人間の顔〜戦後80年に捧ぐ|前田裕佳
2025年9月14日 神戸文化ホール 大ホール
2025/9/14 KOBE BUNKA HALL
Reviewed by 前田裕佳(Yuka Maeda): Guest
Photos by H.Ozawa/写真提供:神戸市混声合唱団
〈出演〉 →Foreign Languages
佐藤正浩(指揮)、神戸市混声合唱団(合唱)
〈曲目〉
シェーンベルク:地には平和を 作品13
プーランク:フランスの歌 FP130
リゲティ:ルクス・エテルナ
プーランク:カンタータ《人間の顔》 FP120
9月14日、去りきらぬ炎暑の中「人間の顔〜戦後80年に捧ぐ」が神戸で開催された。
まず冒頭に演奏されたシェーンベルクの《地には平和を》は、“Friede”という言葉が多様な和声に包まれながら繰り返され、その調べが身体にすっと浸透していくかのようだった。本公演に込められた祈念と決意が伝わってくる。本作品はシェーンベルクが本格的な無調の作品を書く以前の作品とされるが、時折かすかに見られる無調性の断片にハッとさせられ、シェーンベルクが、来る大戦を肌感レベルで予感していたのではないかと思いを巡らせた。改めて、本プログラムの最初に配置される作品として、大変示唆に富む。
続いて演奏されたプーランクの《8つのフランスの歌》は、口頭伝承として古くから受け継がれてきたフランスの民謡の「踊り歌」(第1、4、5、6曲)や「仕事歌」(第3、8曲)や「嘆きの歌」(第2曲)に基づく。本作品は、ナチス・ドイツ占領から解放された動乱の最中で書かれたが、その混乱した時代背景とは裏腹に、人々の平和な日常の情景が愉快に、時に滑稽に表現されている。
休憩を経て、舞台には合唱団員の人数分の譜面台と、マイクが六台配置され、リゲティの《ルクス・エテルナ》が演奏された。指揮者の佐藤によれば、マイクを使用することで、残響が補強され、教会の音響に近づけるための試みであるという。この工夫が功を奏し、終始音響の中に身を投じているような感覚を得た。F音から始まり、16声部による微細なカノンによって、クラスターを構成しながら音響は漸次変容していき、最後はF音とG音の合成へと辿り着く。リゲティは本作品に関して「プロセスというよりもオブジェクト的」ではあると言及しつつも、「音楽的瞬間には、それが他の瞬間を差し示すという意味しかない」とも述べている。その言説の通り、一筋の希望を求めて彷徨った末に辿り着く、中音域のF音とG音の合成音響は、救いの光となって私たちを照らしてくれるようだった。
そして最後に演奏されたのがプーランク《人間の顔》。大戦下に「地下出版」されたポール・エリュアールによるレジスタンスの詩集「詩と真実1942」からの8篇の詩によるものであり、二重合唱の形態で書かれている。支配者への怒りをぶつける様が顕著に表現された地響きのような唸りを伴った1曲目から、聴き手をプーランクの世界へと引き込んでいった。とりわけ終曲の「自由」は、その真価が鮮烈だった。全21連からなる詩の各連の末尾には(最後の1連を除き)「J’ecris ton nom 君の名前を書く」という言葉が様々な和声によって反復されていく。その名前を書かれる対象は、日常の些細な物質から抽象的なものにまで及び、21連を通して、幼少期から老年に至る人生の時間的経過が映し出される。最後に、「そして一つの言葉の力で僕は人生を再開する 僕は生まれた 君を知るために君の名を呼ぶために 自由」と締め括られる。連を追うごとに歌声は熱を帯び、「J’ecris ton nom 君の名前を書く」の言葉が押し寄せ、最後に「自由」とたった1回叫ばれる。感涙……知らぬ間に涙が頬を伝った。その歌声から、戦争へのレジスタンスを超えた、人間の根源的な生命力を感じた。実はエリュアールには最後の一語を「自由Liberté」ではなく、エリュアールの妻のニックネームである「Nusch」で締めくくろうという構想があったそうだが、Libertéで締めくくることによって、この作品はより普遍性を持って、人々の心に訴えかけたと推察される。
アンコールは、同じくプーランクの《7つの歌》より、エリュアールの詩による「美とそれに似たもの」であった。ここにも人間の様々な「顔」が映し出されていた。その歌声を聴きながら、合唱団員一人ひとりがそれぞれの人生を抱え、声を寄せ合っていることに思いを巡らせた。
シェーンベルクによる平和を求めた作品、リゲティによる光を求めた作品、そして、ナチス・ドイツによる占領後の困窮の中書かれたプーランクの自由を求めた作品。特筆すべきは人間の声の彩である。全曲を通したアカペラでの合唱、その多様な編成の魅せ方。人間の声だけで作られる音の情景や音響の対比、そしてリフレインされる言葉。人間の様々な形相がそれぞれの思いや願いを持ち寄って会場内を埋め尽くしていた。
終演後は、お昼ほどではなかったが依然として暑かった。だがふと見上げれば、頭上には既に秋を思わせる穏やかなすじ雲が流れていた。季節は巡る。人間の声に託された祈りが、天に届きますように。
(2025/10/15)
前田裕佳( Yuka Maeda)
神戸大学発達科学部音楽表現論コース卒業、同大学院修士課程修了。パリ・エコールノルマル音楽院ディプロム。東京藝術大学大学院博士後期課程修了、学術博士。第 20 回テグ国際現代音楽祭に招かれ自作曲を発表、2017 年度フェニックスエボリューションシリーズに入選しリサイタルを開催、2021 年度野村財団の助成事業として「スペクトル スペクタクル」リサイタル、2台ピアノデュオM&Mによる「Trans-トランス」シリーズ等。継続して大学合唱団や一般合唱団と数多く共演する。ピアノを佐野彰子氏、オディール•ドゥラングル氏に、博士研究を田村文生氏に、指揮法を斉田好男氏に師事。神戸大学、梅花女子大学、佛教大学、神戸市シルバーカレッジ各講師。
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< Performers>
Masahiro Sato(cd,) Kobe City Philharmonic Chorus
<Program>
Schoenberg – Friede auf Erden
Poulenc – Chansons françaises
Ligeti – Lux aeterna
Poulenc – Figure humaine



