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Pick Up (2025/9/15)|「音楽はかつて“軍需品”だった」|能登原由美

Pick Up (2025/9/15)|「音楽はかつて“軍需品”だった」|能登原由美

 NHK Eテレ
2025年8月16日(土)午後10:00~11:00
2025/8/16  NHK E
Text by 能登原由美(Yumi Notohara)

 

 80回目を迎えた終戦記念日の翌日、NHKの倉庫から見つかったという253の楽譜に関する興味深いテレビ番組が放映された。戦意を鼓舞し、戦争を勝利へと導くために作られた楽曲をもとに、音楽の役割について追究した内容。進行役は、長年邦人作曲家の研究に携わり、この時代の音楽にも詳しい評論家の片山杜秀。 

 「音楽は軍需品なり」。 

 戦時体制のもとで書かれた記事の見出しが映し出される。番組のタイトルにも使われている「軍需品」という言葉。確かに、非常時には役立たないとみなされがちなこの「娯楽」からはほど遠いように思える一語だ。だからこそ、このようにあえて持ち出し、その「有用性」を訴える必要があったのだろう。というのも、この時代の誌面には、戦争に関わる文言が至るところに溢れている。むしろ、そうした社会全体の空気が書かせたのであろう、ある種のやるせなさを感じてしまう。 

 とはいえ、ヨーロッパでは古来、バグパイプやトランペット、太鼓や笛などが戦場に駆り出され、兵士を鼓舞し敵を威嚇する道具として活用されてきた。あるいは、フランス革命時に歌われ現フランス国歌にもなった「ラ・マルセイエーズ」のように、誰もが口ずさめる歌で結束力を高め、戦いに臨んだ例も枚挙にいとまがない。そもそも音楽は、武器としての来歴ももっているのだ。 

 しかしながら、冒頭で投げかけられた次の問いは、それが新たな力を得てこの長い歴史の1ページに加えられたことを示している。 

 「戦時下、音楽はラジオを通じてどう使われたのか。」 

 すなわち、これらがラジオ放送のために作られた作品であり、「電波」を通して前線のみならず、「銃後の生活」をも軍事一色に染め上げていったという点だ。テレビがまだない頃、情報を得る手段として日常に欠かせないツールであったこの機器は、人々の生活や心情を容易に統制することになった。YouTubeなどの配信も含め膨大なコンテンツが存在する現代とは違い、当時はチャンネル数も圧倒的に少ない。電波の届かない地域があったとはいえ、国中でほぼ同じ内容が聴かれていたのだからその影響力は計り知れない。 

 実際、作家の山中恒が当時ラジオから流れてきていたという戦時歌謡を諳んじた場面があった。その記憶力には驚いたが、筆者自身、つい最近インタビューをした93歳の女性が子供の頃に聞いたという数々の軍歌をスラスラと歌う場面に出くわしたばかりだ。どちらも子どもの頃の体験であり、80年経っても記憶に残るほどのインパクトをもっていたことがわかる。さらに、ラジオでは戦局を知らせるための「ニュース歌謡」が即席で作られ放送されていたというが、今でいう「フェイク・ニュース」も交えたそれらの歌が、市井の人の心を支配していったことは容易に想像できる。 

 「音楽家はどう生きたのか。」 

 もうひとつの問いは、そのような状況下でこれらの楽譜を作り出した人々、演奏した人々に向けられていた。父親がヴァイオリニストであった黒柳徹子や、作曲家―ここでは山田耕筰と江文也。いずれも、その楽譜がこれらの資料から見つかった―の遺族へのインタビューを通じて迫るものだ。子どもながらに音楽の現場に不穏な空気が立ち込めていくのを目の当たりにしたこと。あるいは、戦後になって戦争国家から平和国家へと180度転換した社会に翻弄される創作者の苦悩を間近で感じたことなど、貴重な証言が並ぶ。ただし、当時音楽家たちがラジオという新たなメディアの効力をどこまで認識していたのか、知りたいところでもある。いや、まさに「進め一億火の玉だ」と謳われた時代。性能の高い「軍需品」を一刻も早く供するべく、ひたすら音符を書き進めたというところだろう。 

 であれば、どのような音楽が戦勝に貢献できると考えられたのか。どのような音が人々を駆り立てるとみなされたのかを知ることは不可欠だ。称賛すべきことに、番組内ではこれら死蔵されていた楽譜を蘇らせるべく楽曲の演奏も行われていた。放送音源が残っているわけではなく、戦後は日の目を見ることもなく眠りについていた「幻の楽曲群」。ゆえに改めて音にするしかない。実際、蘇演された内容を聞くと、大木正夫の「漢口進攻」のようにタイトルと曲の特徴が結びつくものもあれば、山田が書いた「沖縄絶唱譜」のように、名前からは想像がつかない美しく抒情的なものもある。こうした具現化、立体化の取り組みを通じてこそ、戦争に寄与した音楽活動の実態がより鮮明になってくるのであり、そこから我々が学べることはさらに多くなるはずだ。 

 もちろん、番組の中でも触れられていたように、これらの作者を「戦争協力者」として批判するのは容易い。けれども、新聞、雑誌、個人の日記など当時の記録を紐解けば、音楽家たちがこぞって総力戦体制に加わろうとしていた様子がありありと見える。もちろん、軍国主義に染められた思想、信条のもとであったことも大きな要因であろう。けれども、そうした社会を生きぬくために自らの存在意義をアピールせねばならない焦りのようなものも同時に伝わってくるのである。 

 だからこそ、改めて考えねばならない。平時であれば、このように冷静な議論も可能だが、ひとたび社会的危機が訪れたら人間はどのような行動に出るのか。人々は音楽にどのような力を見いだし、どのように利用していったのか。そして実際、どのような役割を果たしたのか。253もの楽曲から解き明かし、教訓としなければならないことは多々ある。これはゴールではなく、スタートなのだ。 

 なお、放送された楽曲名と作者の情報についても重要であるため、番組のサイトを参考に下記に記録しておきたい。 

 

・交響抒事詩「漢口進攻」 作詞:土岐善麿/作曲:大木正夫
・海ゆかば  作曲:信時潔
・この道  作詞:北原白秋/作曲:山田耕筰
・行進曲「二千六百一年」 作曲:齋藤秀雄
・英国東洋艦隊潰滅  作詞:高橋掬太郎/作曲:古関裕而
・サイパン殉国の歌  作詞:大木惇夫/作曲:山田耕筰
・明けゆく東亜  作曲:江文也
・小国民のための交響組曲「疎開学童風景」から  第7曲 たのしい食卓  第12曲 更けゆく夜  作曲:高木東六
・独唱附合唱曲「沖縄絶唱譜」  第2曲 矢弾尽き  作曲:山田耕筰
・独唱附合唱曲「沖縄絶唱譜」  第1曲 秋を待たで  作曲:山田耕筰
・南天の花  作詞:永井隆  作曲:山田耕筰 

 2025/9/15