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パリ・東京雑感|パリから見る韓国と日本|松浦茂長

パリから見る韓国と日本  
Personal reflections on Korea

Text by 松浦茂長 (Shigenaga Matsuura)
Photos by 大野 幸 (Ko Oono)

韓国との関係が急な坂を転げ落ちるように悪化してしまった。アジアの専門家でもなく、しかもこの半年外国にいる僕に、日韓を論じる資格はないのだが、何か書かないではいられない。当面の課題については、かつての級友の元外交官、東郷和彦さんが送ってくれた論文を引用させて頂くことにして、まず<僕にとっての韓国>にまつわる、個人的思い出をたどってみよう。
大学のとき国文学の先生が、「日本人は中国文化の乳を吸って育った。その乳を韓国という乳房から吸ったのを忘れてはいけない。」とおっしゃった。そういうことなら韓国語入門しようと、語学教室に通い始めた。ところが、その教室は北朝鮮系だったので、教科書は「日帝」の悪行を記述した文章が多く、気分が悪い。でも、仲間は面白い人ばかりで、授業より雑談に花が咲き、休日には先生も含め皆でピクニックに行ったりした。肝腎の韓国語(その教室では多分朝鮮語?)の方は、文法こそ日本語そっくりで苦労しないけれど、発音が僕には難しい。声帯を締めてパッと開く子音の発音がどうしても出来ず、1年で挫折した。
戦後の映画には、韓国人慰安婦が軍と一体になって移動する場面が出てきたし、麻薬で稼ぐ軍の腐敗、アジアでの蛮行を描いた作品も少なくなかった。(代表的傑作は『独立愚連隊』『人間の条件』)。自民党の政治家たちも、アジアの国々に対し「申し訳ないことをした」という気持ちがあったようだ。そんな時代の空気を吸って育った僕たちだから、アジアに対し構えるところがあった。
1968年に3ヶ月ほどパリを離れてスイスのフリブール大学に留学。町外れの学生寮の住人はほとんどが外国人で、僕はイタリアの陽気な男といつも一緒だった。あるとき彼がこう教えてくれた。「フィリピンから来たのがいるだろう。あいつ『日本人は大嫌いだ。でもマツウラは嫌なやつじゃない。』と言っていたよ。」数週間後に、フィリピンの学生が、僕の自転車を借りたいと言ってきた。飛び上がるほど嬉しいリクエスト。でも彼が自転車を借りたのは1回きりだった。
東南アジアの人々の日本に対する感情は、時と共に急速に良くなったよう思う。1970年代にフィリピンに出張したときは、<まだ許されていない>緊張感があったが、80年代には、もうそんなこだわりはなくなった。もともとインドネシア、タイなどは、あっけらかんと日本人を歓迎してくれるし、僕らより後の世代は、どこに行っても歴史への負い目を意識せずに旅行できたに違いない。
80年代初め、英国のテレビで「Tenko(点呼)」という連続ドラマが人気だった。東南アジアの捕虜収容所でヨーロッパ人が日本軍人に虐待される物語なので、小学生の息子は、級友に「テンコ、テンコ」と囃された。80年代までは、僕もイギリス人やオランダ人に戦争をめぐる憎悪の言葉を浴びせられたり、つばを吐きかかられたりしたが、若い世代の人達は、もうそんな嫌な思いとは縁がない。

景福宮

いまもわだかまりが残るのは中国と韓国。でも、昔は地球のいたるところで日本への恨み、憎悪に出会った、言い換えれば日本の植民地主義と戦争が残した負の遺産を国民は担って生きなければならなかったのを思い出そう。平和でクリーンな国作りに励んだおかげで、世界の日本を見る目を変えさせたのだから、残る2国も変えられないはずがない。

チョッカル(塩辛)

90年代初め、モスクワで韓国文化放送の特派員と付き合い始めたとき、フジテレビの元ソウル特派員の忠告に従って、謝罪した。彼が北朝鮮の経営するレストランに招いてくれたとき、乾杯の後、「植民地時代に日本式の名字を強制したこと、学校でもっぱら日本語を教えたこと(お年寄りから聞いた話では、学校で韓国語を話すと体罰!)、神社・天皇崇拝を強いたこと」を謝った。彼から何のコメントもなく、その話題はおしまい。金日成のバッジをつけたウェイトレスのサービスで意外においしい食事を楽しんだ。

数年前、早稲田大学で、伊藤亜人教授が韓国について連続公開講座をしてくれた。日本人が実際的で感性・感情を大事にするのと対照的に、韓国人は理念の人だそうだ。たとえば日本の学生と韓国の学生が環境問題に取り組むと、韓国側は、10年後に海水の温度が何度上昇、といった地球規模の話から取り掛かる。他方、日本側は、地元の川を綺麗にするには、といった身近な具体的テーマに興味を持つ。韓国でキリスト教が盛んなのも、かれらの理念性と関係あるのかも知れない。
フランス人の元文学教授に「日本映画と韓国映画の違いが分かりますか」と聞いたら、即座に「韓国映画の人間の捉え方はフランスと変わらない。異質の文明という感じはしないわ。日本映画は感受性が違う。そこが魅力ね」と答えた。頭でっかちで心理分析が得意なフランス人にとって韓国人は同類なのだ。10年前はフランスにいてもテレビで日本映画がたくさん見られたのに、最近はたまにアニメが放映される程度で寂しくなった。日本映画が減った代わりに増えたのが韓国映画。どの映画も強烈な主張があり、濃厚な表現、こってりしたご馳走を食べたような見応えがある。『嘆きのピエタ』『お嬢さん』『大統領の理髪師』『彼と私の漂流日記』……。時代の問題をえぐり取り、力強いフィクションに仕上げる構想性も、フランス映画に近い。フィクションが思想なのだ。

世宗大王像

理念的な韓国と現実的な日本という国民性の違いが、問題をこじらせた原因の一つかも知れない。1995年、アジア女性基金がスタートするとき、代表の記者会見を聞きに行った。東大の和田春樹教授と大沼保昭教授、それに昔フジテレビでニュースキャスターをしていた有馬真喜子さん。有馬さんとは食事しながら「中国の人権問題について批判するのは僭越ではないですか。日本が人倫を知ったのは中国のおかげです。孔子の国に辺境の我々が説教するなんて」と、ヘンな議論をふきかけたことがある。
3人とも高潔な理想主義者だ。「慰安婦だった方がたは高齢で、いま償いをしないと間に合わない。」という言葉に嘘はない。建前上、償い金を国が直接払うことが出来ないのなら、民間の募金に国が協力するという形にしてでも、早く償いをしなければならない。「それは私たちの良心の問題だ」と言う。気持ちはよく分かるが、この最後の一言を聞いて不安になった。(ロシアの食糧不足が欧米のテレビで報道され、各国市民から食料の入った小包が沢山送られてきたとき、ロシア人が「こんなモノを!」と怒り狂うのを見てきた。飢えても人はプライドを失わない。上から見下す視線を感じると、プレゼントを投げ捨てるのだ。)東大教授の良心の満足?不吉な予感。日本人の思考法なら、「形は民間でも、国が金を出し、首相のお詫びの手紙もつくのだから実質は国の謝罪だ」と現実的解釈をするだろうが、韓国は実質より観念が優先する。あいまいなカネで誤魔化されてはいけない!猛列な反対が起こり、償い金を受け取った女性は辱めを受け、韓国内の亀裂を深めてしまった。純粋な善意が、悪魔的結果を生んだのだ。
困ったことに、日本式の現実主義より、理念を高く掲げる韓国式の方が外国、特に欧米には分かりやすい。<性的奴隷>という概念に括られた慰安婦の物語は、圧倒的な説得力を持ち、全世界に拡散した。「彼女らは稼ぎの良いプロだった」式の慰安婦論は、いまや日本の中だけのガラパゴス。フランス人との会話で慰安婦が話題になったとき、「ヨーロッパにも慰安婦はあったでしょう」とか、「必ずしも皆が強制的に連れられて行ったわけではない」とか言っても彼らは聞く耳を持たない。津波のように時代を覆い尽くす女性の権利拡大史に、<慰安婦=性奴隷>はゆるぎなく刻み込まれてしまったのだ。

パリで日課のプールに行くと、常連が「日本は台風の被害がひどいらしいね」と気の毒がってくれたり、別の男は「私の娘は日本が大好き」と言って、お嬢さんが京都に旅し、着物姿で茶道風の所作をしている写真をスマホで見せてくれたり。日本好きはフランス人だけではない。八百屋のアラブ人店員は「日本は戦争しない憲法を持っている」と褒めてくれた。アフリカ人は「ヨーロッパの援助は彼らの利益のためだが、日本はアフリカのための援助をしてくれる」と言う。彼らの連想する日本は何か。柔道、すし、アニメ、コスプレ、ハイブリッド自動車、泥棒がいない……。僕の若い頃あれほど嫌われ者だった日本は、愛される国になった。

ハラル(イスラム食)の看板も

先日、日本に詳しいフランス人作家とお喋りし、日韓の関係悪化が話題になると「残念です。アジアの国々は日本にリーダー役を期待しているのに。アジアの国民が、モデルとして憧れ、マネしたくなる国のはずでしょう。」と言う。隣の国との摩擦に気をとられ、国際社会での日本の使命にまで考えが及ばなかった。アジアのリーダーなどと聞くと、大東亜共栄圏の悪夢を思い出し、拒否反応が起こりそうだが、力と金による支配ではない。フェアーで平和で人権が大切にされる魅力的な国として憧れられる国、日本はそんな国としてアジアのお手本であり続ける責任を負わされているのかも知れない。
ところが、今回の徴用工裁判に対する報復は、フェアーで平和的な日本路線からの逸脱ではないか。東郷和彦氏は「徴用工問題で企業への実害が生じていない段階で、『輸出管理』という新しい問題を理由に韓国企業に実害をもたらしうる措置をとったことは、『日本から最初に叩かれた』というイメージを瞬時に作り上げ『日本からの攻撃に挙国一致で対抗する』という絶好の『口実』を文大統領に与えてしまった。韓国人のもつ『恨』の深さからすれば、予想すべき事態であったと言わねばならない。」(『日韓関係はなぜここまでこじれたのか 終戦70周年安倍談話が関係改善のカギ』『エネオス』9月号)と指摘する。フランスでもLGのテレビ、サムスンのスマホは日本製品より人気があることだし、半導体、有機LEDを狙った原料の輸出規制は「日本が最初に叩いた」と受け取られてしまう。トランプ流のダーティなイメージだ。
クリーンな日本の評判を傷つけるのは国益にならない。大胆な一歩を踏み出して、韓国との和解を目指そう。そのためには「戦後の日韓関係を支えてきた『65年体制』のあり方について、私たちも考えざるを得ない事態が訪れるかもしれない」(東郷和彦氏)。関係がここまでこじれてしまうと、韓国併合が不当だったか合法だったかを曖昧にした『65年体制』のまま先に進むことは出来ない。原理原則を尊重する韓国が相手なのでもあり、植民地化とはどういうことだったのか、原点に帰って検討し直す時が来たのかも知れない。

 (2019年9月27日)