった。公演は全100回を数え、日下部は毎回の企画・構成に加え、コンサートのナビゲーターとしてレクチャーも行っていた。そんな名物企画が2018年、新ナビゲーターに音楽学者の岡田暁生を迎え、「新ランチタイム・コンサート」として再スタートした。今回行ってきたのは、その第10回公演である。
私は本来、あまりこの手のコンサートに行くことがない。プログラムがどうしても、いわゆる「名曲選」になりがちで、つまらないからである。住友生命いずみホールのみならず、各地の音楽ホールで平日昼の企画は定番となりつつあるが、プログラムを見ると中身はどこでも似たり寄ったり。昼の集客の難しさにも起因するのだろうが、猫も杓子も幻想即興曲というのでは、さすがに聴く側としても萎えるし、端からはコンサートの中身を名曲に頼っているようにも見える。名曲を並べるのが悪いというのでもないが、名曲を並べただけのコンサートには聴くべきものがないと思う。
しかし何よりも、名曲を使い回しているようなこの状況には、新しい音楽と出会う楽しみや興奮が欠落している。初心者でも肩肘張らずに楽しんでもらおうと、多くの人に馴染みあるような名曲を選ぶという話はよくあるが、しかしそれは同時に、聴衆を名曲という偏狭な枠内に囲い、美化され理想化された、お行儀の良い「クラシック音楽」の形骸を彼らに刷り込むようなものでもある。極端を言えば、名曲という尺度に照らした鑑賞態度を規定して、聴く人がクラシック音楽の版図を広げて名曲の外へと向かう可能性をも奪っているように見えるのだ。もちろん、音楽の聴き方や楽しみ方は人それぞれと言われれば仕方ないが、もし「名曲」のみを信奉して疑わない人がいるとすれば、お節介ながら、ぜひ名曲の外に飛び出すドキドキにも触れてほしいとも思うのである。そのようなドキドキのきっかけを、果たして現今のコンサートは与えられているだろうか。今あるコンサートが、未来の音楽文化を支える聴衆を育むための潜在的な場になっていると、一人でも多くの演奏家ないしはコンサートプロモーターが積極的に意識せねばならないのでは、と私は思う。そしてこんなことは、もっと以前から言われていたはずなのだ。
では、住友生命いずみホールのランチタイム・コンサートはどうだったか。
この企画の肝はやはり、企画・構成を務める岡田暁生の存在であろう。公演ごとに興味深いテーマが掲げられており、よくある名曲コンサートとは違って、必ず彼ならではのアイディアとアクセントを盛り込んだプログラムが用意されている。また、岡田はナビゲーターとしてステージに登場し、楽曲のレクチャーや演奏家とのトークを繰り広げるのだが、学者としての含蓄に裏打ちされた軽妙なおしゃべりも公演の魅力である。これらがトータルで、このシリーズを面白い企画として成り立たせている。
今回の公演は、ロマン派ピアノ曲の世界を「華麗・エレガンス・ポエジー」という3つのキーワードから眺めるというものだった。当時のサロン文化などにも言及しつつ、これら3つの言葉が当時のピアノ曲の核心ともいえると岡田は語った。もちろん、これだけでロマン派ピアノ曲が全て語れるわけではないが、たしかに、この時代に花開いたサロンにおいて、ピアノ曲は華麗さで耳目を集め、洗練さで心を惹きつけ、詩情で聴く者をうっとりさせるべきものであった。こうした社交的ツールとしての側面は創作に大いに影響しており、いうなれば、ロマン派しぐさのようなものがそこには見出せよう。
今回のプログラムに並ぶ5人の作品は、いずれも上述のキーワードにある性質をよく満たしているが、「こういった曲の演奏なら彼でなければ!」と岡田たっての希望で出演したのが、ピアニストの岡田将である。私は以前から、彼に対して鉄人というイメージを抱いていた。リスト国際コンクールの覇者ということもあって、鍵盤上をくまなく征服するピアニズムが彼の演奏の醍醐味だと捉えていたのだ。それが今回、彼の演奏に直に接してみて、岡田将は「本物のヴィルトゥオーゾ」であると認識を新たにした。スペイン狂詩曲やバラード第4番のような絶技を前に臆せず、まるで何の労苦もないかのように弾き切る、その姿は天性のヴィルトゥオーゾのそれであった(ソロモンやフォルデシュ、ミケランジェリを彷彿とさせる)。メンデルスゾーンにおける上品な歌と小粋な弾き様、ブラームスにおけるじっくりとした運びとたっぷりした音色もまた、彼の多彩な引き出しを感じさせるものだった。弱音においても痩せず、歌を乗せるに余りある豊かな音色は、特に言及せねばなるまい。芯が太く、それでいて贅肉のない健康的な音でピアノが隅々まで鳴らされる、あの快感は彼以外のピアニストではなかなか味わえるものではない。逆に、ピアノという楽器を鳴らすことの難しさも理解された。
最後の『パピヨン』は、岡田将の希望でプログラムに入れられたものだった。ロマン派ピアノ曲作家としてシューマンが外せないという以上に、「憧れ」というロマン派の重大なテーマを表すものとして、この選曲は非常に意味深かったといえる。技巧的には易しい部類の曲なので、岡田暁生はこのリクエストをやや意外に思ったようだが、むしろ彼ほどの盤石な技巧の持ち主がその余裕を詩情へと注ぐことで、美演が生まれたのである。シューマンがジャン・パウルの小説から夢見た仮面舞踏会の情景、そのめくるめく煌びやかな、時にはお祭り騒ぎな移り変わりが、私の中を駆けめぐるようであった。
あまり大きな期待はせず、よくあるランチタイム・コンサートの一つと思って行ったのだが、結果として大変な満足を得ることができた。岡田暁生が次回公演のお知らせで言っていたことだが、コンサートの演奏家はすべて岡田自身が太鼓判を捺した人たちであり、「決して聴衆の期待を裏切ることはない」と大変な意気込みであった。実際に、私は期待以上を耳にできたわけである。このような、期待を上回る、または良い意味で裏切られる経験がなければ、どうしてコンサートに行くものだろうか。次回12月のランチタイム・コンサートもすでに発表されているが、なかなか面白い内容で、大変そそられる。
(2020/9/15)
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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士前期課程2年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。演奏会の企画・運営に多数携わり、プログラムノート執筆の他、アンサンブル企画『関西音楽計画』を主宰。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。
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〈cast〉
Piano:Masaru Okada
Talk:Akeo Okada
〈program〉
Mendelssohn:Rondo capriccioso in E major, Op.14
Liszt:Rhapsodie espagnole
Wagner/Liszt:Isoldes liebestod
Brahms:Rhapsody no.1 in B minor, Op.79-1
Chopin:Ballade no.4 in F minor, Op.52
Schumann:Papillons, Op.2