ウィーン留学記|ウィーンの性とベルンハルト・ラングの『輪舞』|蒲知代
ウィーンの性とベルンハルト・ラングの『輪舞』
Sex in Wien und Der Reigen von Bernhard Lang
Text & Photos by 蒲知代 (Tomoyo Kaba)
学部時代の話だが、京大のドイツ文学の授業で映画を見た。その名も『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)。オーストリアの作家アルトゥル・シュニッツラーの小説『夢小説』(1926年)が原作で、浮気願望のある夫婦が数々の誘惑を乗り越えて離婚を回避、夫婦関係にとって大切なことに気が付くというストーリーだ。本作は巨匠スタンリー・キューブリックの遺作であり、トム・クルーズとニコール・キッドマンが、当時は現実でも夫婦であったが、生々しいシーンを演じている。R-18指定とあって、学生は期待(?)に充ちてそわそわしていた。ところが教授は際どいシーンを巧みに避けながら授業を展開し、近くに座っていた女子学生が落胆の叫びを上げたのが未だに忘れられない。
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オーストリアが性にオープンな国かどうか、それはもちろん人によるとしか言えないだろう。しかしながら、私個人の感想としては、日本よりも性にオープンな国という印象はある。ただそれは性に奔放だという意味ではない。男性でも女性でも、恋人をとっかえひっかえする人の印象が悪いのはオーストリアも同じ。性にオープンというより、性的な事柄に対して目を背けず、真面目に話し合うことができる人が多い、と言った方がよいだろう。
例えば、3年前にウィーン・ミュージアム・カールスプラッツで「セックス・イン・ウィーン」という特別展が開催されたときのこと(2016年9月15日~2017年1月22日)。期間中、大学の最寄り駅には裸の男女のポスターが貼ってあり、嫌でも目に入るようになっていたが、ほとんど他人事のように通り過ぎていた。ところがある日、日本人の友人と学食で魚フライのランチを食べていたら、彼女はその特別展に行ったと言い、私にも行くようそそのかしてくる。彼女が言うには、すでに7万人以上が来場し、あまりの人気に開館時間を延長するようになったほど。「面白かったよ~」「ああ、そう」「見応えあったよ~」「いや、行かない」というような押し問答のあと、「こんなのウィーンじゃなきゃ見れないよ!」という言葉にトドメを刺され、翌日思い切って行くことにした。
最終日の前日で、なおかつ特別イベントも開催されることになっていたので、会場は大変混み合っていた。どんな人が見に来るのだろうと思っていたが、老若男女を問わず訪れていて、若いカップルや夫婦も特に恥じらう様子もなく、むしろ楽しそうに見て回っている。誰も恥ずかしがっていないので、逆に恥ずかしがる方が変だった。
とにかく人が多いので、なかなか前に進めない。そのような状況なので、19世紀から現在までのウィーンにおけるセックスのあれこれをじっくり見て回ることができた。正直あまり見たくないような器具や写真も沢山あったが、ウィーンのどういった場所が男女の逢い引きに使用されたかという地図もあったりして、シュニッツラー研究に使えそうだという理由で、分厚い、ひょっとしたら猥褻物にも見えるカタログを買ってしまったくらいだ。ちなみに展示の最後の方に、梅毒で顔面崩壊した患者のリアルな模型が置いてあったのは、良い戒めになっていたと思う。
またウィーンには「避妊と妊娠中絶のミュージアム(MUVS)」というのがある。その種のミュージアムは世界をさがしてもオーストリアにしかないらしい。私は偶然そこに勤めている女性と知り合いで、昨年10月下旬に他の見学者たちと一緒に、ガイドツアーで見学させてもらう機会があった。気まずい思いをするかと思いきや、避妊と妊娠中絶に関する品々が隣り合わせで展示されているのを見ると、大量に並べてある昔から現在までの避妊具も、母体と胎児の命に関わるもの、と重いものに思えてくる。
ガイドツアーは2時間以上に及んだが、最後にちょっと面白い発見があった。ほとんどの人が最後まで見学したが、そのあと質疑応答で盛り上がっているあいだに、男性の参加者は全員帰ってしまったのだ。それぞれ仕事があるし、金曜の夕方で家族との予定が入っていたのかもしれないが、それにしても女性しか残らないというのは偶然ではあるまい。ツアーの後半は妊娠中絶に関する事柄だったので、それで居心地が悪かったのだろうと考えずにはいられなかった。
そして11月15日。私はオーストリアの現代音楽の作曲家ベルンハルト・ラング(1957-)のオペラ『輪舞』を観に行った(ラング自身はこの作品を「音楽劇」と名付けている)。この作品は2014年4月にドイツのシュヴェツィンゲン音楽祭で初演され、2019年7月にはオーストリアのブレゲンツ音楽祭で上演された。今回ウィーンのミュージアムクォーターで上演されたプロダクションは、ブレゲンツ音楽祭とノイエ・オペラ・ウィーンの共同制作。しかも原作はシュニッツラーの同名の戯曲『輪舞』(1900年)なので、日本人の友人が観に行くよう勧めてくれていたのだ。
シュニッツラーの『輪舞』は全10景からなる対話劇であり、どの場面にも男女が一人ずつ登場し、セックス前後の会話が丁寧に描かれる。原作とオペラでは登場人物(身分・職業で呼んでいる)に違いがあるが、今回はラングのオペラ版の登場人物を【景】ごとに並べてみよう。【1】娼婦と警官、【2】警官とメイド、【3】メイドと若い男性、【4】若い男性と若い女性、【5】若い女性と夫、【6】夫と女子生徒、【7】女子生徒と作家、【8】作家と女優、【9】女優と年金生活者、【10】年金生活者と娼婦。第1景と第10景に登場する娼婦は同一人物なので、そこで輪が完成する。
なんて下品な作品だと言われそうだが、ちょっと待ってほしい。シュニッツラーが描きたかったのは行為ではなく、その前後の対話なのだから。その証拠にシュニッツラーは性交の場面を描いていない。「ーーー」という記号で暗示されるだけなのだ。それにもかかわらず、その部分も演じさせてしまう舞台や映画があって、本当に困ってしまう。映画版の『夢小説』だって、ラストのあんな卑猥な台詞は原作には出てこないのだ。だから、今回のプロダクションで「ーーー」の部分が原作に忠実であったことは非常に高く評価できる。キャストの動きは停止し、その代わり景ごとに違う映像が映し出され、摩訶不思議な反復運動を繰り返す。音楽も同じ音を長く引き延ばして演奏し、エコーのように繰り返すというもの。全く嫌らしさがない。
そのうえキャスティングにもうならされた。登場人物は男性と女性が5人ずつの合計10人いるのだが、1人2役演じるので、歌手は5人必要ということになる。しかし、そうすると誰かが男性と女性の両方のパートを歌わなければならなくなるが、それをできるのがカウンターテナーというわけだ。トーマス・リヒトネッカーは声の高低を使いこなし、あるときは「若い男性」、あるときは「女優」を演じた。「女優」は見るからに男性が女装しているという格好だが、美声すぎて笑えない。演技力も確かだった。
90分で織りなされる男女の愛欲の物語。最初こそ面白おかしく見ていたが、だんだん空しくなってくる。なぜなら全員嘘つきで、全員誰かを裏切っているからだ。そこに愛情は存在しない。あるのはただ人間の本能の愚かさだけだ。
(2020/2/15)
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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。