特別企画|コロナ危機と時間|金子陽子
コロナ危機と時間
La notion du temps sous le Covid19
Text & Photos by 金子陽子(Yoko Kaneko)
『時間』を軸として、コロナ危機をめぐる様々な場面にフォーカスを当ててみた。
◆歴史的時間
コロナウイルスは中国での集団感染発生から3-4ヶ月にして世界に広まり膨大な犠牲者を出しつつ、ほとんどすべての国家の経済と人々の動きを同時に停止状態に陥れている。フランスでは5月8日に犠牲者が2万6000人(うち介護施設で9600人以上)を超えた (自宅での死者数は含まれていない)。高齢者介護施設の感染状態の把握が遅れ、犠牲者の激増に私達は驚愕した。入居者の3分の1以上が亡くなった施設もある。
第2次大戦又は1929年の世界恐慌以来という歴史的な事態に私達は今遭遇している。
◆停止した時間、試練の時間
フランスで3月16日から5月10日まで続いた教育機関の全面閉鎖と外出禁止生活は、生活必需品の買い物と1日1時間、自宅1キロ以内の散歩が許され、一緒に住んでいない人は家族でも会うことが禁止という厳しいものだったが、壮絶な医療現場の様子がメディアによって報道されたことと、厳しい罰金制も功を奏してかなり守られ、医療体制の崩壊が「辛うじて」回避できたといえる。専門家によると、この外出禁止令がなかったら、フランスの犠牲者は低く見積もっても「6万人以上加算」されていただろうと言う。
医療、製薬と介護に関わる方々には感染の危険も相まって生死が関わる過酷な労働の日々に、舞台芸術関係、飲食業、文化施設の関係者は仕事が無くなり、失業や破産の危機に脅かされながらの自宅待機となり、突然時間がストップしたかのような生活に突入した。
2週間目には「閉じこもり生活」に慣れた人も多いように感じられた。出張や休暇で世界を飛び周り、多くの刺激を受け、消費し、忙しさと共に得られていた(と感じていた)充実感は、自宅内で、読書やインターネットを駆使して自分の内面への「選べる旅行」からも享受できることに気がつく。小さい子供が複数いる家庭では、子供達の学習のサポートと三食とテレワークをこなさなくてはならなくなった親達が悲鳴を挙げる。外出禁止令に先だって、社会人や下宿生活中の子供が親元に戻ってきた家庭は思わぬ親子水入らずの時間を享受する。独り暮らしのお年寄り、寮に残った学生達は厳しい孤独と戦う。コロナウイルス以外での開業医への外来が大幅に減った反面、心理カウンセリングの診療は急増している。
多くの国が国境を閉鎖、飛行機はフランスに限れば95パーセント停止、TGVも同じくほぼストップした代わりに、人工昏睡状態で呼吸器を着けた重症患者を空きのある地方の病院に搬送のために使われた。サイエンスフィクションでも想像できない事態だった。
◆学校の時間 学生の時間
すべての教育機関と大多数の企業、官公庁がテレワークに移行したことは今後の社会のあり方への画期的な変革に繋がると思われる。
一方で、沢山の子供を抱えてタブレットやパソコンの数が足りない家庭、親が子供の勉強をサポートできない家庭も多く存在するため、学校の閉鎖は教育の差別化と格差拡大につながる。フランス政府は、保育園、幼稚園、小学校を「恵まれない子供達、希望者を優先」に5月11日から少しずつ再開した。
パリ音楽院は今年度のすべての年末実技試験をキャンセルし、内部評価のみに切り替えた。授業もオンライン化に移行中だが課題は山積みだ。伴奏も含め、2人以上のアンサンブル音楽は学校閉鎖で停止状態だ。9月開講6月終講という欧米のリズムの中で、学生達にとって最も大切な春は、海外研修、交換留学、企業研修、終了試験、コンクールなどが目白押しの時期でもあった。パリ音楽院も含めたフランスの高等教育(大学、グランゼコールなど)は夏まですべての授業と試験がオンラインと政府が決定したことにより、日本からの留学生も含めた学生達の1年の重要な時期が、当初の予定と全く違ったものと化してしまった。若者たちの喪失感は測り知れない。
この危機の収束後にむけて、音楽家と音楽の学生達を支え、モチベーションを与える機会をどんなに小さな規模であっても増やして行かなくてはならない。
◆繰り返す時間、いつか終わる時間
家から出ない生活でも一日の経つ時間が早いことには変わりない。2−3日外出しないことがあっても、それは面倒くさがり屋だからなのではなく、「コロナ感染の封鎖のために、人の命を助ける為に協力した」という肯定感にスライドする。朝のコーヒーをいれる、カーテンを開ける、何気ない日常の仕草を24時間ごとに繰り返しつつ、この繰り返しが何かの理由でなくなる日が訪れることを考える。それがいつの日なのか、コロナウイルスへの感染や、ランジス(東京でいうと豊洲市場)の大きな冷蔵倉庫に仮安置されている沢山の『棺』の映像が脳裏をよぎり、外出禁止生活の中で誰もが死と生の狭間を感じる。「人間は生まれた時から死ぬ日はすでに決まっていて、それは神のみが知っている」とユダヤ人の友達が繰り返していた言葉を私は思い出していた。
◆日本と世界の時間
清潔に気を配り規律を守る教育が徹底した日本は、当初からコロナウイルス感染者の増加が制御されていた。更に第2次世界大戦の教訓から世界のどの国にも類を見ない、平和と経済成長に徹し、政府による国民生活への介入を極力警戒する民間との独特なバランス関係も影響したことから、緊急事態宣言発令までの日本政府の対応や国民感情は、他の国と比較して随分違うものであると感じられた。
世界の共通性と同時性がかつてない特徴であるこの危機は、各国の体制と対応の違いや国民性を浮き彫りにする。
◆音楽家の時間 創造の時間
音楽とは限られた時間内に絵画的文学的な音響による「瞬間」が持続する「建築」であり、私達演奏家は職業上、常に多彩な時間の観念と常時折り合いをつけなくてはならない。
作品に向かい合っての「歴史的時間」の考察、理想の表現を「探究する時間」、聴衆を前に自分が今から出す音色を「決定する瞬間」、音が「鳴る今の瞬間」、鳴り響いた過去の音を聴き「評価する瞬間」、次の音に「反応させる瞬間」。演奏家の脳の中では音に対する判断、決断、実行を巡って「過去、現在、未来の時間」がめまぐるしく駆け巡る。
そして、舞台芸術に携わる者達にとって、突然降ってきたこの膨大な自由時間、その現実に対する「狼狽」からコロナ後の世界への出発するための又違った時間が必要となる。
フランスには、アンテルミタン・デュ・スペクタクルという、テレビや映画も含めた舞台芸術分野のフリーランス労働者を対象とした失業保険制度がある。年に507時間以上の労働契約があったことを条件に、仕事がない期間の収入を計算し保証し、毎月約10万人が受給の対象となっている。マクロン大統領は5月6日に、現在の資格所有者の有効期限を(コロナ危機による労働時間の減少に関わらず)無条件で2021年の8月まで延長すること(10億ユーロ、約1兆2千億円を投入)、更に30歳未満の若い芸術家に政府からの作品委嘱、映画やドラマのロケーションのキャンセルに対応できる保険基金の設立を発表した。
日本と比べると大変に懐の深いフランスの文化政策であるが、その背後には、音楽祭主催者など雇用者とっては大変に重い、フランスの高い税率と社会保障費の源泉徴収が存在することを理解しなければならない。
一方で創造活動をする人々にとっては、この時間は実りの多いものとなっている。私の元には新しく書かれたばかりの譜面が次々と届いた。創造された楽曲は演奏によって未来の時間に響き続ける。これはコロナ危機下の幸いな一面といえる。
◆協力の時間 未来の時間
フランス人は貧富に関わらず寛大に寄付をする。この危機においても、疲弊する病院関係者への食事の差し入れや寄付、学生、休職中の著名スポーツ選手やレストラン経営者、引退した人々による差し入れ、清掃、マスクや使い捨ての防御着製作のボランティア、孤立する軽症者宅への訪問介護、困窮した家庭への食料の配給など、暖かい協力の絆が広まった時間でもある。
フランスの思想家ジャック・アタリ氏は2009年の著書でウイルス感染による世界の大危機が訪れてることを予測していたという。医療と介護、研究に携わる人々の仕事がここまで理解、感謝されたこと、科学者達の発言が経済、政治の世界を超えて注目され尊重されたのは特筆すべき変化のようだ。そして、アタリ氏も私の周りの多くの人々も、この危機を、行き過ぎた、矛盾した社会システムへの、人類への警鐘と受け止め、より良い、違った世界への変革の機会となることを強く望んでいる。
フランスではドイツやデンマークの後を追って5月11日より、飲食業以外の商店が再開され、人々は許可証なしで100キロ圏以内の外出、10人以下の集まりが可能となり、ようやく笑顔が戻ってきた。数ヶ月前までは人目を惹くために使う事もはばかれていたマスクが公共の交通機関内で義務となり、あんなにスキンシップが多かったフランス人の振る舞いが日本人とほぼ同じ(お辞儀はしないが)になるとは誰が想像していたことだろう!
◆天空の時間
太陽の光が地球に届くまで「光速」で8分かかるという。反対に言うと夜空に輝く一番地球に近い恒星の光は数年前の姿であり、遠い星々となると数百から数千年前の姿が私達の眼に映っているということになる。世界が停止して大気が澄んだ2020年春の青い地球の映像が、銀河の彼方の地球に似た惑星に住む宇宙人達の望遠鏡に映し出される日がいつか訪れ、その変化の理由がウイルスであったことが見抜かれるかもしれない、そんな夢想をしながら、どこかで観測を続けている「宇宙人天文学者達」に遥かな思いを寄せる春の宵である。
(2020/5/15)
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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。
パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/