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ベトナム便り|旧正月に、ブダペストの博物館からベトナムを考える|加納遥香

旧正月に、ブダペストの博物館からベトナムを考える

Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh) 

 

今年も旧暦(太陰暦)の新年を迎えた。ベトナムでは旧正月のことを通常「テト(Tết)」という。これは「節」、つまり季節の節目を意味する語で、元日は正式には「元旦節(Tết Nguyên Đán)」という。端午節や中秋節などにも「テト」という語を用いているが、日本とは異なりいずれも太陰暦に基づく日付で祝われる。ベトナムの生活では太陰暦がいまだに重視されており、ベトナムのカレンダーは必ず2つの暦が併記されている。余談ではあるが、テトは通常カタカナで「テト」と表記し、日本語ではその通りに発音するのだが、ベトナム語では「テッ」のような発音になるので、日本語を知らないベトナム人に「テト」と言っても伝わらない。

太陽暦の新年は、「陰暦テト(Tết Âm lịch)」「陰テト(Tết Âm)」に対して「陽暦テト(Tết Dương lịch)」、「陽テト(Tết Dương)」、あるいは「我々のテト(Tết ta)」に対して「西洋のテト(Tết Tây)」と呼ばれている。最近になって、太陽暦の新年を祝う文化も生まれつつあるが、どちらかというと、クリスマスやハロウィンのように、外来文化としての色が強い。人びとの意識や生活において太陰暦がいまだに根付いているベトナムの様子を見るたびに、かつて太陰暦を用いていた日本の人びとが、どのように太陽暦へと適応していったのだろうかと不思議でたまらない。

テトの過ごし方については、日本の正月と同じように、故郷に帰って家族や親族と過ごす、というのが伝統的な祝い方である。なのでこれまで私もベトナムで旧正月を迎える年には、ベトナムの友人のお宅にお邪魔して一緒にテトを過ごさせてもらうことがほとんどだったのだが、今年は思い切って遠方に海外旅行に行くことにした。向かった先は20年ぶりのヨーロッパ。主にウィーンに滞在したのだが、列車に揺られながら景色を眺めるのが好きということもあり、列車で2時間半程度のブダペストにも1泊2日で足を延ばした。

ウィーン中央駅にて (2026年2月18日 筆者撮影)

  列車の車窓から (2026年2月18日 筆者撮影)

私が訪れたのは、「ハウス・オブ・テロル・ミュージアム」だ。中央・東ヨーロッパ歴史社会研究財団(Foundation for Research on Central and Eastern European History and Society)という財団が運営を担う、1944年から1990年までの間にハンガリーが経験した「テロル」—第二次世界大戦期にナチスに共鳴して反ユダヤ人主義を掲げた矢十字党によるホロコーストと、戦後から社会主義陣営崩壊までのソヴィエトとハンガリーの共産主義者による迫害の数々—の記憶を伝える博物館である。博物館建設当時および現在の首相であるオルバーン・ヴィクトルの発案で計画され、2002年に完成した(Sodaro 2018: 58-59)。訪問時には下調べも何もしていなかったが、この博物館は政治と密接な関係があり、展示を見ているだけでもそれが伝わってきた。

特に計画を立てていなかったブダペスト滞在で訪れたこの博物館では、図らずもベトナムを見つめ直すことになったので、以下ではそれについて綴ろうと思う。

 

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雪が降るなか博物館近くのトラムの停留所から歩いていくと、目を引く建物が立ち現れ、真っ白な風景の中にそびえたつ建物の上方では、「TERROR」の文字が際立っている。すぐ横の通りには、「私たちは彼らを忘れたのか? ソヴィエトの強制労働キャンプに送られたハンガリー人:70万人」「私たちは彼らを忘れたのか? 1945年以降に政治的理由で処刑された同胞:700人」などと英語で書かれた看板が連なっている。そのときはただ、強い表現とインパクトのあるデザインの看板に圧倒されるのみであったが、今振り返ってみると疑問もわいてくる。英語で書かれているということは、外国人に向けたメッセージなのだろうか。主語の「私たち(we)」とは、一体誰のことを指すのだろうか。

 

  ハウス・オブ・テロル・ミュージアム外観(上)と横の看板(下)(2026年2月19日 筆者撮影)

 

建物の入り口やクロークは学生と思われる団体客で込み合っていた。現地の学生たちにとってメジャーな課外活動の施設なのだろう。彼らに交じって私も着込んだ上着、荷物と傘を預け、展示室の見学を始めた。展示の詳細は割愛することとし、ここでは印象に残ったことを三点取り上げたい。

 

矢十字党と共産党のマークが並べられた博物館入り口(2026年2月19日 筆者撮影)

 

第一の点は全体を通して展示デザインについて。淡々と資料を陳列するのではなく、スタイリッシュで見栄えするよう工夫されていた。たとえば戦時中のソヴィエト強制労働所についての展示室では、有刺鉄線や手錠を展示するにしても、それらは単なる展示ボックスに並べられるのではなく、展示室内にちりばめられた円錐状の洒落たケースの中に収められていた。

 

出典:Foundation for Research on Central and Eastern European History and Society. 2024. Museum Catalog “TerrorHaza / HOUSE OF TERROR,”(English version) , p.12

 

続く展示室には、「着替え部屋」と名付けられた展示室があり、部屋の中央に矢十字党と共産党の制服が展示されていた。このコンセプトについて解説文によれば、「共産主義者は、協力の意思を示した矢十字党の一般党員を、自らの陣営に迎えいれた」、「彼らは、単に人種差別理論をマルクス主義的階級闘争理論に置き換えたに過ぎない。それは単にユニフォームを取り替えるだけの単純な問題だったのである」ということだ。私にとっても印象的な展示室であったことからもわかるように、「着替え」という比喩はわかりやすく、インパクトを与えるのに効果的であった。一方で他の展示にも共通することだが、史実を一つ一つ説明していくというよりは、わかりやすさを重視する単純化した展示が目立った。

 

出典:ハウス・オブ・テロル・ミュージアム公式ウェブサイト「Permanent Exhibition」https://terrorhaza.hu/en/exhibitions/permanent-exhibition/second-floor/changing-clothes
(最終閲覧2026年3月8日)

 

二つ目に印象に残っているのは、上述の強制労働キャンプについての展示室や戦後の強制移住に関する展示室で、小さな液晶画面が複数設置され、複数の当事者の語りが映像で紹介されていたことである。たとえば、小さな村全体がソヴィエトの強制労働キャンプに送り込まれ、1944年から1945年にかけて村は全滅したという話。富農と見なされ、深夜に突然捕らえられて真っ黒な車で田舎へ送り込まれたという話など。ベトナムに考えを巡らせてみると、20世紀共産主義者の統治下のベトナムにおいても、土地改革や思想弾圧、再教育キャンプをめぐる被害の経験や記憶が無数にあるが、現在も共産党が独裁体制を維持しているために、それらが公的に紹介されることはない。ベトナムでこのような経験が大々的に語られる日が来るのだろうか。

第三の点は、透明の「私たち」の存在である。展示が描写するのは常に「敵」による迫害であるが、それを見ているうちに、この悲惨な歴史を記憶する主体としての「私たち」が想定されていることに気が付かされる。ハンガリー国民を指すのか、屋外の看板で「私たち」という言葉が用いられていたことを踏まえると外国人も含まれるのか。「私たち」の中の多様性はどのように担保されたり、排斥されたりしているのか。

この記事を書くにあたり少し勉強してみたところ、社会学者エイミー・ソダロの研究では、同博物館の展示が「“真”のハンガリー人」を設定し、彼らを「ドイツとソ連の占領者による無実の犠牲者」として描いていること、「“真”のハンガリー人」を現在のハンガリーを担う主体と見なしていること、極右の現オルバーン政権下でマイノリティ(ロマやユダヤ人、中東からの移民など)が排斥される中で「“真”のハンガリー人」を定義することは危険を孕んでいることが指摘されていた(Sodaro 2018: 78-79)。これを踏まえれば「私たち」とは、ハンガリーの現在・未来を担う「”真の”ハンガリー人」のことであろうか。(なお、博物館の展示の大半は共産主義に関するものであり、ユダヤ人迫害に関する展示室は2部屋しかない。)

このロジックをベトナムと比較すると、類似点と相違点の両方が浮かびあがってきて興味深い。ベトナムの公式の歴史とは、古くは中国、近現代においてはフランスやアメリカといった「外敵」に侵略され、それに抵抗し、独立を勝ち取ってきたというものであり、民族主義的な歴史観においてハンガリーと類似している。また、ベトナム国内にもエスニック・マイノリティや共産主義者と闘った南ベトナム政府側の人たちなどがいるが、「ベトナム人」「ベトナム民族」という際に多様な立場やバックグラウンドをかき消す暴力性を孕んでいる点でも、ハンガリーと共通している。一方で対照的なのは、ハンガリーは共産主義者の過去の振る舞いを否定することで現在のハンガリーをアイデンティファイするのに対し、ベトナムは、共産主義者の過去の振る舞いを肯定し、賛美することで、現在のベトナムをアイデンティファイしていることであろう。

ベトナムの首都ハノイでは、「ベトナム共産党博物館」の建設が進められている。この計画は、2026年2月3日のベトナム共産党設立記念日に実行に移され、ベトナム共産党設立100年を迎える2030年の完成がめざされている。テトの前の1月19日から23日には、5年に1回開催されるベトナム共産党全国代表者大会が開催され、2024年夏から書記長ポストを務めていたトー・ラム書記長の続投が決定され、彼のリーダーシップの下で国家・民族を飛躍させていくことが、意気揚々と掲げられたところである。国民の大多数にとっての政治的安定と急速な経済発展が担保されている限り、ベトナムにおける共産党の一党独裁体制は、今後も続いていくのであろう。

同じように20世紀に社会主義体制をとり、現在においてその過去を政治的に利用する両国のうち、共産党支配を否定し、ポスト社会主義・反共産主義であることをアイデンティティとして記憶の政治を展開するハンガリー。共産党こそが唯一の支配政党であるという考えの下で、その歴史と現在の栄光を讃える博物館を建設中のベトナム。ベトナムから離れて過ごした旧正月であったが、ブダペストでの博物館訪問を通して、ベトナムについて考えを巡らせる旅となったのだった。

 

ブダ地区からみたドナウ川の夜景(2026年2月18日 筆者撮影)

 

参考文献

Sodaro, Amy. 2018. Exhibiting Atrocity : Memorial Museums and the Politics of Past Violence, Rutgers University Press.

*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。

(2026/3/15)

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加納遥香(Haruka Kanoh)

2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。