北とぴあ国際音楽祭2018 ウリッセの帰還|大河内文恵
北とぴあ国際音楽祭2018 モンテヴェルディ作曲 ウリッセの帰還
2018年11月25日 北とぴあ さくらホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by K. Miura/写真提供:(公財)北区文化振興財団
<演奏>
寺神戸 亮(指揮・ヴァイオリン)
演出:小野寺 修二
ウリッセ:エミリアーノ・ゴンザレス=トロ
ペネーロペ:湯川 亜也子
ミネルヴァ:クリスティーナ・ファネッリ
テレーマコ:ケヴィン・スケルトン
エウメーテ:櫻田 亮
イーロ:フルヴィオ・ベッティーニ
メラント:マチルド・エティエンヌ
エウリーマコ:眞弓 創一
エリクレーア:波多野 睦美
ジョーヴェ:谷口 洋介
ジュノーネ:阿部 早希子
ネットゥーノ:渡辺 祐介
ピザンドロ:中嶋 俊晴
アンフィーノモ:福島 康晴
アンティーノオ:小笠原 美敬
人間のもろさ:上杉 清仁
時:渡辺 祐介
運命:クリスティーナ・ファネッリ
愛:広瀬 奈緒
パフォーマー:辻田暁/遠山悠介
レ・ボレアード
「もしかしてこれは歴史的な転換点に居合わせているのではないか」という胸の高鳴りでワクワクしながらの時間だった。休憩含めて4時間強という長丁場が少しも長く感じられなかったのは、このためであろう。
今回は、公益財団法人)北区文化振興財団設立30周年記念事業の1つと位置づけられ、文化庁と3つの財団法人を含めた4か所の助成が入っていたこともあり、セミ・ステージ形式ながら充実した公演となった。
『ウリッセの帰還』は現存するモンテヴェルディの3つのオペラのうち、最も上演機会が少ない。それは必要なキャストの数が多いこと、他のオペラに比べてストーリーに劇的な展開が少なく観客を長時間惹きつけるのが難しいことが主な原因であろう。それらを克服するため、海外から歌手を招聘するだけでなく、これまでこのシリーズで主役を務めてきた、第一線で活躍している日本人歌手を端役に至るまで惜しげもなく投入したこと、プロの演出家を迎えたことがオペラ全体を飛躍的に向上させた。
これまでのこのシリーズは、寺神戸がヴァイオリン演奏と指揮、全体プロデュースを担い、それをキャスト・スタッフ全員で支えるという形をとってきた。それはそれで、特に地元に根付いた音楽祭でもあるという観点から望ましいことでもあったろう。しかし、昨年のレビューでも書いたように、全体を隈なく調整する視点に欠ける部分があるのは否めなかった。
今回は、最初から最後まで緊張感が緩むことなく、隅々までよく構成されていた。舞台がぴりっと締まっていたのは、パフォーマーの辻田によるところが大きい。歌手が歌っているときにはあまり大きな動きはなく舞台空間が単調になりがちだが、その空間を見事に埋めていた。年末のテレビの歌番組などで歌手とダンサーのコラボレーションがよく用いられ、むしろダンサーがないほうがよいのでは?と思う演出もよく見かけるが、上手く使うとこんなに効果的なのかと目から鱗がぼろぼろ落ちた。
第2幕の冒頭、男性のダンサーが踊っていたかと思ったら、いきなり歌いだしたので驚いた。踊っていたのはテレーマコ役のスケルトン。プロフィールをみるとダンサーとしても活躍しているとある。非常に効果的な配役だった。歌手についていえば、ウリッセ役のゴンザレス=トロとペネーロペ役の湯川が素晴らしかった。声そのものの魅力だけにとどまらず、役の感情の動きを見事に表現していた。喜劇的な役、イーロのベッティーニとアンティーノオの小笠原も観客の笑いのツボをよく心得た好演だった。彼らに笑わせてもらったことも長さを感じなかった要因の1つであろう。波多野を乳母役に持ってきたところは配役の妙。第3幕は、すでにウリッセは物理的には帰還しており、それを認めてもらう段階に入っているために、ストーリーはあまり動かない。そういった場所で鍵となる重要人物として波多野が投入されたことは強力なカンフル剤として作用していた。
このオペラでは、登場人物による合唱が3か所あるのだが、さすがにソリストでも充分通用する人たちの集まりだけあって、どれも絶品であった。器楽のアンサンブルもいい仕事をしていた。寺神戸による導入のソロヴァイオリンは、寺神戸さんってこんなに上手い人だったっけ?と思わせる絶妙なもの。コルネット2人による独奏部分も聴かせた。今回の白眉はバロック・ギターであろう。ギターというよりウクレレのような大きさの楽器で音色もウクレレに近い。この楽器が鳴ると民族的というか素朴というか独特の雰囲気が生まれる。また、オルガンの一種であるレガールも通常のオルガンとはまた異なる音色で魅せられた。
さて細かいことはこのくらいにして最初の話題に戻ろう。私たちがバロック・オペラをみるとき、無意識に「バロック・オペラの基準」を適用してはいないだろうか?その上演が良かったかどうかを判断するときに、通常のオペラは比較対象にせず、バロック・オペラの中で良かったかそうでないか判断してはいないか。
雑誌「レコード芸術12月号」の安田和信氏の論考「ピリオドの広がりと一般化」の中に、「『この演奏、録音はピリオド楽器によるのか否か』といったことが大きく話題になることは少なくなる傾向が強まってきた」というくだりがあり、注目されなくなってきた理由として「あまりにも当たり前の現象として受け容れられたがために、人々の意識に上らなくなった」ことを挙げている。
この公演を観て、もはや「バロック・オペラ」かどうかが問題にならない時代がすでに到来しているのではないかと感じた。今後、この傾向が続けば、間違いなくこの公演は一大転換点として認識されるだろう。これが転換点となるかどうかは、今後のバロック・オペラの上演の質にかかっている。
(2018/12/15)