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東京フィルハーモニー交響楽団10月定期演奏会|水谷晨

東京フィルハーモニー交響楽団 10月定期演奏会
Tokyo Philharmonic Orchestra Season 2025 subscription series

2025年10月5日 Bunkamuraオーチャードホール
2025/10/5 Bunkamura Orchard Hall
Reviewed by:水谷晨(Shin Mizutani) :Guest
Photos by 上野隆文/写真提供:東京フィルハーモニー交響楽団

〈演奏〉        →foreign language
東京フィルハーモニー交響楽団
チョン・ミョンフン cond
小曽根真 pf

〈曲目〉
バーンスタイン:『ウエスト・サイド物語』より〈シンフォニック・ダンス〉
ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー
(ソリスト・アンコール)
小曽根真:オベレク
〜〜〜
プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリエット』Op.64 より

 

太平洋とヨーロッパのあいだにある日本は、ジャズやマンボを孕むアメリカ/中南米のリズムと、ヨーロッパ古典のパレストリーナやバッハの対位法の両方を見渡せる位置にある。それでも長く、日本のオーケストラは「後ノリ」の身体感覚を完全に自分のものにできずにいた。だがこの夜の東京フィルは、その壁を越えようとしていた。音が生まれる瞬間に、確かな熱と呼吸があった。
バーンスタイン《シンフォニック・ダンス》では、マンボ・グルーヴが曖昧化しやすい箇所で、指揮者が先行拍の微細なアウフタクトと左手のサブディヴィジョン提示を用いて、複層リズムの交錯点を明確化。金管の刃のようなアタックと打楽器群の響きを彫琢する姿は、都市に生きる人々の喧騒を生む一方でただの無秩序なカオスに堕さない。

続く《ラプソディー・イン・ブルー》では、小曽根真のピアノが圧倒的だった。音の色合いを細やかに変えながら、ルバートとイーブンの境界を自在に行き来する。チョン・ミョンフンはその呼吸を聴き取り、テンポの支点を調整しながら全体を包み込む。オーケストラとソリストが同じ呼吸を共有した 時、音楽はまるで即興のように自由に広がっていった。

アンコールの小曽根真ソロ《オベレク》は短いながら鮮烈だった。ポーランド舞曲固有の跳ねるリズムが会場を一瞬で彼の地の熱狂に引きずり込み、技巧と集中力の高さが数分間で伝わった。

後半のプロコフィエフ《ロメオとジュリエット》においては、チョンは響きの重心をさげることで、音楽のドラマを一気に可視化した。プロコフィエフは決して伝統的な西洋音楽の文脈における古典的和声法の王道をいく作曲家とは言えない。しかし、チョンの指揮はその書法的な瑕疵をものともしない。〈モンタギュー家とキャピュレット家〉の峻烈な楽想、〈若いジュリエット〉の身振りは木管の澄明な語りで、ある種の気品を醸し出す。〈ティボルトの死〉は痛みを表現するダイナミクスの変動が聴衆の心を突き刺すかのようだ。続く〈ジュリエットの墓でのロメオ〉では弦楽器の呼吸が時間を伸縮し、あるいは切断する。ここでも指揮者の手腕は顕著だ。分割の指示は極小ジェスチャーで明晰、入退のカットオフは寡黙にして正確、縦の整合は揺るぎない。音価末端の余白も奪わない。さらに音場設計では低弦のコアを中央に据え、内声の和声機能を顕現化、旋律と伴奏の階層が立体化した。

その解釈の背後には、プロコフィエフの創作が担った歴史的任務への明確な自覚が透ける。すなわち、革命後に新たに労働者国家として再起動した祖国において、音楽を私的サロンの嗜好品から公共圏の言語へと再規定する文化的・革命的労働に、彼の劇音楽が中核的装置として関与した、という認識である。プロコフィエフの語法はプロパガンダに矮小化されず、内的抒情に閉塞もしない。民衆が共有可能な明快さと、芸術に不可欠な複雑さを同時保持する「公共の詩法」として、新たなオーケストラ像を提示していた。

全体を通じて、東京フィルの音には明確な方向性が感じられた。リズムの身体性にはまだ深化の余地があるものの、音色の多様さ、構成の緻密さ、そして舞台上の相互傾聴は、非常に柔軟かつ有機的な時間感覚を提示した。それは、チョンの指揮、そして指揮者とオーケストラとの緊張感みなぎる対話が生む立体感と生命力であった。
今宵はクラシックとジャズ、理性と情熱、譜面の厳密さと即興の自由――その二つの海を橋で結ぶような夜だった。未完成の美しさを含んで、音楽は未来へと伸びていく。拍手は、静かで力強く、会場に響いた。

(2025/11/15)

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水谷 晨(Shin Mizutani)
作曲家・修士(音楽)。1991年東京都出身。ロッテルダム音楽院作曲科およびデン・ハーグ王立音楽院ソノロジー研究所にて研鑽。チッタ・ディ・ウーディネ国際作曲コンクール最優秀賞(2018)、アカデミア・ムジカ・ウィーン国際音楽コンクール第1位特別賞(2019)、ルチアーノ・ベリオ国際作曲コンクール・ファイナリスト(2023)など国内外で受賞多数。現在、全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)にてピアノ作品のコンチェルトやオーケストラ編曲を担当。
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〈Performers〉
Tokyo Philharmonic Orchestra
Myung-Whun Chung cond
Makoto Ozone pf
〈Program〉
Bernstein: Symphonic Dances from “West Side Story”
Gershwin: Rhapsody in Blue
Ozone: O’berek
Prokofiev: Excerpts from the Ballet “Romeo and Juliet”