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紀尾井 明日への扉 第46回 佐々木つくし(ヴァイオリン)|秋元陽平

紀尾井 明日への扉 第46回 佐々木つくし(ヴァイオリン)
Kioi Up&Coming Artists 2025 Tsukushi Sasaki (Vn)

2025年7月24日 日本製鉄紀尾井ホール
2025/7/24 Nippon Steel Kioi Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei Akimoto)
Photos by ©堀田力丸

〈プログラム〉
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ FP119
武満徹:妖精の距離
シューベルト:幻想曲ハ長調 D934
(アンコール) フォーレ:夢のあとに op.7-1.

〈演奏〉
佐々木つくし(ヴァイオリン)
秋元孝介(ピアノ)

 

順番が前後するが、まずプーランクから。録音では他の軽快な室内楽曲と取り合わせて聴かれることもある『ヴァイオリン・ソナタ』だが、二人の切迫した演奏を聴いて、これがナチスによるパリ占拠の真っ只中に完成し、スペイン内戦の犠牲になったガルシーア・ロルカに捧げられた曲なのだ、と改めて思い知らされた。長3度と短3度がスイッチする特徴的な冒頭から、彷徨い出るような歌心とメカニックなフレーズが交錯する第三楽章まで、なんというか、プーランクというのは器楽ソナタから『カルメル会修道女の対話』まで、彼独特の語法、イディオムが至る所で明瞭に聞き取られ、いわばジャズ・ピアニストの手癖のフレーズのように、ファンをほっとさせる「プーランク節」というものがあるのだが(そもそも自己引用が多いということもある)、二人の演奏は、『ヴァイオリン・ソナタ』ではそのプーランク節のすべてに暗い影が落ちているということに気づかせてくれる。それだけに、さりげないメロディがより胸を打つ。そして佐々木はこうしたため息のような旋律の数々を、力むことなくそっとひびかせる。ソロリサイタルで、テクニカルな見せ場に基づかないこうした「ひそやかな歌心」で勝負しようとする、そして実際にそれができる若手のヴァイオリニストというのはそうはいない。第二楽章の霧の奥から響いてくるようなスパニッシュ・ギターふうの鋭く切々とした歌は、本演奏会のもっとも美しい場面の一つだった。他方で、フランス近代の影響が抜けきらない武満徹の若書き『妖精の距離』の糖度の高い美音を聞くと、フランクやフォーレのソナタも聴いてみたいと思わせるものがある。
佐々木のこの「歌」への、それも、楽器の響きを発するすべての音で損なうことがない歌の美しさへのこだわりは、冒頭のモーツァルトからシューベルト、アンコールのフォーレと、歌い回しを直球で問う選曲の隅々にまで現れているように思うのだが、すでに闊達にモーツァルトと戯れるピアニストに比しておとなしい所作にとどまったモーツァルトよりも、彼女の歌心はシューベルトの陶酔的な語りにおいて大きく羽ばたいたように見える。天国と深淵を行き来する深々たるシューベルトではないが、はつらつとして情熱的な魅力があり、それもまたシューベルトの音楽の一側面だ。二人はフィギュアスケートのデュオのように、節回しを共有し、駆け引きを伴う動的な対話をつくりだす。なんといってもそこにはピアニストの存在が大きい。とにかく秋元孝介という音楽家の懐の深さには感銘を受けた。佐々木の歌への専心を理解した上で、半歩先で雰囲気を醸成し、必要なところではトーンダウンし、ニュアンスを掘り下げ、静的な美にとどまらないように、よりじっくり、かつダイナミックに歌いあげるように、とヴァイオリニストを誘ってさえいたように聞こえた。最弱音もこよなく美しい。
それにしても、わかりやすい技巧ではなく歌の本質に向き合うことを余儀なくされるこのプログラムの選曲は若手のソロリサイタルとしてはかなり挑戦的なものであり、また音楽家としての構えの大きさを感じさせる。佐々木つくしは秋元孝介との対話をつうじて、見事にその期待に応えたのだ。私は、佐々木のソロはもちろん、このデュオでの演奏ももっと聴いてみたいと思う。モーツァルトやシューベルトも、二度目、三度目にはまた、まったく違う演奏を聴かせてくれる気がする。

(2025/8/15)