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ベトナム便り|~赤く染まったハノイ|加納遥香

赤く染まったハノイ

Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh) :Guest

2025年9月2日にベトナムは建国80周年を迎え、8月から9月頭にかけて、ハノイの街は祝福ムードで満たされた。目に見える動き、多数派の動きだけを捉えて一言で「ベトナムの姿」と断じてしまうことにはためらいがあるのだが、そうは思いながらも、これぞ歴史的瞬間だ、と思わずにはいられない盛り上がりであった。私はこの雰囲気に、時に溶け込んで高揚し、時に嫌気がさしながら、すっかり圧倒されてしまった。

赤く染まるハノイの街

80周年記念行事の目玉は、「A80」(Anniversaryの「A」と80周年の「80」)と名付けられた、ベトナム史上最大規模のパレードだ。全4回のリハーサルが実施され、そのたびにハノイの広範囲に厳しい交通規制がかかり、日常生活に大きな影響が出た。しかしベトナムの方たちの間では、不便と言いつつも苦情はあまり聞かれず、むしろパレードに対する期待が上回っているように感じられた。

聞くところによると、地方各地からパレードのためにハノイに来ている人も多いという。リハーサルの時から多くの人が路上に場所を確保して見学し、街に賑わいを与えており、中でも、9月2日の本番に向けての盛り上がりは、異様なほどであった。私の家の近くもパレードのルートになっており、早い人では二日近く前からレジャーシートを敷いて場所を確保。丸一日前には歩道が人で埋め尽くされ、外に出歩くことが困難になった。パレードのルート沿いには大型スクリーンが臨時設営され、記念日前夜には80周年関連イベントが大音量で生中継されていた。雨が降る時間帯もあったが、声を合わせて歌う声も聞こえてきたし、人びとの熱気が冷めることはなかったようである。

前日から場所取りをする人びと

街中に臨時設営された大型スクリーン

当日の朝、朝6時半からバーディン広場(1945年9月2日にホー・チ・ミンが独立宣言を読み上げた広場)で式典が実施され、その後、バーディン広場を起点にハノイ市内へとパレードが始まった。私はテレビのライブ中継で式典とパレードの冒頭を見て、それから外に出て、大通りへと行ってみた。全く並ばなかったにもかかわらず幸いなことに、多少背伸びをすれば、パレードを見ることができた。観衆は小さな国旗を手に持ったり、愛国的なファッションを身につけたりして、軍隊、公安、警察などの行列がやってくる度に歓声を上げている。行列の中から手を振る人がいるとさらに甲高い歓声が鳴り響き、まるでアイドルが目の前にやってきたかのような歓迎ぶりであった。

パレードの行列を歓待する人びと

この日に向けて、街の風景も日に日に賑わっていった。いたるところに国旗、国旗、国旗、そして時折、鎌と槌をモチーフとする共産党の旗。これまでも国家的記念日を中心に、国旗の生産量はベトナムが世界一ではないかと思うくらい、いたるところに金星紅旗がはためいていたし、赤地に黄色い星がどーんと描かれたシンプルな国旗Tシャツをよく見かけたが、今回はこれまでとは比べものにならない数だったと感じる。ファッションでは、「独立、自由、幸福」というベトナム政府が掲げるスローガンを流用するなど、多様なデザインのTシャツやスカーフなども生産、販売され、SNSでも愛国的な姿の人びとの写真が次々にアップされた。こうして、私が建国80周年を過ごした首都ハノイは、愛国的な表現で埋め尽くされ、文字通り赤く染まったのである。

国旗があふれるハノイの風景


街中で販売される様々なグッズ

 

愛国的なファッション

 

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 赤といえば、9月2日を目前に控えた8月22日に、「赤い雨(Mưa Đỏ)」という戦争映画も公開された。4月30日の「南部解放」記念日に合わせて映画「トンネル:暗闇の中の太陽」が制作、公開されたことは5月号のエッセイで書いたところだが、今回の映画は、ベトナムの軍隊である人民軍の映画部門が制作したもので、1972年に81日間にわたって中部クアンチ省で繰り広げられた激戦を題材としている。現地紙によれば、公開後15日間の興行収入は5000億ドン(約1900万ドル)となり、国内映画で過去最高を記録しているそうだ(ベトナムプラス、2025年9月5日付)。

 

予告編を見ると、戦場での殺傷、負傷のシーンが多いことは明らかで、観るかどうか悩んでいたのだが、やはりどんな映画なのか気になり、友人が一緒に行こうと誘ってくれたので、映画館に足を運んだ。実際観ると、やはり残忍で痛々しい場面が多く、そのような光景が苦手な私は、おそらく戦闘シーンの半分以上で目をつむってしまったのだが、それでも観に行ってよかったと思った。

この映画の興味深い点は複数あったが、ここでは一つだけ取り上げたい。それは、南ベトナム政府軍側(以下、南側)の描写の仕方である。芸術表現においてかつて規範とされた善悪二元論的構図に基づく描写では、南側は「敵」、「悪」でしかなかったが、この映画では、南北問わず同じ人間であるという視点が強調された。たとえば、南北のベトナム人同士が銃を向け合う戦闘シーン。北ベトナム兵が南ベトナム兵を銃で撃とうとしたそのとき、相手のすぐ脇に落ちている妻と子の小さな写真が目に留まり、撃てずに固まってしまう。「殺さねば殺される」という状況で無心となって闘っていた兵士は、「敵」もまた自分と同じように、故郷で待つ家族がいる人間であることを突き付けられたのである。また、他の場面では、南ベトナム政府軍の軍人クアンが母親に対し、この戦争は、アメリカによって引きずり込まれた偽りの戦争であるのだと、心の中の苦しみを吐露する。

南北の立場を超えた「ベトナム」の戦争体験の描写は、この映画の裏のテーマである、息子を戦死で亡くす母親においても試みられている。北側の主人公の兵士クオンの母親と南側の主人公の軍人クアンの母親は、それぞれ、戦場に赴く息子を心配する。物語の終盤ではクオンもクアンも戦死し、どちらの母も息子を失うこととなるのだが、どちらの立場であっても愛する息子を亡くした苦しみを胸に抱いていることが、象徴的に描かれる。

とはいえ、この映画が南側の政治的立場を認めることは当然なく、北側が正義であることに変わりはない。そこを譲らない、譲れないからこそ、家族をめぐる人間の普遍的な感情を強調することを通して、南北の立場の違いを排除した「ベトナム」の戦争体験を表現しようとしているのだろうか。この映画が、軍が主体となった官製映画であることを踏まえれば、ベトナム戦争の公的な記憶の紡ぎなおしの一つであると言えるかもしれない。

なお、エンディング主題歌「平和の中の苦しみ(Nỗi đau giữa Hòa bình)」は、4月号のエッセイで紹介した曲「Bắc Bling」で大ヒットした、今をときめく人気歌手ホア・ミンジが歌う。戦争で息子を亡くした「英雄なるベトナムの母」について歌う作品で、MVでは北側の兵士の母と妻の姿を映し出している。戦争で息子を亡くす親の苦しみは普遍的であることは疑いようがない一方で、「英雄」として讃える歌詞には、濃いプロパガンダ色を感じずにはいられないが、ホア・ミンジのこの作品も含め、80周年記念日に向けて政治色の強い愛国的な歌やMVがいくつも発表され、いずれも成功を収めている。

パレード、映画、音楽など、80周年記念に関連するイベントや作品は、少なくとも私が住むハノイの街、そして私が接するネット空間において、総じて人びとの注目を集め、人気を博した。とはいえ、これら一連の現象を振りかえってみて、「ベトナム人は愛国心が強い」と説明するのには違和感がある。それは一つには、熱狂からは距離を置いた人たちが間違いなく存在したからである。また私が目にした人々についても、パレードをはじめとするイベントをエンタメとして楽しむ側面も強く見られ、政治的愛国心を彼らの行動の唯一の要因と見なすことはできないと感じたからである。ハノイを覆っていた熱狂がひと段落した今、私は次のように考えている。建国80周年記念の一連のイベントや作品は、少なからぬベトナム人に対して、愛国的な言葉や表現に触れたり自ら発したりといった行動の機会を提供し、それらの行動を通して彼らの愛国心を醸成する仕掛けとなったのではないか、と。

(2025/9/15)

*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。

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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。