ベトナム便り|~ハノイにもう1つのオペラハウス!?|加納遥香
ハノイにもう1つのオペラハウス!?
Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh) :Guest
街の景観が変わるのは世の常。あれ、この建物ができる前は何があったっけ?と思うのはよくあることだ。ハノイでも、マンションやビルが次々に建設されたり、道路が整備されてきれいになったりと、街の風貌が日々大きく変化していくのだが、そのなかでも今、ある大規模な開発が進められている。ハノイ市当局と地場の大規模不動産企業サングループによる、「オペラハウス・文化芸術テーマパーク」の建設である。開発対象地は、ハノイ市内中心部の北東に位置する西湖(タイ湖)の一角で、湖に突き出した北東部のクアンアン地区だ。
この一帯には、かつて伝統的な村が存在していた(ザンヴェト紙 2022年9月29日付)。現在でもベトナム人にとっての古くから信仰の場があり、街を歩くと、長年そこに住んできたであろうと思われるベトナム人の住宅が立ち並んでいる。一方、現在では外国人が居住する地区にもなっており、ベトナム人居住者が開いた外国人向けの小さなアパートから大型のサービスアパートメント、西洋料理をはじめとする外国人をターゲットとしたレストランなどが多くある。日本人を含むさまざまな国籍の外国人が住んでいるが、中でも欧米人が多く住む地域として知られている。ハノイの他のエリアと同様、ベトナム人と外国人は混在して生活している。
ハノイ市とサングループによる西湖畔のオペラハウス建設は以前から計画があり、2017年にサングループがサン・シンフォニー・オーケストラを設立した直後には、イタリア人建築家レンゾ・ピアノの設計による建設計画が発表されていた。それ以降の大きな進捗が見られないうちに、2023年7月にはハノイ市内の別の場所に、公安省のオペラハウスであるホーグオム劇場が落成した。ではこちらの計画はもうなくなったのだろうかというとそうではなく、断片的なニュースからは少しずつ進んでいることがわかり、今年の10月に入ると現地メディアが開発計画を一斉に報道、10月5日には着工式が開催された。
オペラハウスの完成イメージ
(出典:文化スポーツ観光省電子ポータル 2025年10月1日付)
この事業は、オペラハウスの建設だけにとどまらず、クアンアン地区一帯の開発と併せて進められる。以下左は、2023年12月23日時点、中央は2025年9月20日時点の航空写真(いずれもGoogle Earthより)、そして右は、現地主要紙に掲載された、開発計画の地図である。開発計画の地図の中の赤い線の枠内が開発対象地で、地図上の説明書きを見ると、この枠内に位置する西湖府や寺は維持され、そのほかの住宅や店舗がある地域は、文化芸術テーマパークの広場などの場所になるようである。
ハノイの一角が今、大きく様変わりしている。さらに、私はグローバリゼーション時代のオペラ劇場建設をめぐるグローバル規模の動向およびベトナム(ハノイ、ホーチミン市)での動きについて、これまでに論考や著書でまとめたのだが(加納 2021、2024)、それに続く歴史の一ページが今ここで起こっている……。そんな変化の只中にせっかくハノイに住んでいるので、この瞬間の様子をこの目で確かめないわけにはいかない。幸い10月のハノイは秋を迎え、外を歩くのも心地よい季節になっていたので、ある週末に散歩がてらこの一帯を歩いてみることにした。
スタート地点は、湖に飛びでた部分の先端にある西湖府とし、そこから時折、グーグルマップと開発計画の地図を照らし合わせながら、てくてく、ぐるぐると歩き回った。通った順にすべてを記すと長くなるので、いくつかピックアップしてお伝えする。街を歩いても、航空写真を見ても、関連ニュースを見ても、考えさせられることは多いのだが、今回は淡々と今の様子を伝えるにとどめたい。
1. 信仰の場所
スタート地点の西湖府は、ベトナムのメジャーな民間信仰である聖母道の三大聖地のひとつであり、この日は地方からの観光客と思しき団体や地元民の姿が見受けられた。なお、旧暦1日と15日は多くの人がお参りに来るのだが、昨年11月にたまたま観光で西湖府を訪れた日が旧暦1日であり、多くの地元の人で溢れかえっていた。ここはまさに、地元民の信仰生活と国内外から観光客、雑然さと賑やかさが入り混じる場所である。
参拝客や観光客でにぎわう西湖府の参道(左)と本堂前(右)
(2024年11月1日、筆者撮影)
西湖府は観光地として有名なのだが、今回、この地区にはそれ以外にも2つのお寺があることを知った。一つは普霊寺(フォーリン寺)で、ネットで調べると、ハノイで唯一胎児を祀る寺とのこと。正面と見られる門はこの日は閉まっていたのだが、今回一帯を歩き回る中で、ある細い路地に引き寄せられて奥に進んでみると、突如、お寺の裏側に出てきた。池の脇に群れるアヒルたちがなんとも愛らしい。もう一つの弘恩寺(ホアンアン寺)は全面的な改修工事下にあり、寺の前に設置された看板によれば、2025年5月に工事が開始され、2026年6月に完了予定とのことである。
普霊寺の正面(左)と、路地を通り抜けてたどり着いた寺の裏側(右)
(2025年10月18日、筆者撮影)
先述の通り、西湖府と2つの寺はそのまま維持されるとのことだが、きっと一定の整備がなされるだろうし、周囲が大きく変わることで、人びとの信仰の生活にも一定の変化が起こることであろう。
2. 居住と商売の場所
この地区を歩いていると、いろんな風景が見られて楽しい。まずは、湖に面した通りの路上で靴や衣服を売る人、長年営んできたであろう自転車修理店、路上でお茶を飲みながら会話をする人びと。
(2025年10月18日、筆者撮影)
次に、ごちゃごちゃしながらもなんだかおしゃれな通り、小ぎれいなアパートや外国人向けにオープンしたと見られる店などが立ち並ぶ通りなど。これらの場所、そこで営まれる人びとの日常は、今後どのように変わるのだろうか。
(2025年10月18日、筆者撮影)
オペラハウスの建設を歓迎する声がある一方で、この開発には当然のことながら、反対の声もある。たとえば、ベトナム国内では規制がかかり閲覧できないメディアの一つであるBBCには、2022年に、専門家の批判的な意見や反対する住民の声に焦点を当てた記事が掲載されていた。今回私が街中を歩く中でも、2か所だけだが、開発や立ち退きに抗議する貼り紙やポスターが残っているのを見つけた。本記事の冒頭で「景観が変わる」と書いたが、それはあくまでも私のような通りすがりの人間にとっての変化であって、ここに住む人たち、ここで商売を営む人たちにとっては、生活が、人生が、大きく変わることになるのである。
3. 工事現場
私がこの地区を散策したのは週末だったが、着々と工事が進められているようであった。工事現場入り口に来て敷地内を覗いてみると、池だと思っていた場所がすっかり埋め立てられて重機が入っている。この光景に目を疑ったのだが、後日、上掲の最新の航空写真(中央)を見ると黄土色の更地となっていたので、見間違いではないことがわかった。2023年12月の航空写真上ではここはまだ池であるため、それ以降に埋め立てられたのだろう。一方、最終的には池に浮かぶオペラハウスという図が構想されているはずなので、建設終了後にまた水を入れるのだろうか、などと素人なりの想像をめぐらせる。
オペラハウス工事現場の外観。南側の湖沿い(左)と北側の工事現場入り口(右)
(2025年10月18日、筆者撮影)
オペラハウスの工事現場の様子については、11月5日にはザンチー紙という現地紙が写真を大々的に報道していたので、紹介しておく。
また、オペラハウスの横では、ベトナム共産党事務局が所有する西湖迎賓館の建て替え工事が先に開始されており、こちらは一足早く、建築物が形を成し始めていた。
立て替え中の西湖迎賓館
(2025年10月18日、筆者撮影)
開発対象地区の中で、もう一つ目についた更地が、上掲の航空写真(中央)の右上あたりに見える黄土色の部分である。これは、クアンアン地区を周辺地域と結ぶスアンジウヴァインダイ通りという通りと接続する部分である。この更地は、スアンジウヴァインダイ通りからオペラハウス方面に向かうためのメインの大通りになる予定の場所で、まだ建設工事ははじまっていない。切られずに残されたのか、一本佇む大木が印象的であった。
ヴァンダインスアンジウ通りそばの更地(左)とそこに残された大木(右)
(2025年10月18日、筆者撮影)
このオペラハウスが完成すれば、ハノイには、1911年にフランス植民地政権により建設されたオペラ劇場、2023年に完成した公安省のホーグオム劇場、そしてこの新しい劇場と、3つのオペラハウスが存在することになる。そのなかでこの地区は近い将来、シンガポールの「エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ」のようになるのだろうか。そんな想像を働かせながらも、他方では、ハード(会場)はあるのにソフト(公演)はない、といった事態に陥らないだろうか(1815席のオペラ劇場と1010~2000席の多目的劇場という2つの劇場ができるらしい)とか、公共交通機関が整備されていないハノイにおいて、人びとが車やバイクでこの地区に押し寄せたらどうなるのだろうかとか、いろいろと不安もよぎる。ベトナムはびっくりするような方法でこれらの問題を乗り越えるかもしれないし、とりあえずハコモノを、という方針で後手後手に検討、対応していくのかもしれない。
いずれにせよ、今のベトナムは変化、いや、激変の時期だ。今ベトナムに滞在できる恵まれた境遇を無駄にせず、ひとつひとつ見逃さないように過ごしていきたい。
西湖の南側から見る建設区域。小さく黄色い重機が見える。
(2025年10月18日、筆者撮影)
参考文献
加納遥香、2021、「非ヨーロッパ世界におけるオペラ受容の歴史と現在:ベトナムを中心に」、
足羽與志子、ジョナサン・ルイス編、『グローバル・スタディーズの挑戦:クリティカルに、
ラディカルに』彩流社、第14章。
加納遥香、2024、『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』彩流社。
*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
(2025/11/15)
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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。



















