特別寄稿|不均等への不満|渡辺博史
不均等への不満
Frustration toward Inequality
Text by 渡辺博史(Hiroshi Watanabe)
「ジニ係数」というものをご存知だろうか? 一国の国民の間での所得の分配の均等度あるいは不均等度を計る指数である。数字の計算方法の説明は省くが、数値は0から1までの幅で、1はもっとも不均等(例えば、王様一人が全ての所得を得て、それ以外の国民は一切の所得が無い状態)で、逆に0は、全ての国民の所得額が全く同じである(つまり、平均所得額が国民それぞれの稼得額になる)というものである。
世界の現況を見ると、ヨーロッパと東南アジア、そして日本の数値は相対的には低く、0.35とか0.40前後になる。年代によって動きはあるが、比較的所得が均等に配分されているのである。逆に、西アジア、湾岸などの絶対王政の国の場合には、0.8から0.9という数値になり(積極的に数値を公開している国はあまり多くないが・・)特定個人なり家族に所得が集積していることを意味する。アフリカは、まだ所得の絶対額が低い中で統計上の不具合もあり、国ごとに数値はバラバラである。一方、ラテンアメリカは、過去の大土地所有制をベースにした産業発展という経緯もあって、0.6前後とやや数値が高い。もちろん、各地域の中でも濃淡はあるので、上記の数字が域内各国に常に該当するわけではない。
また、このジニ係数には、計算の基礎となる対象所得によっていくつかの違った計算があり、①稼いだ所得そのもので計る場合と、②課税、社会保険料の徴収、歳出、社会保険の給付といったプラスマイナスの公的措置を経た後の数値で計算する場合などがある。国民の最終の「帳尻」をみるものとして、本稿では②の数値をベースに考えてみる。(毎年のフローである所得よりも、累積のストックである資産額では、より一層不均等度というか集中度が高まる。昨年発表された推計によると、世界のたった八つの裕福な家族の保有する資産額合計は、世界の人口の貧しい方の半分である30数億人の保有資産総額と同額である、とされる。この貧しい方の半分の相当数は、資産ゼロであることもこのようなとんでもない数値に至る理由ではある。)
そういう中で、今世紀に入って世界の人々の関心を引いた二つの国の数字がある。0.45前後に二つの大国が存在したのである。何とアメリカと中国であった。資本主義の権化と共産主義の推進者という社会制度のスペクトラムでは両極端に位置すると通常思われるこの二つの国の所得不均等度が同じだという事実は、かなりインパクトを与えた。しかも、その後の数年で、アメリカの数値は若干低下した(均等度が改善した)のに、中国の数値は相当上昇した(均等度が悪化した)ことも注目を浴びた。開発途上国の場合、当初の発展期において、資本の集積のために数値が上がることもありうるが、一人当たりGDPが8000米ドルを超えるような状況に達してもなお引き続き均等度が悪化するというのは中国の「国是」と「実態」の乖離を表している。沿海部と辺境部の差は、漢民族と少数民族との間の民族間格差でもあり、また共産党との距離の「遠近」による収入格差もある中では、早めの対応をしないと中国の一体性維持へのきつめのボディーブローになってくる。
アメリカのジニ係数がヨーロッパよりもこの一世紀の間恒常的に高いことの背景には、アメリカ国民の意識がある。彼らの信奉する「アメリカン・ドリーム」は、極めて単純化して言えば「今の私は貧しいが、頑張ればいつかは、あるいは遅くとも子供の時代には、豊かな成功者になれる。未来は明るい」というものである。そういう考えの下では、上下の所得の差が顕著に有った方がモティベーションを高めるのであり、大きな所得格差の存在には比較的寛容であった。しかし、今世紀に入って、アメリカ国民が目の当たりにしたことは「社会的流動性」の希薄化であった。豊かな家族の子供は良き教育を得て豊かになれるが、貧しい家族の子弟には豊かさへの道が閉ざされているという現実認識が強まって来た。社会的な地位の固定化が進行している、流動性が減少しているという不満が様々な政治行動、社会運動をもたらす。過去の大統領の子供なり、弟なり妻といった顔ぶれだけが並ぶ候補者リストへの忌避観は「丸太小屋生まれの大統領」といったアメリカ国民のセンチメントにより醸成され、大統領選挙あるいは予備選での投票行動に反映する。また、ほとんどの国民が豊かさの配当を受けずにごく一部の人々にのみ受け取られているという現状を糾弾する「99%運動」のような形の批判行動に収斂していく。
ヨーロッパでは18世紀末以降の政治動向や、20世紀初頭において絶対王政国が消え立憲君主制しか存在しなくなった状況を背景として、各国での民主制の実行は所得均等という状態を結果的にその成果として国民に享受させることが出来た。また、アメリカに比べて社会的流動性に乏しいという社会環境から、将来への夢(ドリーム)を見ることなく現時点での調整をすべきだという姿勢が採られて来たため、所得の均等度は相対的に高かった。
このような各地域の状況に大きなインパクトを与えたのは、グローバル化も一因とする「ヒトの移動の自由」であった。EU(欧州連合)加盟国間のヒトの移動を自由化する規定(「シェンゲン協定」)の結果、より高い給与と安定した就業を求めるヒトの動きがEU域内で活発化し、移動先の国において「このような移民が来る結果、我々がこれまで享受してきた賃金水準が下がり、社会保障支出の水準も切り下がる」という声が高まり、移動を制約しようという動きにつながる。域内の移動のみならず、今世紀初頭にドイツがEU域外のトルコから多数の労働者を入れたことも一つの遠因であり、更にシリアなどの中東諸国からの難民の大量流入も、ヨーロッパ先進国において移動制約、他国民流入反対の声を増幅させる。極端な形では、そもそもそういう連合に所属しているのがいけないのだから離脱しようということになり、イギリスのBREXITの大騒ぎになる。
一方、先進国からの直接投資を受け入れた途上国でも「ヒトの移動」が問題を起こす。進出した外国の会社、国際機関などが現地で雇用をする際に、先進国本国よりもはるかに低い賃金水準に惑わされ、運転手といった労務に従事する者に対する賃金の設定がついつい高くなり、その途上国の政府などに勤務する「有為のヒト」が現在の給与に幻滅して転職を考えるほどの「高賃金」で求人オファーをすることとなる結果、職業選択を歪ませて、その途上国の健全な発展に必要な人材の確保を困難にする。
また、現地法人の経営者の報酬水準が相当高くなることから、その途上国がこれまで持っていた所得スペクトラムの上限を大きく引き上げることを通じて、上下の幅を著しく拡大させる。
このような現状を各国の政治家がキチンと認識し、それに基づいた政策を立て、かつ、それを速やかに実行に移しているだろうか。
現在各国の政治で見られている動きは、ポピュリズムと外国人排斥が結びついている。所得の不均等の是正をしなければいけなかったにもかかわらず、何も有効な措置を講じなかったために、国民の政治・行政への信頼が低下している。その中で、批判をキチンとすべき野党、批判グループが、自らの国民に我慢なり負担をお願いしなければならない場合においても、「移民が悪い」という点ばかりに焦点を当て、税制体系あるいは歳出構造の見直しを通じて行うべき、不均等是正の本来の施策を提起して来ない。
国民自身が、他人の知恵と他人からの恩恵に依存するのではなく、自己の叡智を働かせ負担を分任することを通じて、自らの生活と自らが属する社会を支えて行くというのも、民主政体において自覚すべき基礎事項である。
(2019/11/15)
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渡辺博史(Hiroshi Watanabe)
公益財団法人国際通貨研究所理事長
1972年東京大学法学部卒 1975年米国ブラウン大学経済学修士
2007年まで財務省(旧大蔵省)に勤務 国債、税制、国際金融の各政策立案に携わる
退官後、一橋大学大学院商学研究科教授、国際協力銀行総裁を経て2016年に現職
主著「新利子課税制度詳解」、「ミステリで知る世界120カ国」、「新ヨーロッパを読む」
訳書「最新アメリカ金融入門」