特別企画|電話展示 Emergency Callについて(その他諸々)|西村紗知
電話展示 Emergency Callについて(その他諸々)
Talking about Exhibition ‘Emergency Call’, and more
電話展示 Emergency Call
2020年4月30日(木)– 緊急事態宣言解除まで
on air since 2020.4.30 until termination of the state of emergency in Japan
*https://euskeoiwa.com/2020emergencycall/に記載された電話番号に電話をかけることで、展覧会を聞くことができる。
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
出演: →foreign language
増田義基(サウンド・デザイナー)
山本悠(イラストレーター)とU(U)
佐藤朋子(アーティスト)
ラジオ体操第一
岡嶋隆佑(博士(哲学))
永田康祐(アーティスト)
樋口恭介(SF作家)
西村梨緒葉(美術家)
岡千穂(音楽家)/エリック・サティ(作曲家)
大道寺梨乃(俳優)
関悦史(俳人)/日和下駄(朗読)
坂本光太(チューバ奏者)
大和田俊(アーティスト)
石油ファンヒーター(家電)/砂山太一(建築家)
三上春海(歌人)
角銅真実(音楽家)
大岩雄典(美術家 本展企画)
私はこのところずっと機嫌が悪い。
というのも、普段日課で見るYouTubeの「おすすめ」動画に、見るべきものがたくさんあるからだ。プレミア公開、何月何日の何時から何時までのライブ配信、など。こちらが見たいかどうかを問わず、見るべきだと主張してくる動画の数々。露骨だ。事情はわかるが、そういうのは有料動画配信サービスでやってほしい。
そうこうするうち、YouTubeというコンテンツも、徐々にテレビのようになってしまっている。TVタレントが幅を利かせるようになったから、というのは理由の一つに過ぎない。それより、自分にどれほど価値があるかと、各々の動画が主張し始めているあたりがTV的だ。以前に比べ実践的で目的のはっきりした内容の動画が増えた。今だと、おうちでできることをやってみよう、とのことで、料理のレシピやマスクの作り方が紹介されている。特に欲している情報でもないのに強く勧められると、調子を狂わされる。日常における新しい生活のためのきっかけなど、私はそうそう求めていない。だからそういうのは、別途違う動画配信サービスとかでやっていてほしい。この良くも悪くもアマチュアの領域である場に、あまり多くのことを持ち込んでほしくない。
私にとって動画サイトの内容は、見ようが見まいがどちらでもよいものであってほしい。有用か否か、ではない。面白いかそうじゃないかだ。私の、怠惰な緩い判断を反映する場として機能していてほしいものである。
だが、コロナ禍が長期戦に突入したと決定づけられた今では、あらゆる生活様式の変更が強いられ、こうした状況を反映した動画の存在感も一層強いものとなった。音楽家はジャンルを問わず、ソーシャル・ディスタンスを守った演奏活動をせねばならなくなった。例えば自宅からの演奏配信。しかし、クラシック音楽の世界は生の音に長らく価値を置いてきたのであるから、おいそれと配信に転換できないのが苦しいところ。オンラインレッスンやリモートアンサンブルが、通例のレッスンやアンサンブルに本当に勝るとは、現時点では信じられない。また、より即興的な音楽ジャンルになると、話は別かもしれない。リモートならではのラグや不具合、こうした不確定要素がアンサンブルをより面白くするというのはありそうなことだ。
そうして、クラシック音楽界はさておき、もう「リモートならでは」の表現を開拓する時期に突入した。YouTubeは「リモートならでは」の表現を用いた動画で、すでにあふれている。Zoomなどウェブ会議用アプリを駆使した共作、あるいは一度パッケージ化したものがSNSでミーム的に増殖していくもの。
しかし、現時点で、その「リモートならでは」の表現で最も成功を収めているのが星野源の「うちで踊ろう」だと思えば、あまり諸手を挙げて歓迎できるものではないのは明白だ。
振り返ってみよう。ミュージシャン・俳優・文筆家としてマルチに活動する星野源が、「うちで踊ろう」と題した楽曲をSNS上で発表したのは今年4月初旬のこと。その動画は、本人直々に、「旋律や伴奏を添えるような類の」二次創作を薦めるものだった。実際、多くの著名人や演奏活動の場を失っている音楽家が、その要望に応える動画を共作することとなった。そして12日、安倍首相が、星野源の動画の右半分に、自身が家でくつろぐ映像を並べたものを公式ツイッターに投稿。あっという間に炎上した。
炎上の原因は、どう考えても安倍首相側にあると結論付けられたのであり、わざわざこの結論に至るまでの過程を今一度辿る必要などない。しかし、この炎上騒動を機に、「リモートならでは」の表現様式が位置する問題圏が露になったのであり、一度冷静になった人も多かったのではないか。
まずひとつ。SNSはもうすでに炎上が娯楽として定着している場なのだから、そこに投下される動画はどういうものであれ、鑑賞という態度で迎え入れられることはありそうもない、ということ。二次創作を一旦推奨したら、後戻りはできない。画像ではなく映像だからといって、文脈度外視で遊びの道具にされてしまうことから逃れるのは難しい。そう簡単には、創り手の意図通りに拡散していかないだろう。
そしてそもそも、創り手が本当に「リモートならでは」をやりたいのかどうか、である。どうも、単なる生活の問題が芸術の問題と混同される向きがある。確かに、もう二度と、以前と同じような音楽活動ができないのかもしれない。それだからオンラインでできるだけのことを、今のうちに機材を揃えるなどして進めていく、というのは道理だ。でもそれは、自分たちの芸術が内在的に招いた状況ではない。「せっかくだから新しい表現を」という動機には、なんとも機会原因的なところがある。本当に、元に引き返せないくらいに新しい表現がもたらされるのなら、内在的ともいえようけども。
そして最後に、率先して「リモートならでは」に切り替えていこうとする、心持ちそれ自体における、拭い去れない大勢順応主義の影である。
もちろん、「うちで踊ろう」で救われた音楽家は何人もいただろう。それでも、社会情勢に敏感でテクノロジーを積極的に取り入れる表現は、大勢順応主義と紙一重であることは度外視し難い。どれほど、人間一人一人の孤独に寄り添おうとしても、むしろそのために一層、一人一人を疎外している。「リモートならでは」の表現様式の要諦は、このあたりのスリリングなバランス感覚にあるだろう。だがこのことは、あの「恋ダンス」の功罪ですでに予測できたことではなかったろうか。楽しい趣味の良い音楽ほど、単なる同調圧力に結びつきやすいということ。
今こうして原稿を書いているうちにも、たくさんの気持ち悪さがこの世に生まれ出てきている。Zoomに並ぶ、たくさんの人間の顔。つながらない人々。皮肉なことに、こういう気持ち悪さに真っ先に反応し、便乗ではないかたちで茶化すなりして自ら取り込んでいくのが芸術の役割であろうに、芸術分野は率先して加担し、気持ち悪さの方を加速させ、人々の不安の原因となっているようにすら見える。ミームの増殖は、形式組成的でないという意味で、それがどんなに風刺精神にあふれていようと、不安増加に加担しているに違いない。本来、不安の根源を見通すならまだしも、芸術が不安の原因になるのはおかしなことだ。社会情勢に敏感で当世風のテクノロジーに真っ先に手を伸ばす芸術が、本当にその力を発揮できるのは、同じ状況下で苦しむ人間に訴える表現をやろうとしてこそではなかろうか?
もちろん、すべては慣れの問題だ。人間は何にだって慣れる生き物だから。不安なのは今だけだ。だけれど、その慣れていってしまう過程にあるさまざまなことを、良いことも悪いことも、そのどちらでもないことも、一つずつ拾い集めたいと思わずして、どうして芸術家などと名乗れるだろう。
ジャンルの問題ではない。こういう状況下で、積極的に順応する態度をとる者を、私はあまり信用したくない。この災厄が過ぎ去ったあとでも、おそらく記憶していることだろう。
関係のない前置きが長くなってしまい恐縮だが、私はこの「電話展示」の存在を好意的に受け止めた。最後まで聞き通した今もその印象は変わっていない。
総勢17名(組?)の、それぞれジャンルの異なるアーティストたちが、持ち時間2~3分の間のパフォーマンスを電話の向こうで披露する。
全体を通じて、どのパフォーマンスもどこか緩く、謎めいている。いわゆる「価値」はない。
これらは、コロナ禍におけるステートメントでも、主義主張でもない。各々の参加者の、脊髄反射の記録とも言いたくなるような、とにかくどれも「途上」だ。煮え切らなくて、時間的。ただ、やはりどれも危機意識のあらわれなのだろうと思う。
それに、チームワークはない。キュレーションでうまくまとまってはいるだろうけども、基本的にはやりたい放題だ。
全員で約45分。いまどき電話による音声配信である。動画配信ですらないので、拡散されようがない。通話料金はもちろん電話をかけたものが支払う。電話番号が記載されたHPには、「自分が安全だと思う時間・場所でお電話ください」とある。そんな時間と場所はない。緊急事態宣言発令中なのだから。こうして、妙なアクセスの悪さと緊急事態宣言発令中という緊張感ゆえに、この展覧会自体が一つの冗談とは言わないまでも、現実味はない。現実を審美化するでもなく、審美的な領域に人を呼び込むことに成功している、と言えようか。
以下に、それぞれの内容を箇条書きで記す。なお、電話料金が不安だったため、スカイプで600円だけ事前に課金して聞いた。料金はすべて聞いておおよそ200円だった。
増田義基(サウンド・デザイナー):イルカ(あるいは鳥?)の鳴き声にさざ波、そして雷と雨の音が聞こえてくる。おもむろに感じのいいピアノの伴奏が入ってきて、自然音とピアノのアンサンブルとなる。ピアノがワルツを奏でて、穏当なBGMといったところだったが、そこに電子音の持続音が入ってきて、穏当な音楽は、この持続音がぶつんと途切れるとともに、終わってしまう。気持ち良いけども不穏なオープニング。
山本悠(イラストレーター)とU(U):「今日の鳴き声」という、緩慢なラジオコーナー。「山本悠さんからのお便り」で「うずらの鳴き声」が紹介される。うずらに、ニラを食べさせてしまった、という。ニラをばくばく食べて、興奮したうずらは暗闇に飛び上がり、咆哮する。日常と幻想の中間地点。
佐藤朋子(アーティスト):英語のレッスンラジオが始まる。家族関係を表す言葉がレッスンに登場する。「母」「名前」「名前はいくたりお持ちですか」などが例文として登場し、日本語、英語の順に読み上げられる。これらは、岡倉由三郎『ラジオ英語講座』から引用されたテクストの朗読だった。文法のサンプルとして標本のようになった、家族関係を表す言葉たち。朗読による冷たい反復にさらされて、言葉の意味がどんどん失われていく。
ラジオ体操第一:あの有名なラジオ体操そのままである。これもまた、「健康」のサンプル。今回の布置関係において、耳馴染みのあるラジオ体操が妙に審美的に聞こえてくるのは不思議だった。最後は、あのはきはきしたアナウンサーの一言「今日も一日どうぞ元気にお過ごしください」。この一言もまた、今日では問題含みだ。
岡嶋隆佑(博士(哲学)):「没入感についての話」を、ゲーム研究の知見を踏まえつつ、展開させる。身体の行為能力に応じた構造。ゲーム空間の知覚。ベルクソンからの引用で、「知覚は空間を自由にできる」。これらは、ソーシャル・ディスタンス時代の知覚理論となるのだろうか。
永田康祐(アーティスト):ムースのレシピが語られる。レシピのレシピ。乳化。チョコレートムース。ムース一般のレシピを用いて、可能なムースを作ってみてください、とのこと。流行りの実践的な料理動画のパロディのようにも思える。
樋口恭介(SF作家):惑星総合管理委員会からの大切なお知らせ。人類は2160時間後に言語の利用権限を失う。人類は、思考を拡張することなく、技術を刷新することなく、与えられた事象に対応するようになった。2160時間後に契約は失効となり、人類は意識、記憶、感情の一部を失います……惑星総合管理委員会からのメッセージは以上となる。
西村梨緒葉(美術家):唯一、普通の電話の体のパフォーマンス。おまじないについて。「繰り返して言うだけ」。高校生のときの歴史の先生が「もう一度!」って言うの……部活の先輩がさ、「すごいすごい!」って言うの。ほめるの大事だから……話逸れた、おまじないだけど……「繰り返して言うだけ」。大丈夫だよ、大丈夫だよ……もしもし、大丈夫だよ?
岡千穂(音楽家)/エリック・サティ(作曲家):電子音、単線の音楽。急に人の声が入ってきて、音楽が途切れて、終わり。
大道寺梨乃(俳優):2020年4月18日、3分間のどうでもいいメッセージ。イタリアから。外に出たくない。おそらく、2歳の子供を連れてお母さんのしぐさを公共の場でしなくてはならないのが、どうしようもなくだるいから。その子供の声も入ってくる。イタリアの感染状況、子供のおむつが取れない、など。イタリア語で一番使ってはならない言葉で最後は締めくくられる。
関悦史(俳人)/日和下駄(朗読):俳句の朗読。「国破れて マスクが二枚 かびている」など。
坂本光太(チューバ奏者):リバーブのたっぷりかかった、チューバ・ソロの特殊奏法。最初はけだるく、次第に音高が上がり、緊張感も増し、多重録音による複雑な響きに。最後はフェードアウトして、終わり。
大和田俊(アーティスト):女性が英語で喋る。沈黙。また同じことを喋る。沈黙。ずいぶん長い沈黙である。
石油ファンヒーター(家電)/砂山太一(建築家):急に「ボーーーーー」という音が沈黙を破る。石油ファンヒーターの音なのだろう、たぶん。
三上春海(歌人):電話の向こうで詠めるうた、3首。「安全な場所は心のなかにすらないと気付いている夜明け前」など。まだ街が健やかな頃に詠めるうた、3首。すべてが無事に終わったあとに詠めるうた、3首。計9首が朗読される。
角銅真実(音楽家):ギターの弾き語り。スキャットが繰り返される同じ伴奏に乗せられ、言葉も乗せられ、途切れて終わり。
大岩雄典(美術家 本展企画):女の人の声で次のような問いかけが。「なぞなぞです かわはのんびり うみはしずか なーんでだ」。しばらく沈黙。こたえは、実際に電話して聞いてみてほしい。あはははは、と笑われて、終わり。
この展覧会において、有用性は壊れた。英語のレッスンも、チョコレートムースのレシピも、あのラジオ体操でさえ、普段通りではない。言語芸術は、ディストピアを描いている。片や、ナンセンスで遊びっぽいものもある。そしてこれらの間を縫うようにして、音楽が鳴っている。
緩い。緩い布置関係だ。こういう表現を欲していたような、そんな気がしている。
(2020/5/15)
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<Artists>
Yoshiki MASUDA(sound designer)
Yuu YAMAMOTO(illustrator)& U(U)
Tomoko SATO(artist)
Radio Exercise No.1
Ryusuke OKAJIMA(Ph.D. in Philosophy)
Kosuke NAGATA(artist)
Kyosuke HIGUCHI(sci-fi writer)
Rioha NISHIMURA(artist)
Chiho OKA(musician)/Erik Satie(composer)
Rino DAIDOJI(actor)
Etsushi SEKI(haiku poet)/Hiyorigeta(recitation)
Kota SAKAMOTO(tuba)
Shun OWADA(artist)
Kerosene fan heater(appliance)/Taichi SUNAYAMA(architect)
Harumi MIKAMI(tanka poet)
Manami KAKUDO(musician)
Euske OIWA(artist, curator of this exhibition)