イェルク・ヴィトマン mit 青木尚佳&笹沼樹&永野英樹|水谷晨
イェルク・ヴィトマン mit 青木尚佳&笹沼樹&永野英樹
Jörg Widmann mit Naoka Aoki & Tatsuki Sasanuma & Hideki Nagano
2025年12月15日 TOPPANホール
2025/12/15 TOPPAN HALL
Reviewed by 水谷晨(Shin Mizutani)
Photos by 大窪道治/写真提供:TOPPANホール
<演奏> →foreign language
クラリネット:イェルク・ヴィトマン
ヴァイオリン:青木尚佳
チェロ:笹沼 樹
ピアノ:永野英樹
<曲⽬>
ヴィトマン:ミューズの涙
ベルク:4つの小品 Op.5
ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
メシアン:世の終わりのための四重奏曲
本公演は、プログラムの並びそのものが一つの思考装置として働いている。ゆえに演奏そのものだけでなく、それらをどう「受け取るか」という次元まで視野に入れて論じることが、この公演の核心に最も近づく方法だと感じた。
音楽史を貫いて流れるのは、単なる作風の変化ではなく、ある時代の人々が世界をどう感じ、どのような価値を「音」として捉えてきたかという、より広い感受性の土台である。それは、作品そのものよりも深く、聴く者の無意識の前提に入り込んでいる「聴き方の枠組み」とも呼べるものだ。
この夜の演奏会は、およそ一世紀におよぶ多様な作品を通じて、その枠組みがどのように揺れ動き、どのような形で姿を現すのかを提示したのである。作品の配列は偶然の寄せ集めではなく、それぞれが別個の時代背景を持ちながら、互いに照らし合い、聴く者の内部にある「音楽を音楽たらしめる前提」を浮かび上がらせていた。
冒頭のヴィトマン《ミューズの涙》は、精緻に編まれたテクスチュアの上で、音の動きが「自分」と「他者」の境界を揺さぶるように響いていた。クラリネット、ヴァイオリン、ピアノはそれぞれが独自の声部を持ちながら、決して孤立せず、常に相互の気配を吸収し、また押し返すことで存在を確かにしていた。
ここで顕わになるのは、ひとつの線が単独で成立しているように見えても、その輪郭は他の音との関係の中で絶えず書き換えられていく、という根源的な事実である。単独のフレーズに見えるものですら、背後で生じる微細な息づかいや軌跡によって意味を変え続ける。青木と永野による明晰な音型の提示に対し、ヴィトマンは単に旋律を吹くのではなく、音がどのように「立ち上がるか」という生成の瞬間を緻密に扱っていた。音の輪郭が急に鋭くなる場面もあれば、曖昧な気流に溶けるように揺らぐ場面もある。その変化の仕方によって三者の関係性はその都度組み替えられ、音楽の内部で立ち現れる「声」は多層的な表情を帯びていったのである。
続くベルク《4つの小品 Op.5》は、無調音楽の内部に潜む思考の緊張を顕わにする作品である。ベルクが追求したのは不協和音の羅列ではなく、「音同士の関係がどのように秩序を形成するのか」を根本から問い直す営為にほかならない。既存の調性や慣習に寄りかかることなく、音の位置づけを一音ごとに再定義することで、音楽は固定化された規範から自由になり、聴くたびに新しい意味を立ち上げる出来事として屹立する。
ヴィトマンと永野の演奏は、この作品の本質を鋭く掬い上げていた。二人は、一音が響くたびにその前後関係をつくり直すようにアプローチし、音と音のあいだに生まれる緊張が、たちまち音楽全体の構図を刷新していく様を鮮明に示した。その即時性によって、ベルクの構造的な厳密さは単なる理知的な枠組みに留まらず、生々しい説得力を帯びて響く。
青木尚佳と笹沼樹によるラヴェル《ヴァイオリンとチェロのためのソナタ》は、二つの弦楽器が対立と協働を繰り返しながら、音響空間そのものの形を変えていく作品である。ラヴェルが追求した透明さ、輪郭の精度、音の配置の妙は「どの音が前景に浮かび、どの音が背景を形づくるのか」という、聴く世界の構図を左右する繊細な力学に深く結びつく。
青木の鋭く明晰な線は、聴き手の注意を導く光軸のように作用し、笹沼の豊かで深みのある低音は、その光に奥行きと陰影を加える背景として響いていく。両者は互いに主導権を奪い合うのではなく、むしろ視点そのものを入れ替え続けるようにして、音と音の関係性を生成し続けた。ラヴェルの本質である緻密さと大胆さが、極めて透徹した形で現れる。
そして演奏会全体の精神的中心とも言うべきメシアン《世の終わりのための四重奏曲》は、本公演の主題として浮かび上がってきた「経験そのものの構造を問い直す」という視点を最も鮮烈に示した瞬間である。メシアンの音楽は、単に宗教的世界観を描写するのではなく、人間が時間をどのように感じるかという、経験の根幹にある枠組みそのものを変容させようとする試みに貫かれている。その意味で、この四重奏は聴き手に「時間とは直線的に流れるものだ」という前提を疑わせ、別の感受性へと身を開くよう促す音楽である。
永野英樹のピアノは、その核心をきわめて明晰に示していた。彼の音は時間の流れを一本の線から解放し、音が縦にも横にも広がり、空間そのものを押しひらくように響いた。青木と笹沼による長く持続する弓の運動は、その空間に厚みと柔らかな層を与え、ヴィトマンのクラリネットはそこに生命が脈打つような曲線を描き込んだ。四者の重なりが生み出す音響は、「世界の終末」という題材にもかかわらず、破壊の情景ではなく、むしろ新たな感覚の地平がゆっくりと開いていくような気配を帯びていた。音のひとつひとつが、過去の延長ではない未来の可能性として立ち上がり、聴く者の内部に静かだが強い変化を刻みつけていく演奏であった。
冒頭でのプログラムの並びそのものが一つの「思考装置」という筆者の解釈は、フランス20世紀の哲学者ポール=ミシェル・フーコーに示唆を受けてのことである。彼が探求したのは、時代ごとに人間の知覚や価値のあり方を形作る「見えない構造」であり、音楽に置きかえるならば、作品を超えた「聴くことの枠組み(エピステーメー)」である。フーコーが固定された土台を疑い、新しい配置を探索したように、この演奏会は、まさにその探求を音によって実践したような、鮮烈な知的経験であった。全体を通して印象的だったのは、演奏者たちが作品を歴史の中に閉じ込めるのではなく、むしろ音が現れるその瞬間に「どう世界が構成されるか」を聴き手と共に考え続けていたことである。
もし四人の共演が続くならば、それは単に優れた室内楽としてだけでなく、20世紀を横断する音楽の聴取という行為そのものを問い直す貴重な場となり得るだろう。この午後の舞台は、音楽の歴史と哲学的思考が交差する、稀有な瞬間であった。

(2025/12/15)
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水谷 晨(みずたに しん)
作曲家・修士(音楽)。1991年東京都出身。ロッテルダム音楽院作曲科およびデン・ハーグ王立音楽院ソノロジー研究所にて研鑽。チッタ・ディ・ウーディネ国際作曲コンクール最優秀賞(2018)、アカデミア・ムジカ・ウィーン国際音楽コンクール第1位特別賞(2019)、ルチアーノ・ベリオ国際作曲コンクール・ファイナリスト(2023)など国内外で受賞多数。現在、全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)にてピアノ作品のコンチェルトやオーケストラ編曲を担当。
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<Players>
Clarinet: Jörg Widmann
Violin: Naoka Aoki
Violoncello: Tatsuki Sasanuma
Piano: Hideki Nagano
<Program>
Jörg Widmann: Tränen der Musen
Alban Berg: Vier Stücke Op. 5
Maurice Ravel: Sonate pour Violon et Violoncelle
Olivier Messiaen: Quatuor pour la Fin du Temps


