音楽にかまけている|ハノーファー~アレヴィの《ユダヤの女》|長木誠司
ハノーファー~アレヴィの《ユダヤの女》
“La Juive” von Jacques-Fromental Halévy in Hannover
Text by 長木誠司(Seiji Choki)
「グラントペラ grand opéra」というのは、いわゆる「グランド・オペラ」という、英語で一般名詞化した豪華なオペラのことではなく、19世紀前半にパリ・オペラ座を中心として人気のあった、オペラの1カテゴリーのことを指す。その意味では「ジングシュピール」とか「ヴェリズモ・オペラ」といったことばと同様に、あるていど特徴のはっきりしたオペラの一形態なのだが、とはいえ、同じものを英語圏では「グランド・オペラ」と呼ぶわけであり、実際にはけっこう使い方が厄介なことばだ。
この「グラントペラ」、代表的な作曲家であったマイアベーアが、ヴァーグナーによる痛烈な批判を受け、またそのヴァーグナー的なオペラの19世紀後半からの隆盛もあって、20世紀初頭には斜陽の一途を辿った。マイアベーアがメンデルスゾーン、マーラーと並んでナチによる「ユダヤ人三M」のひとりとして上演禁止になったという経緯も、それに拍車をかけた。もっとも、グラントペラの作曲家はマイアベーアひとりではなく、イタリア人だがベルリンで活躍したスポンティーニの作品は、20世紀中葉まで歌劇場のレパートリーにあるていど残っており、1950年代にマリア・カラスが歌って成功させた《ヴェスタの巫女》は、その後細々と歌劇場の上演プランの隅くらいには収まっていた。
ヨーロッパの歌劇場は1980~90年代にバロック・オペラの復活を行ったが、その返す刀で18世紀末~19世紀前半の、いわゆるヴァグネリズム登場以前の、市民がめっぽう気楽に楽しんでいた時代のオペラを精力的に復活し始めた。その筆頭はもちろんロッシーニだが、それは独立して論じられるような勢いで、セーリアを含んだこの作曲家の全貌へと迫る感があるし、毎夏ペーザロで行われるロッシーニ音楽祭での果敢な蘇演や、若手歌手の登場も、それを強力に後押ししている。
ロッシーニの前後の時代、チマローザやメルカダンテやガルッピやパチーニといった諸々のオペラ作家の復活は、これまで通説のようになっていた単純なオペラ史の流れを大幅に見直させる切っ掛けになったし、いわゆる息の詰まりそうなワグネリズム支配下のしんねりむっつりとしたオペラではなく、美食としてのオペラの幅がとてつもなく豊かなものであったことがようやく少しずつ分かり始めたのが21世紀への世紀転換期であったろう。
そして、21世紀になってからひときわ目立っている復活劇は、グラントペラに関するそれであると言って間違いない。カウンターテナーをはじめとするバロック歌いや、ロッシーニ歌いのベルカントが歌手として育ち、揃ってきたのも、それらのオペラの復活と切り離せないが、ようやくグラントペラを歌いこなせる逸材が揃い始めたということが基本にあり、またパリ・オペラ座の舞台イラストから知られるような、贅沢きわまりない散財とも言うべき豪華でお金のかかりそうな舞台装置が、近年の照明や映像テクノロジーでなんとか対応できるようになったり、あるいはレジーテアーターの流れで、装置なんてなくても舞台が成り立つような演出が認められてきたというのも、現実的な意味でグラントペラの復活に光を投げかけた要素だろう。
とにかく、ここ数年、さまざまな歌劇場がマイアベーアの代表作である《預言者》や《ユグノー教徒》を競い合うように演目に上げている。ベルリンでも、ドイツ・オペラが来年の2月に《ディノラ》を含むレパートリーを連続上演する。スポンティーニに関しては、《フェルナン・コルテス》の蘇演を始め、いくつかの動きがあるが、まだこれからというところかも知れないが、それにも増して人気蘇演作となっているのがアレヴィの《ユダヤの女》である。作品としては1970年代から録音で知られていたが、このところの復活の流れの発端は、前世紀末の1998年にウィーン国立歌劇場がギュンター・クレーマー演出、シコフの父親ラシェル役で舞台にかけ、今世紀に入ってからそれを市販映像化したところにあろう。この映像のインパクトはまさに凄まじかった。近年、オペラのレパートリー展開は実演だけではなく、こうした映像ソフトの影響も強くなっているが、これはその代表とも言える事件だったと思う。コルンゴルトの《死の都》なども典型だろう(逆に、映像の少ないシュレーカーなどは、実演が多くあってもなかなか広まらない)。
ハノーファーの州立歌劇場は、1980年から20年以上に及ぶハンス=ペーター・レーマンによる長いインテンダント時代には、改装されて単にがたいが大きいだけの、あまり特徴のない歌劇場であったが、その後、ことに2006年にミヒャエル・クリューグルに替わってからはさまざまなレパートリーを展開し、意欲的な作品を採り上げて舞台にかけ、それに先鋭的な演出家を招いて、目の離せない劇場に様変わりした(ベネディクト・フォン・ペーター演出によるノーノの《イントレランツァ》やバリー・コスキーによる《死の家から》のように)。今期からラウラ・ベルマンが初の女性インテンダントに就任して、この先がどうなるか期待と不安も半々だが、すでにクリューグル時代に決まっていたはずの演目が、9月しょっぱなにプレミエのあった、今売れ筋の演出家リディア・スタイアー演出によるアレヴィの《ユダヤの女》であった。
スクリーブの台本で1835年に初演され、アレヴィの出世作となったこの作品。宗教改革以前、15世紀のコンスタンツの、いわばだれきったカトリック社会のなかで、迫害のまっただなかにあるユダヤ人を描いたもので、とにかくその迫害のあり方やカトリックのひとびとの熱狂の仕方が尋常ではない。すでにほとんどナチズムである。19世紀までのユダヤ人の描写としては例外どころか当然であるとしても(はるか以前の作だが『ヴェニスの商人』でのシャイロックを想い出そう)、ホロコーストを経験した20世紀後半の世界では、あまりに生々しい話に映ってしまうというので、アレヴィ自身がユダヤ系でレパートリーから消えたこと以上に、二重の意味で復活が難しく思われていた作品でもある。
グラントペラの常で、5幕からなる非常に長いオペラであり、また大きな要素であるバレエの場面もふんだんに出てくるが、スタイアーの演出は、個々はユダヤ人に憐れみを感じながらも、集団になると迫害の暴力性に巻きこまれてしまうカトリック教徒たちの残忍さや悲しい性というものを前面に出しながら、彼ら・彼女らがバレエ場面も集団的な振付で踊るという形で、浮きがちなバレエをうまくドラマに取り込みながら進められた。
舞台には大きな壁が設置され、そこからアリーナのような階段席のカトリックの祈りの場(それは同時にユダヤ人の釜ゆでをみんなで楽しんで見る劇場にもなる)や、ユダヤ人で金細工師のエレアザールの家がスライドされて出てくるという合理的な装置と回り舞台を駆使して、この壮大な迫害のドラマは視覚的な楽しみを含めて描ききられた。自分をユダヤ人と偽ってラシェルの心を射止める、考えようによってはどうしよーもなく鼻持ちならない、無責任な皇太子でカトリックの勇者レオポルドは、颯爽とアメ車に乗って、多くの女性たちの心を揺さぶるプレスリーばりのおばかな若者として登場する。場内大爆笑である。
ベルカントの技術と、同時に強い声が求められるこの作品。女性ソロ・パートも、外題であるユダヤの女ラシェルと皇帝の姪であるユークドシーという2名のプリマ(どっちが?)を必要とするため(ひとりの女性を殺すだけになっていくオペラとは、まったく異なる発想のドラマトゥルギーがそこにある)、歌劇場のアンサンブルでこなすのは至難のわざであるが、ともに圧倒的な声の強さと繊細なアジリタの技術を堪能させる歌手の活躍で、ヴァーグナー以前の声の競演がいかなるものであったかを堪能させた。この要素がままならないと、やはりグラントペラの復活は難しかったろう。
アレヴィの音楽はマイアベーアよりも官能性が高いし、ソロと合唱の掛け合いの作りも、ドラマの発展のさせ方も巧妙だ。官能性はヴァーグナーが半音階で達成させていくものには及ばない、より健全なものだが、十分に魅力的だと思う。個人的にはマイアベーアの、どこか金太郎飴的な音楽よりもアレヴィの変化に富んだ音楽作りの方が好きなのだが、もっとも、実はまだ好き嫌いを言えるほど、あるいはそのドラマトゥルギーを批判できるほど観る経験を持っていない。まだまだヴァーグナーの側から観てしまうようなところがどうしてもあるようで、それはグラントペラにとっては迷惑なことだろう。相手がモーツァルトならば、また別の見方ができるだろうけれど、そのモーツァルトやヴァーグナーに対するのと同じような位置や姿勢からグラントペラの世界を評価し、論じられるようになるには、まだまだ舞台経験が浅いことを痛感する一夜であった。
(2019/10/15)
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長木誠司(Seiji Choki)
1958年福岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)。音楽学者・音楽評論家。オペラおよび現代の日本と西洋の音楽を多方面より研究。東京大学文学部、東京藝術大学大学院博士課程修了。著書に『前衛音楽の漂流者たち もうひとつの音楽的近代』、『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社)、『オペラの20世紀 夢のまた夢へ』(平凡社)。共著に『日本戦後音楽史 上・下』(平凡社)など。