パリ・東京雑感|縄文人が聞き取った「神の声」|松浦茂長
縄文人が聞き取った「神の声」
Text &Photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
蓼科の山暮らしで、楽しみの一つは縄文土器だ。とりわけすごいのが、信濃境にある井戸尻考古館。ここを訪ねるときは体調を整え、雑念を払い、最大の敬意をもって土器に向き合うことが要求される。いや、こちらから構えなくても、縄文人の傑作の前に立つと、自然に畏れうやまう気持ちがわいてくる。
今年は9月なかばの日曜日に信濃境に行った。八ヶ岳のふもとの駅は、どこも観光客相手の店が並ぶのだが、信濃境には何もない。50年前と同じ、ひっそりしたたたずまいを守っている。ところが、驚いたことに、この日、井戸尻考古館の駐車場は車でいっぱい。縄文土器を見に来る客なんて、日に数人しかいないはずなのに、突然の縄文ブーム?
――そう、ブームには違いない。縄文祭という大イベントが、考古館のすぐ下に拡がる遺跡公園で催され、数百人がやって来た。女性たちは真紅の衣をまとったり、古代ギリシャの巫女を思わせる白い衣をまとったり、花を輪に編んだ冠をかぶったり、ひなびた信濃境が、ヒッピーの聖地になったみたいな、ドキッとさせる祭だ。縄文人の竪穴住居のまわりで、果てしなく踊りつづけるグループもいる。
石器時代の人が着たはずのない衣装を着て、彼らが演奏したはずのない楽器を演奏しているには違いないが、考古学的正しさは、はじめから問題にしていないのだろう。はじめいかがわしく見えた真っ赤や純白の装束の踊りも、しばらく見るうち、太古を呼び起こす正当な道具立てに思えてきた。どうやらこの人たち、本気で縄文を愛しているのだ!
踊りと演奏の合間に主催者の小林さちこさんがあいさつした。小林さんは土地の人ではなく、移住者。縄文の本場にあこがれて移り住み、3年前に縄文祭をスタートしたのだそうだ。どうやら、小林さんのような移住者は少なくないらしい。
2週間後に小林さんに電話して、「何のために縄文祭をはじめたんですか?」と聞いたら、「今の時代、祈りが少ないでしょう。祈るため、平和を祈るためです。」と言う。そして「いま稲刈りで忙しいの。私の活動を知りたかったら、フェイスブックに写真をたくさん出してあるから見て下さい」とのこと。
最近のページは稲刈りの仲間の幸せそうな顔たちが満載。さかのぼるとチリ出身のシャーマンの指導で踊ったり、祈ったり、ブドウやナシの収穫、ヨガ、瞑想……。稲作をもたらした弥生文化が縄文を滅ぼしたのだから、共同稲刈りを楽しむなんて、縄文人への裏切りみたいだけれど、小林さんたちの縄文教は、そんな狭苦しい考え方をしない。「祈り」「平和」「いのち」がかれらの縄文のキーワードのようだ。
ぼくはフェイスブックを敬遠してきて、今回はじめて、おそるおそるのぞいてみたので、よくその仕組みが分からないが、小林さんの「友人」を覗くと、ぼくの親友Nの顔が出てきた。毎日新聞記者として、アメリカのグレナダ侵攻など、良い記事を書いてきた男だ。電話してみると、かれも縄文が大好き。可愛らしい土偶の顔がたくさんある釈迦堂遺跡博物館で小林さんに出会ったらしい。Nにとっても縄文イコール平和だ。
縄文時代は平和だった。身分の違いもなかった。王様もいなかった。米を作るようになると、支配階級ができて、戦争したくなったんだ。ぼくは絶対平和主義者だよ。どこかの国が攻めて来ても、戦わない方が良い。
やもめのNが、昼食をご馳走してくれたことがある。数種類の野菜を細かく切って煮たスープと、さっと焼いたあぶらげ。こってりしたフランス料理が好きなぼくだが、Nのランチはしみじみとおいしく味わった。正直に作られた食材を使ったシンプルな料理も縄文流?
グーグルで「縄文祭」を検索してみると、北海道から秋田県、山形県、千葉県、神奈川県まで、じつにたくさんの「祭」が、縄文の名をかかげて、行われているのがわかる。ぼくのように、考古館を訪ねて土器をながめる孤独な縄文愛では我慢できない人たちが大勢いるのだ。何ヶ月も前から衣装や楽器を手作りし、ダンスの練習を重ね、会場を設営し、自分たちの縄文への思いを分ち合う「祭」。踊る者も見る者も、ひとつになって祈りをささげる「祭」。縄文土器には、人々を行動にまで駆り立てる「何か」があるのだ。
井戸尻考古館の土器にはカエルがいる、ヘビがいる、片方が明るく片方が暗いふたつの眼がある。考古館の解説は、古代中国で月とカエルが神秘的な対応関係にある例を示し、こんなエキサイティングな説をとなえている。
蛙、わけてもヒキガエルは光らない暗月、しかし、これからよみがえろうとする月の不死性を表徴する生物だった。
永遠に止むことのない月の満ち欠けは、眼前にあって万物の消滅と生成の法則を圧縮してみせてくれる。月こそ死と再誕生の本源だとみられた。(井戸尻考古館執筆編集『井戸尻第八集』所収『土器コスモロジーの誕生』)
カエルが月を指し示しているかどうかは異論もあるだろうが、カエルやヘビやふたつの眼が、縄文人の生と死と永遠をめぐる思索の表現であることは、疑いようがない。石器人の描いた図像を解釈して、「狩りでたくさんの獲物が得られますように」とか、「子供が大勢うまれますように」とか、現実的願いを想像するのは、物質主義に毒された現代人のケチな発想。縄文人はもっと高尚な次元に生きていたのである。
それにしても、なぜカエルだろう? 月信仰と結ばれるカエルの図像は、インダス、西アジア、ヨーロッパ、中・南アメリカなど普遍的に見られるそうだが。
蓼科の山の家には、いろんな動物が訪ねてくるけれど、カエルは特別だ。雨が降ると、玄関の前にカエルが座っている。それを忘れて、うっかり乱暴にドアをあけ、カエル君を突きとばして痛いめにあわせたり、踏んづけかけてあわてたり、たびたび申し訳ないことをしてしまった。それでもこりずに、玄関前にちょこんと座り、ときにはぼくのズボンに飛びついてくる。山の家は母が建て、母は山で暮らす夏休みをとても楽しみにしていたのだから、どうしても「カエルは母だ」と思えてしまう。
カエル君のあんなふるまいに接すれば、縄文人でなくても、「カエルは人に大事なメッセージを伝えるため、送られてきた使者だ」と考えたくなるだろう。村上春樹は、かえるくんが地震を防ぐためみみずくんと闘って、東京を潰滅から救う物語を書いている。(『かえるくん東京を救う』)
悲しいことに、ぼくにはカエル君のメッセージは聞こえないけれど、石器時代の人には、はっきり聞き取れたのだ。
AI時代の入口にいる私たちには、そのわけがよく分かる。言語・知識にかんする新しい技術は、人の苦労を減らしてくれるかわりに、その代償として、人間は一つずつ能力を失ってきたのである。AI誕生からまだ数年しかたたないのに、若者の文章力が衰えてしまったそうだ。ぼくはフランス語で手紙を書くのをAI任せにしたので、もうじきフランス語が書けなくなるだろう。
では、文字が発明されたとき、人は何を失ったか? すべてを頭で記憶し、語り伝えてきた人類は、記憶の仕事を文字という形で、頭の外に出してしまった。頭を使わなくなった分、人間は「記憶」能力を劣化させた。それと同時に、「神の声」が聞こえなくなったのだそうだ。(「神の声」が聞こえた時代の名残は、ホメロスや旧約聖書から読み取れる。)
村上春樹の小説の主人公が、かえるくんから大地震の予知を聞き取ったように、縄文人はカエル君から生と死と永遠の真理を聞き取った。かれらは聞き取ったメッセージ(神の声)を忠実に土器に表わすことができたのである。
岡本太郎が、縄文土器を〈発見〉し、圧倒されたのは、縄文にしかない直接性・真正性のゆえに違いない。「神の声」としか言いようのない、「根源的」確かさに感動したのだ。
その私が思わずうなってしまったのは、縄文土器にふれたときです。からだじゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が血管の中をかけめぐり、モリモリ力があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに日本、そして民族にたいしてだけではなく、もっと根源的な、人間にたいする感動と信頼感、したしみさえひしひしと感じとる思いでした。(岡本太郎『日本の伝統』所収『縄文土器―民族の生命力』)パリ・東京雑感|本当は怖い埴輪の顔|松浦茂長|
縄文人が聞き取ったものを、何と呼んだら良いのだろう。宗教以前の宗教? 神道以前の神道? 縄文祭の写真を、すぐお隣の別荘に住む作曲家の新実徳英さんに送ったら、こんなメールが返ってきた。
縄文祭り、楽しそうですね。
「僕の宗教は縄文神道」などとうそぶいてきましたが、
「万物に霊性が宿る」という感じ方はその通り、と思っています。
蓼科に住み、毎日八ヶ岳をながめ、シカやカモシカやヤマドリの訪問を受けながら暮らすと、縄文人が土器にこめた思いに、ちょっぴり近づけるのかもしれない。
〈縄文中期の八ヶ岳のふもと、澄んだ泉が湧き、ドングリやクリが豊かにとれる井戸尻に、一人の天才が生まれ、生と死と永遠の神秘を解き明かした。「神の声」を聞き取ったよろこびを彫り刻んだ土器の図像は、井戸尻からはるか東へ、南へ伝播し、(鈴木大拙の命名を我田引水させてもらえば)「日本的霊性」の淵源となった〉……わくわくするこんな空想(妄想?)が、どっかとぼくの中に居すわってしまった。
十数年前、ロシアの哲学者タチアーナ・グレゴリエーヴァさんが日本に来たとき、神社に案内したら「神様を殺さなかったのは素晴らしい。ロシアは神さまを殺してしまいました。」と言うのでびっくりした。彼女は神学に通じたクリスチャンだ。ロシアの深い森と大地には一神教の教義にはまりきらない豊饒な霊性があったのに、と言いたかったのだろう。巨木にかこまれ、昼でも薄暗い神社の境内に立って、グレゴリエーヴァさんは、<原始の日本人が自然の神秘におののいた感動が、言葉・観念に置き換えられることなく伝えられ、神社には神の名を越えた存在への畏敬へと導く力がある>と感じたに違いない。
ぼくは、いまの神社にうさんくさいものを感じてしまうので、ゆっくりながめる気にもならないのだが、戦争中の国家神道の歴史にこだわらないグレゴリエーヴァさんには、神社のたたずまいから、縄文以来の「日本的霊性」を読み取ることができたのだ。
思想・宗教以前の、この言葉なき「日本的な何か」のおそるべきパワーをとらえた作家の一人が芥川龍之介だ。芥川は、ポルトガル人宣教師の煩悶を通じて、「日本的霊性」のしぶとさを、たくみに表現している。グレゴリエーヴァさんが「神さまを殺さなかった」日本を賛美したのと対照的に、宣教師は、日本の名もなく姿もなき「神神」にぶち当たり、「憂鬱の底」に沈んでしまうのである。
この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人(=日本人)は、――あの黄面の小人よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院(キリスト教会)が聳えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。(中略)自分はただこの国から、一日も早く逃れたい気がする。(中略)
(神への祈り)この日本に住んでいる内に、私はおいおい私の使命が、どのくらい難いかを知り始めました。この国には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります。そうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。さもなければ私はこの頃のように、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、ちょうど地下の泉のように、この国全体へ行き渡って居ります。(中略)私は使命を果すためには、この国の山川に潜んでいる力と、――多分は人間に見えない霊と、戦わなければなりません。(芥川龍之介 『神神の微笑』)
ポルトガル人宣教師は、日本でなければどこでも良い。支那でもシャムでもインドでも、日本から逃げ出せさえすれば、どの国でもかまわないと考えている。つまり、「不思議な力」が邪魔だてする、おかしな国は日本しかないというのが、芥川の理解なのだ。
文字発明以前に聞こえた「神の声」が、今も日本では、こだましているのだろうか? グレゴリエーヴァさんがつぶやいたように、日本だけは神さまを殺さなかったのだろうか?
その問いへの一つの答えが、縄文祭だったかもしれない。しかし、もっと説得力のある答えにめぐりあった。八ヶ岳のふもと、原村に住む、11歳の堀之内聖さんの絵である。

(2025/11/15)



