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日本フィルハーモニー交響楽団 第774回 東京定期演奏会|能登原由美

日本フィルハーモニー交響楽団 第774回 東京定期演奏会
Japan Philharmonic Orchestra 774th Subscription Concerts 

2025年10月17日サントリーホール
2025/10/17 Suntory Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by Ⓒ山口敦(提供:日本フィルハーモニー交響楽団) 
 


〈プログラム〉       →foreign language  

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番ハ短調op. 35
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》ト短調 op. 103 

演奏
指揮カーチュン・ウォン
ピアノ小川典子
トランペット:オッタビアーノ・クリストーフォリ
日本フィルハーモニー交響楽団 

 

実際に起こった出来事に因んだ作品を演奏する場合、とりわけまだ社会にその記憶が色濃く残る場合には、引き出される音にもやたら生々しさが感じられることがある。いや、遠い国の、あるいははるか昔のことであってもだ。その事件を追体験しているような、妙に「リアルな」気分を味わうことがあるのだ恐らく作品が孕む苦悶や葛藤、悲哀などに奏者が深く共振し、それが音とともに伝わってくるためだろう。一方で、その史実をあくまで音楽表現のモチーフと捉え、俯瞰的に描く場合もある。そのような演奏では、出来事はあくまで「フィクション」であるとの心構えになり、こちらもストーリーそのものに没入するというよりその表現方法へと意識が向けられることが多い。どちらが良いとか悪いとかではない。ただ、「ノンフィクション的演奏」と「フィクション的演奏」では、読後感ならぬ聴後感が大きく異なる。

今日のカーチュン・ウォンによる演奏は明らかに「フィクション的演奏」であった。そのタイプにおいて圧倒的な名演であった。演目は、今年没後50年を迎えたショスタコーヴィチの、ロシア革命を題材にした交響曲11番《1905年》。当時の様子を描写的に表したこのシンフォニーについては、今まさにそれを体験しているがごとく鬼気迫る演奏が繰り広げられることがある。そうした「ノンフィクション的演奏を聴いた後では、答えのない問いを投げかけられたような、なんとも割り切れない余韻が残る。

Ⓒ山口敦

それに対し、このウォンによる《1905年》の後味のなんと爽快なことかそれは描写対象そのものを現前させるのではなくその見せ方、つまりいかに音楽によって表現するかというその方法の具現化に終始徹していたためだろう。例えば第1楽章弦楽器が奏でる主題はいずれも惨劇前の不気味さを漂わせた緊張感に満ちたものではなく、豊かなヴィブラートとウェットな響きが抒情的な美しさを湛えた旋律を歌い上げ、スラヴ的」とも言えるような色合いが前面に押し出される流麗な流れもあるゆえに一大叙事詩、とりわけ英雄譚の始まりを予感させるヒロイズムさえ感じられる。第2楽章では管弦打の全てがパワー全開、どれ一つとして怯むことなく前へ前へと挑んでくるとはいえ、決してカオスにならないのはこの指揮者と奏者の十全な信頼関係の賜物だ。非常によく制御されているゆえに全奏となるやその爆発力も凄まじいのであるただし裏を返せば、その狂人的疾走をもってしても担保される安心感、あえて嫌な言い方をすれば予定調和的な表現こそ、既知の物語を外部から眺める者の目線であり、すでに明らかとなっている結論までの道のりをこちらもゆったりと味わう余裕が与えられるのだとはいえ、綿密に設計された図面を完璧に音に起こしていくその技は、昨今の指揮者の中でもずば抜けていると感じた。

Ⓒ山口敦

一方、前半のピアノ協奏曲第1番でもウォンのリードは抜群であった。ピアノ独奏は小川典子、トランペット・ソロはオッタビアーノ・クリストーフォリ。協奏曲の場合、多くの指揮者は主役となるソリストを立てるように棒を振るが、ここではウォンが主導権を握る。小川のピアノは、第1楽章の冒頭主題などでは仄暗い響きと歌を聴かせるが、一転して狂喜乱舞を見せるなど激しい表情変化をしなやかに見せていく。第3楽章では、アイロニカルなニュアンスがもう少し欲しいとも思えたが、超絶技巧を難なくこなしながら多彩な色を加えていく。もっとも一時は二重協奏曲として構想された経緯をもつ本作の場合、もう一つのソロ楽器であるトランペットも大きな鍵を握る。独奏したクリストーフォリは、あくまで信号ラッパのごとく終始フラットに吹奏したが、その「ポーカーフェース」ぶりが、喜怒哀楽を惜しみなく振り撒くピアノと好対照をなして興趣をそそるとはいえ、二つの楽器の協奏も全体から見れば一要素に過ぎないと言わんばかり、ウォンは両奏者の表現を吸収しながらさらに大きな音楽空間を作っていった。

演奏に何を求めるか。その行き着く先はどこなのか。嗜好や志向は時代や人によっても異なり、答えはない。けれども、オーケストラ全体の統率力とそれによる表出力の双方において、ウォンが非常に大きな高みに昇りつつあることは間違いない。

Ⓒ山口敦

2025/11/15 

 
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Cast
Conductor: Kahchun WONG (Chief Conductor)
Piano: OGAWA Noriko
Trumpet: Ottaviano CRISTOFOLI, Solo Trumpet