イザベル・ファウスト~無伴奏の夕べ~|秋元陽平
イザベル・ファウスト~無伴奏の夕べ~|秋元陽平
Isabelle Faust unaccompanied violin concert
2026年1月28日 王子ホール
2026/1/28 Oji Hall
Reviewed by秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by (c)王子ホール/撮影:藤本史昭
〈プログラム〉
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ 第17番 ニ長調
シャリーノ:6つのカプリースより 第2番
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 Op.27-2
ニコラ・マッテイス(父)
:ヴァイオリンのためのエア集より ファンタジア、アルマンダ、アルマンダ ニ短調
オンドレイ・アダーメク:Ce qui coule du geste…より ファンタジア
ニコラ・マッテイス(父)
:ヴァイオリンのためのエア集より コッレンテ・ダ・オレッキエ、アンダメント・マリンコニコ、ジーガ ト短調
ニコラ・マッテイス(息子)
:2つのファンタジアより ファンタジア コン・ディスクレティオーネ ハ短調
ケージ:8つのウィスカスより 第1番、第3番、第6番
ベンジャミン:3つの小品より Lauer Lied
テレマン:ファンタジア ロ短調 TWV40:4
ニコラ・マッテイス(父)
:ヴァイオリンのためのエア集より アリア・アモローサ、パッサッジョ・ア・ソロ、ジーガ ホ長調
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ホ短調 Op.27-4
アンコール:ニコラ・マッテイス(父):
ヴァイオリンのためのエア集より ジーガ
ニコラ・マッテイス(息子):パッサージョ・ロット
<演奏>
イザベル・ファウスト
引き絞られた弓のような緊張感の漂う無伴奏だ。同じファウストでも、かつてのオペラシティでのバッハの無伴奏のような明るく溌剌とした演奏ではなく、またあるいはイル・ジャルディーノ・アルモニコとの共演で見せた、舞うような朗らかなモーツァルトとも異なる。鋭く研ぎ澄まし、ヴァイオリンを裸形のまま音楽の試練にさらすかのような凄みがある。
プログラムはバロック音楽と20世紀後半に分極している。例外はイザイだが、後述のようにこれは、どちらかといえばだが、擬バロック音楽の文脈で演奏される。拍手を挟まずに演奏される音楽は相互に緊密な連関を持つ。暗いモチーフも散見され、短調の曲目が多く選ばれている。冒頭のタルティーニの輝かしいニ長調からしてすでに、原色の鋭さを孕んでいる。シャリーノではこの輝きはすぐハーモニクスの氷片の鋭い反射に変わる。イザイでは「怒りの日」や荒ぶるフレーズがバッハを中断する。タルティーニ最終楽章が回帰するように同じニ短調のマッテイス父のエアもまた非常に内省的な演目だ。
アダーメクがファウストに献呈した現代のファンタジアは、イザイとは別の意味で古典の形式化である。そこではバロック音楽の鋭い対比を生み出す開始動作だけが抽出され、残像が宙に浮いたまま静止するような緊迫感がある。ここで続いて再びマッテイス父子に戻るが、息子のファンタジアのほうに耳を奪われる。ファウストはここまでの演目で一番といってよいほど音楽を昏く引き締め、技巧を凝らした内声の展開を聞かせた(ところで、con discrezione「控えめに」はプログラムでは「気ままに」と訳されているが、a discrezioneと混同しているのではないか?)。抑制的な美しさという意味でこのファンタジアは本演奏会の白眉であった。
続くジョン・ケージの散発的な音選びには、やはり良い耳を持った作曲家だと思わせるものがある。それにしても、「弓を引き絞る」から話を広げるようだが、ファウストの弓遣いの清冽さには本当に目を見張るものがあって、ある種の武道——それこそ「弓」道——に準えたくなるほどの、脱力と勢いの自然な両立がある。それがシャリーノやベンジャミンの小品においては音のコントロールの細密さへと、またテレマンのファンタジアのような単旋律の曲ではとくに、音の切りの純粋さ、ひいては音楽の息づかいの繊細さへとつながる。
イザイの4番が本演奏会のフィナーレだが、これがまた興味深い。イザイやブゾーニは新古典主義的な作曲家と言うことが出来るが、彼らのバロック観というのは現代から照らせば多分にロマンティックなものである。ファウストはどちらかといえば現在バロック的と呼ばれる地点に近いところから、フォルムを厳しく彫琢するようにして音楽を取り出してゆくのだが、いわばそうして音楽が骨格に還元されていけばいくほどに、イザイの音運びのロマンティックな余剰が際立つかのように感じられる。
ファウストは自然体で、スケールの大きい音楽をイザイから引きだすのだが、そこでクリアに呈示された楽曲構造によって、この曲からよりロマンティックな解釈を引きだす他の演奏家がやりたかったことも反照される。良い演奏は、音楽がもっているポテンシャルそのものを呈示する。この凄まじい連続演舞の後にさらにアンコール二曲というのは、なんという贅沢だろう。1時間半息もつかせず、私は過集中を起こし、終わったあとに目眩がした。欧州在住時代にはなかなか体験することのなかった聴衆の静けさもまた、ファウストの真摯な音楽が、ここ王子ホールで真っ向から受け止められた証拠だろう。
(2026/2/15)
