アミティ・カルテット | 丘山万里子
アミティ・カルテット〜バルトーク弦楽四重奏曲全6曲チクルス第3回
Amity String Quartet Recital 2025—Bartók’s String Quartet Cycle Vol.3
2025年12月25日 東京文化会館小ホール
2025/12/25 Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by ボックリ博士中村義政 /写真提供:アミティ・カルテット
<演奏> アミティ・カルテット→foreign language
ヴァイオリン:尾池亜美、須山暢大
ヴィオラ:安達真理
チェロ:山澤慧
<曲目>
ハイドン:弦楽四重奏曲第77番 ハ長調 Op.76-3 Hob.III:77「皇帝」
バルトーク:弦楽四重奏曲第3番 Sz.85
平野一郎:弦楽四重奏曲第3番「親和力∨恋苧環(しんわりょくまたはこひのをだまき)」 (世界初演)
結成10周年を迎えてのアミティ・カルテット、バルトーク弦楽四重奏曲全6曲チクルス第3回公演。尾池亜美、須山暢大vn、安達真理va、山澤慧vcと、もはや中堅実力派メンバーであれば、関西で活動する須山以外は何らかの形で聴いてきた。が、そのカルテットを聴き逃していたとは。
ハイドン、バルトークに今回初の委嘱、平野一郎作品というプログラム。
凄かった。
終演後、ステージに躍りかかった客席ブラボー、ブラビがそれを物語る。
メンバーの放熱具合が半端ない。
それぞれが炎の如く燃え立ち、それが野火となってめらめらホールを舐め尽くす。私はこんな光景、昨年の「西村トリビュート」で初体験、それに比する激演劇奏であった。
平野作品がそういう作りであったのはもちろんだが、間違いなく、アミティの演奏がなければここまでの壮大無双世界は現出しなかったろう。その意味で、まずはこのカルテットを称賛したい。前半2曲、宮廷楽師ハイドンの皇帝讃歌に潜むちょっとした逸脱、民族性の一方で尖鋭な暗渠を抱えたバルトークの音が鳴ってこそ、平野の響きが活きた、その知見も含め。
その上で、本稿は後半に絞る。
平野一郎は2000年代から京都を拠点とし、日本古代に遡りその風土伝承に根差しての「失われた身体性・全人性を呼び覚ます音楽世界を志す」(プログラム自作解説)作曲家で、昨今の若い世代の一部に見られるこの種の傾向の先駆けとも言えようか。
作品は本人トークでも語られたが、私流にざっくりまとめると以下。
平野の妄想的音楽史によればバロック期に突如西洋音楽の中心的担い手となったヴァイオリン族は音楽上のヒューマノイド(操り人形)であり、中欧の潜在的オペラとしての弦楽四重奏曲を器とし、そこに「人間の心の顫えがそのまま音楽と成る(鳴る)とするモンテヴェルディアンの信仰告白」をこめたのが本作。
内容はゲーテ『親和力Die Wahlverwandtschaften』を下敷きにしたもの。原作は恋人同士だった男女がそれぞれ別の相手と結婚、互いの伴侶と死別後再婚したものの、男はそこに旧友と若い姪を呼び寄せ生活、4人のダブル不倫でなんだかんだののち、姪は絶食死、程なく男も死ぬという悲劇。登場人物4名は奏者に割り振られる。すなわち姪(第1vn)、妻(第2vn)、友人(va)、夫(vc)。
ここでは男女の恋愛心模様にある「親和力(化学親和力)」を軸とし、近松浄瑠璃風に物語り、かつ、彼らの何だかんだは運命の赤い糸の絡まりで、4人は所詮人形、それを操るのは「万物を司る超自然」との見立てとか。
全体は2部6段に「序」「間」「結」を加えた構成で70分と、恐るべき長さ。すなわち、「序」〜壱(Ⅰ)、弍(Ⅱ)、参(Ⅲ)〜「間」〜肆(Ⅳ)、伍(Ⅴ)、陸(Ⅵ)〜「結」。うち、(Ⅰ)第2vn、(Ⅱ)va、(Ⅳ)vc、(Ⅴ)第1vnの各段にそれぞれカデンツァが入る仕掛け。
以上を念頭に、なのだが...説明はともあれ、とにかく音の世界を楽しんで欲しいとの平野トークに、そうさせていただく。と言うより、そうとしかできなかった。平野作品に接するのはこの10年で数度に過ぎず、70分オペラ&浄瑠璃もどきの具体的記述は手に余る。
したがって展開される段にあって、まず「序」で何やら懐かしいわらべうたのような調べ(前日、ゲームに夢中小一男子の「あんたがたどこさ」マスターぶりを披露され、その古典的毬遊戯の長命に驚いたばかりだった)が聴こえるのに、やや安堵。とっかかりはあるわけだ。
が、それをあれこれ探す気持ちもなく「無心」で音を追いかけ、その響きの多彩、調べ、旋法などごちゃ混ぜ世界に遊ぶものの、いささか長い。と、すっくと第2vn(須山)立ち上がり堂々朗々と弾き出すのに(ほぼベルカント)、やあ、これは妻のアリアか、なるほど(Ⅰ)。となると次の友人va(安達)アリアがどうなるか心待ち、つなぎ部分の重奏も重唱へとこちらの耳も変化。安達の立奏、中低音の艶ある声音(こわね)が魅力的。この友人が妻と仲良くなるわけで、口説き節か(Ⅱ)。とすっかり私的妄想オペラ浄瑠璃世界に突入。(Ⅲ)が4人の心理あやとりに聴こえてくる。
間奏曲は、だがやはり長く感じる。(Ⅳ)で山澤vcがエンドピンをグッと伸ばした時はいよいよ夫の番!と姪への愛の告白だかを期待するのであった。これまたコントラバスもどきの立奏、素晴らしく轟々ととどろく。満を持しての登場(Ⅴ)尾池第1vnの絶食死姪、高音キーンと冥界から降臨、鬼気迫る絶奏で舞台をさらう。
近松心中ものではあの世の浄土へゆくのだが、最後の「結」もそうであるようなないような。どこか薄明が射すようであり、いやいや地獄落ちだ、と引き摺り込まれるようであり、これをどう締め括るかに、私は俄然興奮し始めたのであった。平野の音楽作りは西村朗に匹敵する息の長さ、ねちっこさで、その書法はまさに蛇の交尾(数時間から1日がかりまで)を思わせ、何度も頂点まで行くかにみせて引いてゆく、これでもか手法の真骨頂が展開。楽器を立て弾き、抱え弾きと奏法さまざまで揺するのである。さて、どうなったか。

知れたことよ、チェロをのぞいてぐわっと3名立ち上がり、弾きつつダダンと足踏み数回(チェロも)、見事に足元、炎に包まれ火焔を全員その口から噴き上げたのであった。
全編に入り乱れた各種雑多音響(笙、箏、鼓、三味線など邦楽器風を含む)は、あれこれ風音、フクロウ鳴き、木の葉舞い、怪しく妖しい物音し、水音ぽたり、神気霊気地霊心霊ふつふつひゅうう飛び交いで、ピックで弦を引っ掻く悽愴から宇宙的摩訶不思議浮遊音まで、乾燥ノイズからしっとり美音まで、スパイスあちこち効かせての時層地層の注連縄絵巻。奏法も特殊奏法というより、ピチカート、トレモロ、ポルタメントにグリッサンドなどなど穏当、アンサンブルもトゥッティから緻密な絡みまで適宜取り混ぜで、いわゆる前衛のギシギシザリザリ神経逆撫でなんだかわからん状態にはならない。神楽、雅楽、浄瑠璃、室内楽、オペラなど種々混淆ではあるものの単なる和洋折衷に陥らないのは、平野の中でそれらがそれなりに咀嚼されているからと思う。あれもこれもと詰め込んで、かえって散漫になる場面も無きにしも非ずではあったけれども。
にしても、それを克明に、しかも美しく(濁音、擦音、掻音、撥音、クラスターなど含む全て。これが大事)現前させた各々奏者のヴィルトゥオジティ、深い作品理解とその実現に労した努力に、満腔の敬意を捧げたい。

(2026/1/15)
<Player> Amity Quartet
Violin: OIKE Ami, SUYAMA Nobuhiro
Viola: ADACHI Mari
Cello: YAMAZAWA Kei
<Program>
Joseph HAYDN : String Quartet (‘Kaiserquartett’) in C major Op.76 No.3 Hob. III:77
BARTÓK Béla : String Quartet No.3 Sz.85
HIRANO Ichirô : String Quartet No.3 “SHINWARYOKU∨KOI-NO-ODAMAKI”[Die Wahlverwandtshaften]
(commissioned work, World Premiere)


