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サントリーホール サマーフェスティバル2019 大野和士がひらく 大野セレクションの室内楽|西村紗知

サントリーホール サマーフェスティバル2019 大野和士がひらく 大野セレクションの室内楽
SUNTORY HALL Summer Festival 2019, ONO KAZUSHI ga HIRAKU Ono’s Selection of Chamber Music

2019年8月24日 サントリーホール ブルーローズ(小ホール)
2019/8/24  SUNTORY HALL, Blue Rose (Small Hall)
Reviewed by 西村紗知 (Sachi Nishimura)
Photos by 池上直哉
写真提供:サントリーホール

<演奏>        →foreign language
指揮 : 板倉康明
ホルン : 有馬純晴/伴野涼介/岸上 穣/阿部雅人
トランペット : 川田修一/伊藤 駿/大西敏幸/坂井俊博
トロンボーン : 山口尚人/西岡 基/池城 勉
テューバ : ピーター・リンク
ヴァイオリン : 川久保賜紀
チェロ : 伊藤悠貴
テノール : 吉田浩之
ピアノ : 永野英樹
ハープ : 木村茉莉
クラリネット : 西澤春代
チェロ : 高麗正史
リコーダー : 鈴木俊哉

アンサンブル : 東京シンフォニエッタ
   ヴァイオリン : 山本千鶴/海和伸子/梅原真希子/寺岡有希子/千葉純子/吉成とも子
   ヴィオラ : 百武由紀/守山ひかる/吉田 篤
   チェロ : 高麗正史/宇田川元子
   コントラバス : 長谷川信久
フルート : 斎藤和志
オーボエ : 渡辺康之
打楽器 : 和田光世/佐々木啓恵

<曲目>
マグヌス・リンドベルイ(1958〜 ):『オットーニ』金管アンサンブルのための(2005)
マーク=アンソニー・ターネジ(1960〜 ):『デュエッティ・ダモーレ』ヴァイオリンとチェロのための(2015)
ヴォルフガング・リーム(1952〜 ):『ビルトニス:アナクレオン』テノール、ピアノ、ハープ、クラリネット、チェロのための(2004)
細川俊夫(1955〜 ):『悲しみの河』リコーダーと弦楽アンサンブルのための(2016)
サルヴァトーレ・シャリーノ(1947〜 ):『ジェズアルド・センツァ・パローレ』アンサンブルのための(2013)

 

1987年より毎年夏に開催される、現代音楽の祭典「サマーフェスティバル」。今年はサントリー財団50周年という節目の年にあたり、訪れた聴衆はより一層充実した時間を過ごすこととなった。しかしながら企画の華やかさはともあれ、この室内楽の部は、現代音楽の持続可能性について考える機会を提供するものだったといえよう。
それは、現代音楽作品の再演の問題である。もちろん今になって浮上した問題ではないであろう。こうした大きなイベントでは、様々な意思決定が複雑に絡み合っている。現代音楽のイベントとはいえ興行の側面を度外視しない限り、選曲やキャスティングの都合もあろう。その中で実現しうる最高度のパフォーマンスを求めていかねばならないのであろうが、今回のようなとりわけ変則的な室内楽というのは、現代音楽の中でも再演に向いていない部類なのではなかっただろうか。ごくプライベートな機会のために出来上がった作品なら、そもそも再演をどれほど想定していたのかもわからない。調性感があって特殊奏法の指示がない作品だからといって、演奏しやすいわけではなかろう。作曲家と接点をもたない演奏者は、一体どのようにして再演に取り組むべきなのであろうか。
もちろん、そうした困惑に満ちた問いが出てくること自体が特殊だ。演奏者が作曲家と接点を持たねばならないなんてことがあろうか。しかし、作品をどうにでもしていいわけではない。作曲家の意図を踏まえなくては成立しえない作品も世の中には存在する。譜面に即してきっちりやればいいだけではないか、という声もあるかもしれない。しかしそれで成立するものこそ、古典と呼ばれる部類の作品なのである。
そんなわけで、作品が演奏者を(演奏者が作品を、ではなく)はねつけるのをずっと見続けるようであった。もちろん、聴衆も例外ではなかった。

金管楽器の音色の派手さでごまかすことのできない繊細さが、『オットーニ』という作品にはあった。細かい音で構成された高音域のソロにハラハラするのはもちろん、アンサンブルにおいて要求されるあらゆる役割を、すべて金管楽器でまかなわなければならないというスリリングさ。フレーズの受け渡しやセクションごとの間を埋めることなど、普段金管楽器がやらないことをやっていかなくてはならないのだ。各セクションが鳴らすコラールは申し分ないけれども、音楽における縦の線と横の線は、相互に依存し合っているという自明のことを改めて痛感した。

作品に書かれているままの退屈さと、演奏者二人の内密さをうまく実現できるかどうかが『デュエッティ・ダモーレ』の鍵だった。間違っていない演奏だったように思う。音の線のまぐわいも、ピチカートでささめき合うのも。しかし、本当に生み出すべきはそういう音より空気だったのだろう。あるいは即興性というのかもしれないが、それはあまりに再現が難しい。真面目にやれば演奏として不正解だとすれば、あんまりだ。

『ビルトニス:アナクレオン』の演奏からは、どうしても素っ頓狂な印象が拭えなかった。編成は、テノール、ピアノ、ハープ、クラリネット、チェロ。音色も役割も異なるなかで、一つ一つの楽器が対等に渡り合わねばならなかったものの、どの楽器も訥々と述べるような音の少なさであるので、行間がなんともし難い。聴衆の側にも困難さが投げかけられている。この作品が原型とするものがなにかよくわからないままでいると、積極的に聞き入ることができない。諸々、いくらか繊細さが過ぎる。

圧倒されるようなヴィルトゥオーシティと、わかりやすいイメージ。この二つを提示する作品が最も再演に適しているのではないかと、『悲しみの河』の演奏から感じた。弦楽アンサンブルはさざめきに徹して、リコーダーのかすれた慟哭とよく調和している。音色の面での相性もよければ、形なき有象無象と一人のイタコではないが、存在上の対比もうまくなされている。アンサンブルの関係性の把握しやすさも、再演向きかどうか分かれるポイントとなるであろう。もっともこの作品に関しては、鈴木ほどのリコーダー奏者がいなければそもそも再演は無理なのだろうけれども。

タイトルを見た瞬間からある程度予想はしていたものの、やはりタイトル通り、『ジェズアルド・センツァ・パローレ』は本当に、ジェズアルドのマドリガーレの器楽アンサンブル版編曲であった。マリンバなどの打楽器の音が聞こえれば、原曲そのものの演奏ではないのだろうとかろうじてわかるけれども、基本的にはジェズアルドである。もちろんジェズアルドのマドリガーレ自体が奇抜な響きを湛えているのはわかる。実に現代音楽ファン向けの作品だ。これがジェズアルドではないと判断できるかどうか、現代音楽ファンに試しているのであり、そもそも現代音楽ファンのいない場所なら、普通にジェズアルドが演奏されるようなものであろう。

今日に関しては、リコーダー・鈴木俊哉の一人勝ちと言わざるを得なかった。もちろん彼のパフォーマンスは、指揮者、弦楽アンサンブル、作品からの支えあってのことだ。しかし鈴木がいなくなったら、この作品はどうなってしまうのだろう。現代音楽の世界では、今まさに作品が生れたかと思えば、同時に歴史に埋もれていく作品もある。当たり前のことだけれど、そんなさみしいことを思った。

(2019/9/15)

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<Artist>
Yasuaki Itakura, Conductor
Sumiharu Arima / Ryosuke Tomono / Jo Kishigami / Masato Abe, Horn
Shuichi Kawata / Shun Ito / Toshiyuki Onishi / Toshihiro Sakai, Trumpet
Hisato Yamaguchi / Motoki Nishioka / Tsutomu Ikeshiro, Trombone
Peter Link, Tuba
Tamaki Kawakubo, Violin
Yuki Ito, Cello
Hiroyuki Yoshida, Tenor
Hideki Nagano, Piano
Mari Kimura, Harp
Haruyo Nishizawa, Clarinet
Masashi Korai, Cello
Tosiya Suzuki, Recorder
Tokyo Sinfonietta, Ensemble
  Chizuru Yamamoto / Nobuko Kaiwa / Makiko Umehara / Yukiko Teraoka / Junko Chiba / Tomoko Yoshinari, Violin
  Yuki Hyakutake / Hikaru Moriyama / Atsushi Yoshida, Viola
  Masashi Korai / Motoko Udagawa, Cello
  Nobuhisa Hasegawa, Double Bass
Kazushi Saito, Flute
Yasuyuki Watanabe, Oboe
Mitsuyo Wada / Hiroe Sasaki, Percussion

<Program>
Magnus Lindberg(1958- ) : Ottoni for Brass Ensemble(2005)
Mark-Anthony Turnage(1960- ) : Duetti d’Amore for Violin and Cello(2015)
Wolfgang Rihm(1952- ) : Bildnis: Anakreon für Tenor, Klavier, Harfe, Klarinette in A und Violoncello(2004)
Toshio Hosokawa(1955- ) : Sorrow River for Recorder and String Ensemble(2016)
Salvatore Sciarrino(1947- ) : Gesualdo senza parole per ensemble(2013)