1909年製ベーゼンドルファーの息吹 I 石田成香 | 丘山万里子
ランチタイムコンサート Vol.136
1909年製ベーゼンドルファーの息吹 I 石田成香(ピアノ)
ウィーン古典派の波動―守破離
Lunchtime Concert Vol. 136
The Breath of a 1909 Bösendorfer I: Seika Ishida (piano)
The Vibrations of the Viennese Classical School – Shu-Ha-Ri
2025年11月19日 TOPPANホール
2025/11/19 TOPPAN HALL
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 藤本史昭&大窪道治/写真提供:TOPPANホール
<演奏> →foreign language
石田成香pf.
<曲目>
ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO57
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K540
シューベルト/リスト:歌曲集《白鳥の歌》より〈愛の便り〉S560-10
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D760《さすらい人》
[使用楽器]
1909年製ベーゼンドルファーModel250
(アンコール)
ブラームス:
3つの間奏曲 Op.117より 第1曲 変ホ長調
「1909年製ベーゼンドルファーの息吹 I」とは、TOPPANホールに新たに加わったこのピアノを軸とするシリーズの第1弾、ということ。今年3月のシーズン企画記者会見で川口成彦、兼重稔宏が披露演奏したものの、私は残念ながら欠席。以来、待ちこがれた機会であった。
このベーゼンドルファーModel250のウィーンでの最終地は国立歌劇場バレエ・リバーサル室で、名だたるバレエのプリマ、マエストロたちに囲まれ育ち、あるいは育ててきた。日本に居場所を得ての最初の一歩は、高校卒業後渡欧、ウィーン国立音楽大学で10年研鑽を積んだ石田成香。今秋から同歌劇場国立バレエ団の専属ピアニストとなった新鋭である。胸踊る組み合わせではないか。
にしても、「ウィーン古典派の波動―守破離」とは?
石田が自らのこれまでの歩みをこの三文字にまとめたプログラムノートをざっと読む。
「守」はウィーンの伝統を「守」り、「型破りを憚って」いた私。
「破」は5年前、テニス肘の激痛で練習不能の日々、絶望から学び始めた解剖学にこれまで「心掛けてきた奏法の常識」が覆されたこと。
「離」は正しい身体の使い方を身につけ、楽器の未知の可能性に出会う旅を続けるという心構え。
「守破離」とは日本の武家社会精神とも言える芸道武道の修行段階を示す言葉で、千利休の「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」の歌や、宮本武蔵の二刀流などが知られる。師の教えを「守」り、そこから発展し「破」へ踏み入り、型から「離」れ新たな創造に至る道筋だ。
石田はウィーンでの挫折の中でその修行道が見えてきたらしい。
このところ、作曲領域でも若い世代が最先端テクノロジー派と、古事記・大和・神代文化に惹かれ派とに二分されているように見えるが、思春期から海外居住のごく若い演奏家で(だからこそ、と言えようが)、こうした修行道に強いシンパシーを持つタイプは、私は初めて。
で、「〜の波動」の波動も、この文脈で言えば、「気」や「内的エネルギー」となる。
思うに、アニメ世界のエネルギーや特殊能力に用いられる衝撃波だのの「波動」も実は先祖返りなわけで……。
などなど、このリサイタルの「体裁」自体にもかなり脳を刺激され、であったのだが。
ブルーグレーに銀ラメが星屑のごとく散るシックなドレスで現れた石田。まず、ベートーヴェン《アンダンテ・ファヴォリ》から。
最初の一音で私は、ああ、ベーゼンドルファー!!!と、すっかりその響きに溶かされ、脳内の好奇心や興味など、消えてしまった。主和音アウフタクトに続く一節の「進み具合」に、この時代の人々が愛でた「協和世界」、つまりはハーモニー信仰(和声進行ではない)、つまりは人間への明るい信頼が溢れていて、この楽器の持つ深々とした包容力、温かみが、もうそれだけで伝わってきたのだ。フレーズ最終音、左手のC〜オクターブ下Cへの収め方ときたら。92鍵盤(最低音4鍵盤拡張)による独特の倍音重層響振の深度、震度にえぐられる。あるいは次句終尾のF〜oct.下Fの「F」。とにかく低音の鳴りの深さ、中音の温もり、高音の明度、粒立ち。滲むようでありながら、くっきりと響きの弧線が見え、その動きに音色の多彩が生まれる。それら光の帯に柔らかな三度重音が乗り、快活オクターブが躍り、滑らかスケールなどなどシンプルな音の運動が揺らぎ、上下行し、流れ、疾走してゆくわけで、ベートーヴェンの「健全さ」にこちらの心も澄みわたる。もちろん、転調でふっと翳ってもあくまで清冽。
ゆえ、モーツァルトのロ短調にどれほどゾクっとしたか。忍び足で這い寄ってくる影のような冒頭。つい《ドン・ジョヴァンニ》の地獄落ちを思い出す。この人は天国から地獄まで、したたかに思い知り、描き尽くした音楽家だったと、闇に引き摺り込まれるような戦慄を覚える。いや、ベートーヴェンの「ふっと翳り」の翳を追いつめてゆくような姿。
石田はこの2曲を続けて弾きたかったに違いなく、それでこそ二つの架け橋、まさにウィーンの波動が見えたであろうに、残念ながら前曲との間合いにパラパラと拍手が起き、礼に立ってそのまま楽屋に引っ込んだのだった。
しばしのちピアノに戻り動じることなくアダージョへ没入した冷静には、まさに修行が生きたと言えようか。楽器と楽曲への篤い信頼を、私はそこに感じた。空恐ろしい不穏とやるせない寂寥の色。時々聴こえるしゃがれたような響きあるいは声に、私は何度もすっと背にモーツァルトの孤独がかすめてゆくのを感じたのだった。
続くシューベルトは、だからこそ故郷のはるかな恋人へ、せせらぎにのせて贈る愛の歌となるわけだが、左手の清流の明澄によぎるかすかな不安がここにも響く。まさに倍音というものの魔力。当時のウィーンには100人を超える鍵盤楽器製作者がひしめいていたが、その中に創業者I.ベーゼンドルファーも居た。1音ごとの強弱がつけられないチェンバロからピアノフォルテへの移行は、嵐の如き最強音から個々の感性や心情を映す最弱音に至る広範な表現を求める作曲家たちの欲求が生んだ創意工夫に他ならない。
このModel 250はリストと2代目ベーゼンドルファーとの親交に由来、当時「Liszt Flügel ―リスト・フリューゲル」との愛称で呼ばれたグランドピアノ。《白鳥の歌》第1曲リスト編〈愛の便り〉に香る傷つきやすい若者の敏感に、心の内へ内へと踏み入ってゆくロマン派への小窓がそっと開くのが見えるようだ。なんとツボを押さえた選曲か。
締めくくりは《さすらい人》。
逞しく打ち鳴らされる和音連打はその小窓から一気に新時代の外気へと飛び出すような勢いで、なのにモダンピアノの打音とは異なる乾いた軽みがあり、それがシューベルトの歌謡性に翼を与える。あるいはオクターブによる嵐のような攻めも暴風にならない。シューベルトの狂気とは、モーツァルトやベートーヴェンとも違い、最も「ウィーン」的なそれ、と言えまいか。そうしてアダージョが葬送のように響くとき、私たちはどうしようもない悲哀に浸される。夜空から降りしきる無数の小さな星々のような果てなき下降音階。そもそもウィーンはエジプトから中東、ギリシャ、ローマ、ドイツ、東欧、さらにはアジアなど、多様な文化圏の端っこの交点にあり、だからこそ「さすらい」の何たるかを、おそらく西欧で最も深く体感してきた都なのではないか。あるいは宮廷から市民の家庭音楽会へ、時代のピアノの変化のウィーン的変容をこのModel 250に見ることもできよう。
確然と開始されたフーガの音のフォルムの明晰は、作品、楽器、奏者の意志のトリニティと構築力の勁さを示すようであった。
そうして、ウィーン古典派が「表現」というものの内外拡張拡充に求めた欲動波動が、小一時間のこのプログラムと演奏に見事に生成されるのに、私は本当に感心したのである。
だが、このコンサートはそれで終わらなかった。
アンコールのブラームスで、私は落涙してしまったのである。
3人の古典派の、趣の異なる相を並べ響き合わせた最後に、そっと影のように寄り添う『間奏曲』第1曲の音の佇まいが、どれほど美しかったか。ホールを出てしばらく、側の円柱にもたれ、向かいの木立のもとに積もる枯葉たちの、その芽吹きから落下までの時間を思いつつ、私は音楽というものの、やはり「永遠」という言葉にしかならない「命」に、ただ頭を垂れたのだ。
辿る道がなんであれ、不変・変転・普遍・特殊は、歴史の膨大な累積・広大な空間にあっても必ず人によって貫かれ、伝えられるという真理(私にとっては)を、そこに受け取ったから。
(2025/12/15)
<Program>
Beethoven: Andante Favori in F-Dur, WoO 57
Mozart: Adagio in h-Moll, KV 540
Schubert/Liszt: „Liebesbotshaft“ aus „Schwanengesang“ S 560–10
Schubert: Fantasie in A-Dur, D 760 „ Wandererfantasie“
(Encore)
Brahms
Nr. 1 aus den Drei Intermezzi, op. 117, Es-Dur
(Instrument)
1909 Bösendorfer Modell 250






