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音楽劇《三文オペラ 歌舞伎町の絞首台》| 大田美佐子

新宿の地霊と共鳴する、贅なる混沌の《三文オペラ》

2025年12月18日、21日   Shinjuku FACE
Text by 大田美佐子 (Misako Ohta)
Photos by 松見拓也 (Takuya Matsumi)

原作: ベルトルト・ブレヒト『三文オペラ』
翻案: 聖児セミョーノフ
演奏/編曲: 大野由美子 (Buffalo Daughter)
演出: 三浦基
プロデューサー・音楽監督: 湯山玲子

<出演>
聖児セミョーノフ、秋吉久美子、もも(チャラン・ポ・ランタン)、大谷亮介、エミ・エレオノーラ、安部聡子、真洋、梅垣義明、奥津裕也、トースティー、藤井レオナ、松本実、星田英利、渡部豪太

<演奏>
小田朋美、宮下広輔、海老原颯/ サウンド・ディレクター: ZAK/舞台美術:加藤ちか/ 衣装: 伏見京子/ ヘアメイク: 富沢ノボル/ 照明: 藤原康弘

 

『三文オペラ』を観た。今は東急歌舞伎町タワーとゴジラのビルに挟まれた広場の角、雑居ビル7階。数々の伝説を刻んだライブハウスであり、今や格闘技の聖地ともなった新宿FACEで、その幕は上がった。

三文オペラと地霊

『三文オペラ』は知れば知るほど不思議な作品だ。劇場のなかに、大がかりな足場を組み、異界を登場させることもあれば、美しい劇場で音楽の真正性に立ち返った「オペラ」としての公演もある。特にその魅力が光るのは、一期一会の場の意味が強烈に照らし出される時だ。1980年代のアングラ劇団によるテント芝居、神戸の老舗グランドキャバレー、京都大学のかの吉田寮との鮮烈な出会いも三文オペラだった。そして今回、満を持しての歌舞伎町の三文オペラが、思わず呼び起こしてしまう地霊との一期一会とは‥‥。

座組から生まれる稀有なハプニング

今回の座組には、観劇前から心が弾んだ。プロデューサー・音楽監督の湯山玲子は、作曲家・湯山昭の血を受け継ぎつつ、「爆クラ」等の活動で音楽業界に新風を巻き起こす異才。今回はテクノの血脈を継ぐ大野由美子、海老原颯、小田朋美、宮下広輔による、ベース、ドラム、シンセサイザー、ペダルスチールギターという4ピースバンドがライブで演奏した。美術の加藤ちか、衣裳の伏見京子、メイクの富沢ノボルらによるビジュアルもセンスが抜群だ。翻案はシャンソン歌手、聖児セミョーノフ。実際に、言葉の並びを斬新に入れ替えた日本語詞は、色香あふれる自然な節回しで、これまでの「ブレヒト・ソング」とは一線を画した「歌」としての並々ならぬこだわりを感じさせる。そして、演出は地点の三浦基。空間現代と組んだ《ファッツァー》、三輪眞弘と組んだ《スポーツ劇》、そしてベートーヴェンの《フィデリオ》でさえ、どの音楽劇においても、音楽のパルスを見事に演劇に取り込み、説得力のある舞台に仕上げるその手腕に驚いていただけに、まさに宿命的なタイミングであった。

そして、音楽、言葉、演出、ビジュアルのすべてをハプニングのエネルギーにしてしまう、配役の見事な贅がもたらす、めまいを覚えるような混沌。俳優、歌手、芸人、それぞれが突き抜けた個性に溢れている。メッキースには聖児セミョーノフ。ピーチャムには渋さとコミカルさが同居するベテラン俳優の大谷亮介、ピーチャム夫人には歌手で俳優のエミ・エレオノーラ、ブラウンには渋い二枚目俳優の渡部豪太、ポリーには抜群の歌唱力で魅せたチャラン・ポ・ランタンのもも、そしてルーシーには乃木坂46からグローバルな活躍目覚ましいアイドルの真洋。ジェニーには、不思議な美しさで魅了するベテラン女優の秋吉久美子。ピーチャムとメッキースの配下にある取り巻きのラインナップがまた楽しい。ワハハ本舗の梅垣義明、劇団狼少年の奥津裕也、芸人で俳優の星田英利。娼婦役にはパフォーマンス・アーティスト、トースティーとシャンソン歌手藤井レオナ。スミス役には、怪しい雰囲気を醸し出した俳優の松本実。そして、すべてのハプニングのテンポを引き締める「地点」の俳優、安部聡子。この異能の面々が、湯山らの慧眼によって歌舞伎町という磁場に吸い寄せられたのである。

実際の上演から立ち現れたもの

雑居ビルの7階に上がると、まずミラーボールの怪しい青い光とムードを高める音楽に導かれて、空間の中央に十文字型の舞台が立ち現れる。最前列に並ぶ、真紅のクロスが敷かれた長テーブルの上には、シャンパン・グラスとホストクラブの初回無料券が入った封筒。後ろにいる本物のホストさんたちが、シャンパンを注いでくれる。舞台と観客、日常と非日常の境界線の怪しさ、際どさが浮き彫りになり、いよいよ地獄の釜が開いた。序曲が終わり、吟遊詩人とともに街角に立ち現れるのはまず、ウェストミンスターの鐘の音。まるで、格闘技のゴングのように轟く。そして、次々とあの個性的な登場人物たちが、現れては出会い、すれ違って別れていく。十文字型の舞台で起こる一挙手一投足に釘付けになった。

音楽の凝りようも相当なもの。ヴァイルの原曲を尊重しつつも、サウンド丸ごとがアップデートされ再構築される。音楽監督の湯山は「1920年代のノスタルジーを醸し出す管楽器のサウンドとは異なる世界」を求めていたと語っていたが、かつて時代を牽引したダンスのリズムが抜け感のあるバックビートに変容し、ベースの低音とドラムを軸に、シンセ、スチールギターという浮遊感のある音色が重ねられる。そこでは、1920年代の行進曲に代表されるダウンビートの世界――ヴァイルの音楽世界そのものが、徹底的に異化されている。その発想を最大限に実現した音響空間の創造(ZAK)も見事だった。かの勇ましい〈大砲ソング〉も、まるでラップのような落ち感と終止しないハーモニーのずれで、メッキースとブラウンの禁断の「マブダチ」の世界が音楽的にも際立った。圧巻だったのは、三文オペラの難曲と呼ばれる〈ルーシーのアリア〉。モーツァルトの夜の女王のアリアを彷彿とさせる超絶技巧が、その臨界点を超えてヘビーメタル的シャウトのカタルシスへと変貌する。その奔流を完璧に乗りこなした真洋演じるルーシーに、この歌舞伎町の絞首台のファイティング・スピリットのマグマさえ感じた。

ライブハウスを舞台に繰り広げられる音楽のインパクトの大きさながら、ブレヒトの言葉の鋭さも健在だ。ブラウンと対峙するピーチャムの台詞「富裕層の方々は、貧困を作り出すことはできるくせに、貧困を見てはいられないんだ。持てる者だって、俺たちと同じ、臆病者の愚か者なのさ」は、まさに今の世の中にも鋭く刺さる言葉だろう。音楽の鋭さも言葉の鋭さも、丁々発止として今の歌舞伎町、今の日本、今の自分たちを映し出していることにハッとさせられる。この衝撃的な舞台のハプニングが終わり、雑居ビルを後にすると、そこに広がっているのは、覆い隠しようもなく溢れ出す歌舞伎町の光と影。この光景こそが三文オペラの続きであり、つまるところ、自分たちの世界の鏡であることに気付かされるのである。

(2026/1/15)