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パリ・東京雑感|〈希望〉を伝播させるグローバル・サウスのZ世代 |松浦茂長

希望〉を伝播させるグローバル・サウスのZ世代 

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura) 

 

日本のマンガ『ONE PIECE』の海賊旗を掲げて抗議する若者(フィリピン、9月21日)

「万国のZ世代よ、怒れ!」とばかり、ネパールからインドネシア、フィリピン、モロッコ、マダガスカル、さらにはアメリカ大陸に飛び火してペルーへと、この秋、若者の叛乱が地球上あちこちで起こった。グローバル・サウスに動乱時代が到来したのだろうか?若者のデモがきっかけとなって、あっさり政権がひっくり返った国もある。ネパールとマダガスカルだ。
グローバル・サウスの若者は、元気が良い。2022年にはスリランカで、大学生のデモが大統領を追いつめ政権交代させたし、去年、バングラデシュでは、15年間強権をふるったハシナ首相が学生デモを抑えきれず、インドに逃げ出した。そのあとの暫定政権は、若者たちの要求にそって、ノーベル平和賞受賞者のユヌス氏に託されたのだから、ちょっとした革命をなしとげたわけだが、犠牲も大きい。数週間のデモの間に1400人の若者が命を失ったのである。 

グローバル・サウスのZ世代(1997年から2012年頃に生まれた世代)を燃えたたせる情熱はどこから来るのだろう? 日本では若い人たちの方が保守的で、政治に対しシラケて見えるけれど、途上国の若者は、貧富の差が開き、腐敗が蔓延する中でも、政治に夢を抱くのだろうか?
Z世代蜂起のスローガンはおもしろい。モロッコの若者たちは「サッカー・スタジアムなんていらない。病院が欲しいんだ!」と叫んで立ちあがった。(アフリカ・ネーションズ・カップのためのスタジアムは、またたく間に建設されるのに、病院は……。)10代の少年・青年がスポーツより医療に関心を持つとは、どういうことだろう? 大人たちは、若者というと、ついスポーツとレジャーを連想してしまうけれど、モロッコのZ世代は、アガディールのある産院で、9月に8人が出産後に死んだことに心を痛め、抗議しようと病院の前に集まったのである。

彼らの要求はとても具体的、地に足がついた運動だ。イデオロギーとも政治とも縁のない、実際的なスローガンは、これまでの若者の運動とはひと味違う。〈政治〉を避けるだけでなく、彼らはできるだけ平和なデモをしようとする。ところが、はじめ数十人だった病院前のデモは、ソーシャルメディアで情報が広がり、たちまち数万人にふくれあがった。予告もなく始まった大集会に、権力側は恐れをなし、暴力と逮捕で抑えようとする。12歳の参加者まで警官に殴られ、警察の車がデモ隊に突っ込んでひき殺す。力ずくでつぶそうとすればするほど、デモは大都市から中小の町にまで、モロッコ全土の巨大な抗議運動に拡大していった。 

マダガスカルのZ世代蜂起のスローガンも、日常生活の現実から出て、「私たちは権力なんて欲しくない。必要なのは電気だ!」と要求した。ヨーロッパの若い世代の運動は、上の世代に比べ損をしていると、不公平な社会に抗議することが多いのに対し、グローバル・サウスのZ世代運動には世代間闘争の気配はない。誰にとっても切実な生活に密着した要求ではあるし、彼らのデモを見るおとなたちの目はあたたかい。 

大学卒業式にも『ONE PIECE』の海賊旗(インドネシア)

Z世代蜂起は、スローガンが新鮮なだけでなく、運動のスタイルが新しい。リーダーがいないのだ。リーダーも組織もない、捉えどころのない集合体だから、権力にとってはつぶすのが難しい。手当たり次第に殴りつけたり、発砲したり、逮捕したり、力ずくでつぶしにかかるのだが、犠牲者が増えれば増えるほど、加速度的にデモは勢いづく。
こんなぬえのような運動体が可能なのは、ソーシャルメディアのおかげである。デモに参加するのは、学歴の高い中産階級の若者が中心であり、デジタル文化のなかに生まれ育ったZ世代ならではの巧妙なやりかたで、権力にしっぽをつかまれないように連絡し合うワザを身につけている。彼らはデジタル文化特有のコード、言語、美学を共有しており、その表れの一つがZ世代蜂起のシンボルマークだ。ネパールからモロッコ、ペルーまで、地球上のどこであれ、Z世代が立ちあがったとき、日本のマンガ『ONE PIECE』の、麦わら帽をかぶった骸骨の旗がひらめくのである。 

権力側もデジタル世代の得意ワザを理解しているから、ネパールではYouTubeX、Discordなど24のSNSを止めてしまった。その結果は、若者たちの心を一気に燃え上がらせただけだった。
ネパールのZ世代蜂起はすさまじい。SNS停止に抗議する若者に実弾が発射され、9月8日~9日の2日間73人が殺された。混乱のなかで、国会、最高裁判所、行政府の建物が焼かれ、SNSは復活し、共産党のオリ首相はヘリコプターで逃亡した。誰が権力を引き継ぐのか? Z世代がDiscordというSNSを使った投票を行い、清廉な人として知られるスシラ・カルキ元最高裁判所長官が、暫定首相に選ばれた。電話投票による政権の誕生だ。Z世代蜂起は大成功に見えるのだが、デモを呼びかけた活動家たちは、手放しの喜びにはほど遠い。 

9月のデモを取材した『ニューヨーク・タイムズ』のハンナー・ビーチ記者は、1ヶ月後に再びネパールを訪れ、運動の中心人物たちにインタビューしている。ここで浮かび上がってくるのは、中心のないぬえのような運動の弱点だ。
ゴルバチョフ時代のモスクワでは、月に1~2回は5万人とか7万人がクレムリン近くまでデモして、「ゴルバチョフがんばれ」を叫んだ。デモのリーダーに会いに、町はずれの小さなアパートに行くと、あちこち穴の空いたセーターを着た物静かなユダヤ人が、「デモにはかならずKGBが紛れ込んでいて『クレムリン突入』などと跳ね上がりを策動します。胃が痛くなりますよ。」などと裏話を聞かせてくれた。彼ら「民主ロシア」がみごとに数万の行進の秩序を保っていたのである。
これに対し、リーダーも組織もはっきりしないソーシャルメディア蜂起は、跳ね上がりの扇動にのせられやすいだろうし、暴徒化するのをコントロールするノウハウをもっていない。
ハンナー・ビーチ記者は、Z世代活動家の倫理の高さと、観察の鋭さに共感しながら、なぜ、事態が平和的な彼らの志と違う方向に流れて行ったのかを、克明にたどっている。ソーシャルメディアの威力とあやうさを教えてくれるすぐれた記事なので、長目にご紹介したい。 

抗議するネパールの学生(9月9日)

抗議活動について、最初にZ世代のソーシャルメディアに流した、弁護士のタヌジャ・パンディさん(25歳)は、「私たちが求めたのは改革です。革命ではありません。」と、予想外の展開に当惑している。「私には、何が起こったのか分からない。何もかもハイジャックされたのです。」
Z世代が政権を転覆させたのは、いわば〈まぐれ〉の革命だった。来春、約束通り選挙があったとしても、腐敗にまみれたネパールは変わるだろうか? 若者の多くが海外で働かなくてはならず、GDPの30パーセントは出稼ぎの仕送りという、悲しい社会を変えられるだろうか?
パンディさんは、スウェーデンのグレタさんのように、高校時代から環境を守るための活動をしてきた。彼女たちの抗議行動は少人数で、たいがい警官の数の方が多かった。ところが、ソーシャルメディア切断に抗議する8日の呼びかけは、あっという間に拡がり、Z世代仲間の組織だけでなく、地震や洪水の被災者救援を目的とする「ハミ・ネパール」や、ヒンズー・ナショナリスト組織まで声を上げるようになった。とはいえ、8日は月曜日だし、この日試験を受ける学生も多いから、せいぜい数百人、千人集まれば大成功と考えていた。
パンディさんが指定の場所に来て驚いたのは、「ハミ・ネパール」のボランティアが早々と救急医療テントを設け、飲料水が山積みされていたこと。そして、警官の姿が見えないことだった。(軍・警察がデモの暴動化を計画し、「ハミ・ネパール」は流血があるのを知らされていた? パンディさんは、後から振りかえって、そんな疑惑を抱いたように読み取れる。ハンナー・ビーチ記者は、〈疑惑〉の中味に触れるのを、慎重に避けているが。)
生まれて初めてデモに参加するという若者も大勢加わり、数万人の大集団が、歌い、踊り、和気あいあいと議会の建物に向かって行進した。パンディさんは、デモ隊が浮かれ騒いで押し合いへし合いするのに、警備の警官が異様に少ないのが気になった。
昼近くに、黒い服を着た男たちがオートバイに乗ってやって来た。何人かはネパールの旗をひるがえしている。これはルール違反。パンディさんたちは、自分たちの運動に、古臭い〈政治〉が絡まないよう、旗など党派的シンボルの持ち込みを禁止したのである。
バイク・グループの他にも、Z世代より年上の入れ墨した荒っぽい連中が加わり、雰囲気は一変した。怒りに突き動かされ、過激なスローガンを叫ぶ乱暴な群衆だ。 

焼かれたネパールの国際会議場

デモ隊は議事堂の門に押し寄せた。つるはしを持った男たちが塀を壊している。この日はじめてデモに参加したライさん(19歳)は、塀の柱を抱きかかえて、破壊から守ろうとした。 

議会を守りたかったのです。議会は私たちの国の財産じゃありませんか? 

ライさんのまわりで催涙騨が爆発した。彼女と一緒にデモに参加した友人のお母さんが、引きあげなさいと命令したので、3人は催涙ガスの煙に追われるようにして逃げた。発砲の音が聞こえはじめた。ライさんは、朝、試験を受ける前にウェハースを食べたきりだったので、道に植わっていたグレープフルーツの木から実をつまみ取った。 

まわりで人が死んでいるのに食べるなんて、わたしは「ひどい」。恥ずかしかった。 

パンディさんも混乱したデモを離れ、ソーシャルメディアを通じて全員退去を呼びかけた。ところが「ハミ・ネパール」につながるグループは、「戻って来い」と、逆の呼びかけをした。パンディさんにどうしても理解できないのは、いきなり催涙弾と実弾を撃つまで、警察がほぼ不在だったことである。
デモの後、ソーシャルメディアはつながったから、運動の目的を達成したには違いない。しかし、あれほど多くの犠牲者を出すにあたいする勝利だったとは、彼女には、とうてい思えなかった。 

荒れた9日のデモ

翌日パンディさんは、携帯の画面で、燃え上がるカトマンズの映像を見た。議会、最高裁、政府庁舎、宮殿が炎に包まれる。殺された抗議者の名の下に、放火犯が町を破壊しつくすのだ! 彼女は吐き気が止まらなくなった。 

抗議行動を呼びかけた若者が退場し、2日目の現場は殺戮と復讐の狂気がとめどなくエスカレートしたように見える。
サッカー・ファンのブダトキー君が友人たちと、次の行動の指示を待っていると、見知らぬ男たちが彼らに火炎瓶を手渡した。そのとき、前日、仲間が殺されたことで胸がいっぱいの集団が、警察署を襲い、中から警官が発砲。傍観者のブダトキー君に当たって、死亡する。ブダトキー君の友人の一人は、そのときの気持ちを「僕の正気を保たせてくれる〈腱〉がパチンと切れてしまった」と述懐する。
友人グループは、手にした火炎瓶を警察署に投げ込み、中にいる警官を追いまわした。警官の一人は制服を脱いで脱出しようとしたところを見つけられ、殴り殺された。もう一人の警官は、近くのビルに駆け込み、上に逃げたが、追いついた集団がベランダから突き落とした。たまたま付近にいた交通警官も殺され、3人がブダトキー君殺害への復讐の犠牲となった。
抗議に加わったハビブ君(19歳)は、「僕らはみんな人殺しだった」と、回顧する。 

僕らはZ世代だけれど、大人たちのダーティー・ワークをやっているんだ。 

この日の午後、オリ首相は亡命し、大臣たちは軍の施設に監禁された。立法・司法・行政の建物が焼け落ち、警察署が襲撃されるあいだ、じっと兵舎にこもっていた軍が動き始める。
9日の夜、デモを呼びかけた活動家の一人バムさんに軍から電話が入り、軍本部に来るよう命じられる。何かのわなだろうか? 殺されるのか? 暗い気持ちで基地に行くと、他のZ世代代表たちも呼び出されていて、シグデル将軍が、彼らをわが子の友人みたいに、やさしく迎えた。

スシラ・カルキ暫定首相(ネパール)

軍本部には、Z世代以外にも王党派の政治家らもいたし、デモ当日救急医療テントを設けた「ハミ・ネパール」代表グルン氏もいた。バムさんたちが不思議に思うのは、この会合で、シグデル将軍が、カルキ元最高裁長官の名を挙げたことである。そのあと行われた〈電話選挙〉で、彼女が暫定首相に選ばれるのだから、シグデル将軍は予言者なのか? 筋書き通りにことをはこぶ黒幕なのか?
さらに3日後、シグデル将軍はZ世代の活動家5人に、「今後グルン氏を、諸君らZ世代の代表とする」と通告してきた。グルン氏は36歳。Z世代ではないし、彼らが代表に選んだ覚えもないのに……。
他方、カルキ暫定首相は、Z世代とのつながりを保つために、28歳のグプタ氏を青少年スポーツ相に任命した。彼もグルン氏と同じように、貧しい人たちを支援するボランティア団体を立ち上げた男だ。
今のところ、ネパール政治はZ世代の声に敏感に動いているように見えるのだが……。25歳の誕生日を迎えたパンディさんは、友人の杯に濁り酒を注ぎ、「〈まぐれ〉革命に乾杯!ネパールは変わるかしら?」と心もとない。とはいえ、彼女たちは、ソーシャルメディアを駆使すれば、権力者を倒すことだってできることを証明し、グローバル・サウスのZ世代を奮い立たせて、Z世代蜂起の連鎖反応を引き起こす偉業をなしとげたのだ。 

フランスの社会学者セシル・ヴァン・ドゥ・ヴェルドゥは、グローバル・サウスのZ世代を駆り立てている情念は「希望」であり、彼らの運動は、民主主義への願いを示すバロメーターだと、高く評価する。 

私の調査に一番色濃く表れる情念は「希望」です。この強い願いを、どの国のZ世代も共通に抱いている、その普遍性に驚かされました。2025年に20歳であるとは、若者に何の展望も与えないように見える社会の中で、希望を失わないために格闘することなのです。
Z世代の若者たちは、公共福祉を守るために結集するのだから、民主主義の良きバロメーターと言えます。しかも、それは氷山の一角にすぎません。この世代は、伝統的な枠組みをふみこえた領域までも、民主主義を求め、これまで許されてこなかった場面にまで政治的発言を要求します。(セシル・ヴァン・ドゥ・ヴェルドゥ『Z世代の怒りはイデオロギー的ではなく、実際的だ』〈ル・モンド〉10月30日) 

レーニンが「革命のパンフレットは、革命の銃弾に劣らず必要である。」と言ったので、ソ連は、「革命」が起こらないように、紙と印刷機を厳重に管理した。ゴルバチョフ時代になっても、紙の国家管理は続き、民主勢力が、わが支局に、「ゼロックスを使わせてくれませんか」と頼みに来たこともある。
いまは、「ソーシャルメディアが、革命の銃弾に劣らず必要」な時代かもしれない。すくなくとも、ソーシャルメディアはグローバル・サウスのZ世代に、社会を変える「希望」を吹き込んだのだ。 

(2025/12/15)