特別企画|日本フィル×杉並公会堂×杉並区 「コロナ収束を願うコンサート」|丘山万里子
日本フィル×杉並公会堂×杉並区
「コロナ収束を願うコンサート」~ソーシャルディスタンスでの再出発
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 山口敦 /写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団
コロナ禍により2月29日以降今月末まで47公演が中止あるいは延期となった日フィルだが、緊急事態宣言解除後初の生コンサートが杉並公会堂で開かれた。
日フィルと杉並区は1994年、音楽を通し区民との豊かな交流と地域文化の振興を図るべく友好提携を結び、2019年には25周年を迎えている。
来月7月10日からの本格的再始動に向け、日フィル・杉並区・フランチャイズホール杉並公会堂の3者が協同し、6月13日から6日間COVID-19の収束を願うコンサートを開催との知らせ。“新しい生活様式”のトライアルとして各日100名(ホール客席は1190席)、うち区民公募が2日、その他はクローズド公演だが取材可とのことでその初日、強い雨の降りしきる午後、公会堂へ。
筆者は前日、都響の試演会にも出かけ「生音」に震えた。コンサートホールに向かうとは、こんなにも気持ちが高まるものであったか、と改めて思う。上野駅も文化会館も、荻窪の街並みも杉並公会堂も懐かしくすらあり(この公会堂小ホールで3月24日に現代音楽を聴いたのが筆者のコロナ前最後の生公演であればほぼ2ヶ月半ぶりなのだが、遠い昔に感じる)、それは「禁じられた」がゆえの「渇え」、前と後(ではないが)の日常のあまりの相違がなせるわざであろうと思う。
もちろん入り口では検温と消毒液、傘はビニール袋に入れ持ち込み(いつもと反対ですが、とスタッフ苦笑)で番号の席に着く。ソーシャルなんとかで1席おき、この日は約60名とのことだ。客席に整然とパラパラ、頭が並ぶ。ステージにはいつもとやや離れた感じで椅子と譜面台4つ、今日は弦楽四重奏なのだ。
後藤悠仁常務理事から「本拠地のこのホールでは1月以来4ヶ月ぶり、お客様を迎えての公演。全員が自分たちにとって何が大事かを考える良い時間でもあった。そこで得たものと、改めて皆様への感謝の気持ちを込めてこれからの活動を進めて行きたい。ご支援のほど。」との挨拶。
照明が落ちる。それだけで、それだけで感動してしまうこの気持ち、これが待ちに待った「生」。動画配信じゃない「生」なんだ。
4人着席、チェロが歌い出す『パッヘルベルのカノン』。1vn、2vn、vaと重なってゆく響きと線。響きは振動し身体に伝わってくる例えば床板を、壁を通して。線は空中に描かれて聴き手をいざなう例えば弓の動きを、楽器上の運指を通して。眼前の「人」の体温と呼吸と鼓動と圧と吸引と輝きと翳りと、とにかくそれらの総体が「生」の音楽を生み出すその流れに自分もまた共にあるということ、音楽とはそういうものだ。そういうものなのだ、やはり。
1曲目を終え、2v(加藤祐一)がやおらマスクを装着、マイクを取る。
「ガイドラインに各々1.5mの距離を開けること、で、少し離れているからお互い聴きあったりのコンタクトが取りにくい。話すときはマスク装着必須、マイクの使い回し禁止ゆえ、自分が喋ることに。
6/10@サントリーでの無観客公演、客席の拍手もなく「寂しいなあ」。みんなすごい疲れたと言っていた。こんな風にお客さんがいてくれて、拍手してくれて、こんなに嬉しいことはない。これを絶対なくしちゃいけない。必ず元に戻る!」
筆者、かなり胸が熱くなる。
私たちは両方とも「当たり前」に慣れ過ぎていた。たぶん。
「自分たちにとって何が大事か考える時間」は、とても大きな学びだったのだ。
盛りだくさんな内容の約1時間(45分の予定だったが)。
ハイドンの『皇帝』第2楽章、日本の歌3曲、「歌っちゃだめなので、皆さん心の中で歌ってください」と『夏は来ぬ』『海』『浜辺の歌』。クライスラー2曲『愛の喜び』『美しきロスマリン』、モーツァルトの『ディヴェルティメント』、アンコールにバッハの『G線上のアリア』。
終わったら一人の年配紳士立ち上がっての拍手。それはホールをどよもす興奮のスタンディングオベーションとは違う「ありがとうよ、君たち」の感謝だ。
もう一度思う。私たちは両方とも、弾く方も聴く方も「慣れ過ぎていた」たぶん。私たちのような批評家は特にそうかもしれない(厳しく戒めていても人は慣れ、惰性に堕ちる)。
こういう紳士の謝意をこそ、私たちはいつもいつも心に持たねばならないのだ。
なぜ、音楽が必要か。
それは、私たち、音楽を聴き何事かを書く人間が真正面から考え、語らねばならぬことだ。
難しいがそれでも、それをきちんと記述しようと努力せねばならない。
筆者などもう何十年、何事かを書き続けてはいるのに、ちゃんと書けていない。
ところで、昨日今日と久しぶり生演奏を聴いて、こういう時に力になるのは断然モーツァルトだ!と思った。
今年はベートーヴェンイヤー(コロナでどっかへ飛んでしまったが)。でも、たぶん私たちの今を潤してくれるのはベートーヴェンでもバッハでもなく、モーツァルトという気がする。なぜ?
この人は人生の「愉悦」というものを知っているから。
『フィガロ』序曲の、音符たちに羽が生えて天空に翔んで行くようなあの軽やかさは、私たちの沈んだ気持ちをぱっと明るくしてくれる。
『ディヴェルティメント』もまた、さっと陽光が射すみたいな気分にしてくれた。
ざんざん降りの帰途、バスを降りたら優しい雨脚になっていた。
みんな、初心に帰り、解禁になったらホールに行こう!
生を聴こう!
2020/6/13記
(2020/6/15)
<演奏>
1vn: 遠藤 直子
2vn: 加藤祐一
va: 小中澤 基道
vc: 山田 智樹