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プロムナード |世界が悪くなるとしても ―レジリエンスとしての記録、創発としての対話|大田美佐子

 Text & Photos by 大田美佐子 (Misako Ohta) 

 

「だんだん世界が悪くなる、気のせいか、そうじゃない」 

朝ドラ『ばけばけ』の主題歌として響くハンバートハンバートの『笑ったり転んだり』。今の時代にピタリとはまるシニカルさで、ハッとさせられる。 

 

書いて、記録するというレジリエンス 

メルキュールでプロムナードを担当して、私自身、あらためて「書くこと」はこの厳しい世界に対するレジリエンスであると実感してきた。初めて直面したパンデミックの状況下では、文字通り歴史から困難の克服を学んだし、それゆえに「書いて、記録する」ことが、日に日に悪くなる世界の「次」への備えになるのだろうと考えた。コロナ禍をきっかけに、オンラインを中心に三つの研究会に参加する機会を得た。どれも専門分野の異なる研究者が集う場で、今、年が明けて研究成果としての書籍が出揃ってみると、あの厳しい状況下で共に思考する機会を得られたことへの感謝の念が改めて湧いた。ここで、その活動と私自身のテーマを少し振り返りたい。 

民族音楽学や文化人類学の研究者を中心に立ち上げられた、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の研究班「新型コロナ感染拡大下における芸能に関する学際的研究」では、大阪のフェスティバルで上演されたイマーシブシアター《地下鉄1号線》を論じた。閉塞感に支配されたパンデミック下の劇場から野外へと展開した演劇のあり方や、冷戦期のベルリンを描いた原作を大阪・天王寺へとアダプトすることでもたらされた地域の課題、そして観客の当事者意識について。あるいは、HMPシアターカンパニーの《ブカブカジョーシ、ブカジョーシ》における、劇場に人が集まれない困難を「仮想劇場」という逆転の発想で「新しいかたち」へと昇華させる試み。私の論考には「COVID-19ショックと舞台芸術――代替を超えて、進化への期待」というタイトルを付した。(i)

早稲田大学 オペラ/音楽研究所では「クルト・ヴァイルの社会派音楽劇と社会的メディアとしての音楽劇」について発表した。音楽劇を「時代を映す鏡」と捉えていたヴァイルの理念が、いかに困難な時代を生き抜くための仕掛けであったかを、具体的な作品フォーク・オペラ《はるけき谷間に》の分析を交えて紐解いた。(ii)

さらに、国際日本文化研究センターの共同研究班『日本型教育の文明史的位相』では、教育学、法学、歴史学の研究者の末席に加えてもらい、「日本型」のあり方を多角的に思考した。原稿では、オペラ劇場という場所と上演のための既存の組織を持たなかった日本において、プロとアマチュアが協働して舞台を作り上げていくレジリエンスとしての「市民オペラ」について、日本の音楽教育の課題との接続という観点から論じた。これらの文章はいずれも、私にとっては、パンデミックという断絶のなかで、次の一歩を模索する試みでもあった。(iii)

アートや演劇、音楽は「文化的記憶」となって経験をシェアする。多様なパフォーマンスが生み出す場と、語り繋ぐことば。そこでもう一つ重要なのは、そこから生まれる重層的な対話なのだろう。三つの研究会に参加してそんなことを考えていた折、202511月、まさに対話を生み出す仕掛けに満ちたアメリカの学会に誘われて参加してみた。 

 

対話と行動をうみだす「しかけ」 ― デンバーのASTR、テーマは「Generative Acts 

1881年開業のユニオン・ステーション。

ASTR(American Society for Theatre Research)は、アメリカの演劇・上演研究における最高峰の知性が集まる歴史ある学会だ。学術誌『Theatre Survey』を刊行していることでも知られる。今回の開催場所はコロラド州、デンバー。東京から直行便もあり、鉄道の駅から街中を結ぶ無料のコミュニティ・バスも走り、日常の市民の生活が垣間見えた。街中からも、うっすら遠くにロッキー山脈が見える。開拓精神を想起させるアメリカのワイルドな自然は実に魅力的だ。

レセプションでは、今大会のテーマ「Generative Acts(創発的実践)」について、5人のパネリストが演劇の文脈から「創造的に行動を起こすこと」を熱く語った。背景にあるのは、現政権による高等教育への攻撃だ。あるパネリストは、2016年以降に全米で132もの演劇関連プログラムや学科が閉鎖に追い込まれた現状を指摘した。フロアからは、テキサスの大学で実際に起きているポストカット(職位削減)の惨状を、声を詰まらせながら語る研究者もおり、会場には深い共感が広がった。 また、デンバー出身のアーティスト、ケニア・マホガニーの講演「We must tell our own stories: The Power of Storytelling」にも感銘を受けた。アメリカで聞く「Storytelling」は、単なる「物語る」という訳語では収まらない。自らのアイデンティティや社会的な存在意義を懸命に訴えるための、切実な手段なのだと感じた。

デンバーの街中から、うっすらとロッキー山脈が見える。

今回のASTRのテーマ「Generative Acts」は、政治と演劇の関係性を問う姿勢が色濃く、参加者のパッションに圧倒された。ちなみに私自身のセッションは「音楽劇は何を創発できるのか」であったが、それぞれの発表から、研究対象も自分自身の仕事も、社会に対する「GENERATIVE ACTS」なのだという研究者たちの強い決意を感じ、その「タフネス」に心が震えた。今回経験したことをじっくり咀嚼していくのはこれからかもしれないが、一面だけを見て「アメリカに希望を失った」などと軽々に口にしてはいけない――。そう思わせてくれる人々に、出会うことができた。 

デンバーではアートの力強さにも触れた。最終日の午後に訪れたクリフォード・スティル美術館。その展示のキュレーターを務めていたのは、子どもたちだった。スティルの抽象表現に向き合った子どもたちの、率直で瑞々しい感性。スティルの表現の背景には、コロラドの自然と先住民文化への深い敬意がある。そうした表現に触れることこそが、包摂性や多様性の真の理解に繋がっていくのだと改めて実感した。偶然聴くことができたゾーイ・バーマン(Zoe Berman)によるアコースティック・ギター一本のギャラリー・ライブも、キャンバスを超えて広大な自然が広がる空間に見事に響き合っていた。 

変容していく世界の過酷さに身をすくめるのではなく、記録することを明日への備えとし、語り合うことで新たな道を探りながら歩むこと。冒頭に引いたハンバートハンバートの歌詞も最後はこう結ばれる。「落ち込まないで、あきらめないで、君と二人歩くだけ、今夜も散歩しましょうか」と。

 

i: 増野亜子、吉田ゆか子編著『コロナ下での芸能実践―場とつながりのレジリエンス』,春風社,2025. 

ii: 佐藤英, 大西由紀, 岡本佳子, 萩原里香, 森本頼子編著 『オペラ/音楽劇研究の最前線: 共鳴する人と社会』,水声社,2026. 

iii:  瀧井一博編著 『文明史のなかの「日本型教育」』,法律文化社, 2026 (刊行予定). 

(2026/2/15)