コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝 vol.6|西村紗知
コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝 vol.6
Contemporary Duo Kousei MURATA & Kazue NAKAMURA vol.6
2019年12月2日 杉並公会堂小ホール
2019/12/2 Suginami Koukaidou Small hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 村田厚生(Kousei Murata)
<演奏> →foreign language
村田厚生(トロンボーン)
中村和枝(ピアノ)
<曲目>
金子仁美/時の層V~トロンボーンとピアノのための(2012)
塚本一実/鏡~トロンボーンとピアノのために(1996)
成本理香/イルミネイティッド・ウィンドウズⅢ~トロンボーンとピアノのための(委嘱新作初演)
E.デニソフ/コラール・ヴァリエ~トロンボーンとピアノのための(1979)
徳永崇/残響工芸~トロンボーンとピアノのための(委嘱新作初演)
素材の特性を、その来歴を、現代音楽もまた無視することができない。オーケストラ楽器に加えられて以来、緩徐楽章の多くの時間を座ってやりすごしたりしながら、主に旋律より音色効果を担って、フォルテシモを吹き鳴らしてきたトロンボーン。とりたてて言うことでもないが、トロンボーンにはトロンボーンの得手不得手、辿ってきた道程がある。現在のトロンボーンに何を背負わせるのかは、そのことと切り離すことができない。
とはいえ、今回の作品の着想はいずれも、トロンボーンにとって外的なものが多いように思えてならなかった。もちろん、このことがそのまま否定的な評価に結びつくはずもなく、そもそも楽器の特性が完全に無視されていたというのでもなかったけれども、トロンボーンにとって現代音楽とは――トロンボーンが現代音楽の多くのコンセプト、音響設計上のロジックに積極的に組み入れられてこなかったとしたら――なんであろう。反対に現代音楽にとって、トロンボーンの居場所はどこにあるのか。
トロンボーンの現代音楽のレパートリー構築を目指すこの演奏会シリーズでは、そうした問いが脳裏をよぎる。目の前にはずっと、自らにとって外的な論理に身を委ねつつ、新たな局面を打開しようとするトロンボーンの姿があったように思う。当然、ソロ楽器として発展を強いられなかった楽器の多くが、同じような問いに挑戦し続けるのだろう。
ゆったりとした速度のパルスをトロンボーンとピアノが同時に刻みながら、金子の〈時の層V〉ははじまる。この変ロ音のパルスは規則的なので時間上は均質だが、トロンボーンが第1ポジションで鳴らしていて、弦楽器の開放弦で鳴らしたときのような不安定さがある。時間上は均質でも音色上は不均質なパルスが、その都度装飾音を加えながら拡大するように変奏されるピアノに導かれて、次の部分に移る。この部分では最初のパルスと空白とは性格が変わって、ダンパーペダルでピアノがずっと薄くしかれて、その上にトロンボーンの変ロ音に収斂する下降音型が鳴っている。次に、この作品の中で最も複雑な旋律の応答し合いが続いたのち、やがてピアノとの変ロ音の応答に落ち着く。最後はまた静かなパルスが、ピアノの伴奏をもっと複雑にしたかたちで鳴り、この作品は終わる。全体として、時間上の厳格さとトロンボーンの音色の輪郭の無さが、独自のハーモニーを展開し続けていた。
ピアノのおどろおどろしい前奏、そこからトロンボーンのレチタティーボ的な音型に引き継がれていく。塚本の〈鏡〉は、漆黒の抒情性をたたえている。タイトルの由来でもあろう、この作品全体を貫き通していたトッカータ的書法は、現実世界の鏡像関係からなされるのではない。鏡の前にはピアノ、その鏡がうつすのはトロンボーン。この非対称性はやはり不気味なのであり、黒い幻想的な世界はそこに根をもっている。2つの楽器は単音でも旋律でも、応答し合う。ピアノはときに低い音程を叩き鳴らし黒い空気を送りこむ。短い単音で応答し合いながら作品が閉じられるまで、幻想は続く。
タイトルを見て洒脱な作品であろうと勝手に思い込んでいたが、成本の〈イルミネイティッド・ウィンドウズⅢ〉は、この演奏会の中で最も金管楽器特有の粗暴さを前面に押し出した作風であった。ジャクソン・ポロックの絵筆をトロンボーンとピアノ両方でやっているよう。というのも、ピアノの音型にクラスターのものが多い。ここでは他の作品と異なり、ピアノがトロンボーンの側に行こうとしている。粗暴さと音程の不確かさというこの2つのトロンボーンの特性を、ピアノが模倣しているようだった。トロンボーンも負けじと、グリッサンドで応えて、終了。
デニソフの〈コラール・ヴァリエ〉は、これが書かれた時点ではすでに時代遅れになっていたかもしれない、セリエルな響きがずっとピアノに与えられている。トロンボーンもまた書法にならい厳密な点であろうとする。しかしトロンボーンは、散りばめられた細かい音であれ、厳しい音程からなる結晶のような和音であれ、ピアノが鳴らす音と関係することはできない。というのも、ピアノは固体であり、トロンボーンは気体である。状態の違いゆえにトロンボーンとピアノはお互いを突き放し合っているかのようだ。トロンボーンの浮遊するような長音と、ピアノのダンパーペダルで引き延ばされた和音とは、交わることはない。
徳永の〈残響工芸〉がはじまってしばらく、カプースチン的な音楽の連続性ときらめき、などと思うやいなや、これ以前の作品にはフラット系の調性感が強かったことに気付く。それもまたトロンボーンの特性に他ならないのだが、他方この作品は特に最初の方にシャープ系の響き。そうするとトロンボーンの鳴りが一気にふんわりしたものとなる。時に二人の奏者の声を交えつつ、ふんわりとした風合いのトロンボーンはピアノとお互いのかたちを崩し合う。ピアノのパッセージをトロンボーンが模倣したり、少しずれたユニゾンで上行音型をつくったり、オクターブを鳴らしたりしながら。絶対的にすれ違う、2つの楽器の特性を生かした作法が実現されていたのである。
現代音楽におけるトロンボーンの居場所がここにある。次回以降のさらなるレパートリー探究にも期待したい。
関連評:コンテンポラリー・デュオ 村田厚生&中村和枝 vol.6|齋藤俊夫
(2020/1/15)
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<Artist>
Kousei MURATA(Tb.)
Kazue NAKAMURA(Pf.)
<Program>
Hitomi KANEKO/The Layers of Time V for Trombone and Piano(2012)
Kazumi TSUKAMOTO/Mirrors for trombone and piano(1996)
Rica NARIMOTO/Illuminated Windows III for trombone and piano(Commissioned Work, World Premiere)
Edison Denisov/Choral Varie pour trombone et piano(1979)
Takashi TOKUNAGA/Reverberation craft for trombone and piano(Commissioned Work, World Premiere)