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パリ・東京雑感|「脳死」では数が足りない!心臓を止めて臓器を手に入れろ! |松浦茂長 

「脳死」では数が足りない!心臓を止めて臓器を手に入れろ!  

Text by松浦茂長(Shigenaga Matsuura) 

 

2ヶ月前、フランスで安楽死の合法化を熱望する、切実な声をとりあげたら、小児科の先生から、ご批判を頂いた。 

小児科でも特に生まれたばかりの自己主張の出来ない超早産児や先天性の疾患を抱えた赤ちゃんの医療に携わり、現在は医療的ケア児とその御家族の支援活動に携わっている僕から見ると、「死ぬのを助ける法律」はいわゆる”障がい児”を抹殺するための凶器になりかねないことを強く危惧致します。(埼玉医科大学、田村正徳名誉教授) 

ぼく自身、余命いくばくもない年齢なので、どうしたらラクに死ねるかにばかり関心が向いてしまう。先生から「幼い命を忘れて良いのか!」と喝を入れられて、目が覚めた。看護師か家族が24時間見守らないと命を保てない、重い障がい児をめぐる安楽死こそ、真っ先に考えるべき問題ではないか。 

朝日新聞に、生まれながらの「脊髄性筋萎縮症」で自発呼吸が出来ない7歳の子の人工呼吸器を外し、殺人の罪に問われた母親の記事があった。
母親は4年以上も、昼夜問わずのケアを続けてきた。たん吸引は30分~1時間に1回。体の向きをかえる体位交換は2~3時間に1回。神経がブレークダウンしそうなこの務めを、彼女は、「娘のためなら何でもできる。忙しいけど毎日楽しく過ごしていた」と、受け入れていた。
夫も協力的な「相棒」だった。ところがある日、夫に「体位交換を手伝って」と頼むと、舌打ちした。その瞬間、母親の中で超人的忍耐を支えていた〈何か〉が、ぽっきり折れてしまったのだろう。2日後に呼吸器を外し、自分も大量のクスリを飲んだ。
朝日新聞の記事の冒頭は「7歳の娘は、宝物だった。」となっている。 

重い障がいの子供たち、死を前にした子供たちの病室に入ると、なにか俗世界を抜け出た静謐のような、エゴイスティックな自分を恥ずかしく感じさせるような、おごそかな空気があるのに圧倒される。

障がい者の共同体「ラルシュ」を創ったジャン・バニエは、世間から役に立たないと思われている存在にこそ、愛する能力が集中していることに気付いた。力のない知的障がい者が叫び声をあげ、目や身体全体で「助けて」と訴えるとき、私たちは真の人間関係へと誘われている。その呼びかけに応えるとき、真の人間関係に入ることができるのだと気付き、障がい者によって救われる道を実践したのである。 

ジャン・バニエ(右)

知的障がいのある人たちと一緒に暮らしたとき、私は彼らにすごく助けられて、自分の身体性に気付き、それを受け入れることができるようになったと思います。例えば、知的障がいのある人たちのとてもいいところは、彼らに出会うと、彼らはすっとやってきて両腕で包んでくれるということです。
知的障がいをもった人たちは彼らの人生を私に捧げてくれたと思います。私も自分の人生を彼らに捧げました。そうして私たちは一緒になって、なにかを得たのです。
これは、ある小さな男の子についての話です。その子は五歳で亡くなりました。三歳のときに両足が麻痺して、麻痺がだんだんと身体に広がっていきました。死の数週間前、その子は視力も失い、全身が麻痺していました──かたわらでは母親が涙を流していました。小さな男の子は、「お母ちゃん、泣かないで。僕にはまだ、心があるよ──お母ちゃんのこと、大好きだよ」と言いました。その男の子は驚くほど成熟していたと思うのです。というのも、成熟とは、ないものを欲しがって泣くことではなくて、あるものに感謝することだからです。(『ジャン・バニエに聞く 共に生かされながら』翻訳=浅野幸治) 

「脊髄性筋萎縮症」の子の母も、その子の「弱さ」のなかに「宝物」(バニエが語る5歳の子が与えてくれた無垢の愛)を発見していたに違いない。 

「人工呼吸器なしに生きられない赤ちゃんは安楽死」と決まっていれば、赤ちゃんはお母さんの手に渡らないのだから、殺人の悲劇は避けられる。しかし、安楽死を容認する社会は、言葉で言い表せない〈宝物〉を失っていくのかもしれない。田村先生のメールの続きをご紹介しよう。 

18トリソミーの赤ちゃん

オランダで障がいを持った新生児の安楽死を実行しているEduard Verhagen博士が2006年に来日して「日本では重篤な障がいを持つ18トリソミーの赤ちゃんでさえも救命しようとしていると聴いたので、そいつと公開シンポジ ウムを開きたい」と挑戦状をもらって順天堂か慈恵大学だったかの講堂で討論会をしました。僕達はてっきり18トリソミー等の重篤な神経障がいを有する赤ちゃんを安楽死させているのだと予想したのですが、その時に彼が示したのは先天性天疱瘡という皮膚に激痛を伴う広範な潰瘍を伴う病気の赤ちゃんにKCLという劇薬を注射して死なせている赤ちゃんの写真でした。先天性天疱瘡ならば数年間は激痛が続きますから、その間は鎮痛薬の投与が必要ですが、それを過ぎれば神経的に通常の発達が期待出来るので、日本ではどの様に鎮痛薬の塗り薬を継続して使うかという事が議論の対象になりますが安楽死等は夢にも考えない事例です。 

また僕達も「18トリソミーの赤ちゃんは生き延びても大きな障がいが残るだけだから、診断がついた時点で積極的な延命治療はしないようにする。」というのが常識であったのが、僕自身は長野県立こども病院に赴任した1993年に出遭った赤ちゃんとご両親との交流から積極的な救命行動をとるようになりました。他の多くの新生児科医にとっては、大分県立中央病院の小児科医師が新生児科医の学術集会で発表した幼稚園の運動会でかけっこをしたりお遊戯をしたりしている18トリソミーの女の子のビデオを見てからだと思います。僕もその現場にいましたが、座長をしていた近代新生児学の祖の故仁志田博司先生が、壇上で号泣しながら「僕たちは、こんな可能性を秘めた赤ちゃん達を18トリソミーという理由で分娩室のバケツに投げ捨てていたのか!」と叫んだのを記憶しています。
その発表をきっかけに全国調査をした所、自分で食事をしたり歩いたりしている10歳以上の18トリソミーの子ども達が何人も見つかって、日本では広く救命の対象にするようになったという経緯があります。僕がそうしたビデオやデータを示しても、Verhagen博士は「これは社会資源の無駄遣いだし、子どもの虐待だ!」といって、議論は全くかみ合いませんでした。 

「社会資源の無駄遣い」は、説得力のある言葉だ。話は飛ぶが、人間の臓器も貴重な〈社会資源〉。アメリカでは臓器獲得競争から、まるで怪談みたいな椿事が頻発しているらしい。
2022年、38歳のガイェゴスさんは、昏睡状態でアルバカーキの病院に収容された。診察した医師は、家族に「回復の見込みはない」と伝え、家族は臓器提供に同意した。ところが、臓器を取り出す準備を始めると、ガイェゴスさんの目に涙が浮かんでいる。仰天した家族にむかって、臓器提供コーディネーターは、「目にゴミが入ったときと同じような、生理的反射反応です」と説明した。
いよいよ、ガイェゴスさんが手術室に運び込まれ、医師が生命維持装置を取り外そうとするとき、彼女の両手を握っていた二人の姉妹が、患者の動きを感じた。医師が「目を瞬いて」と声を掛けると、死ぬはずのガイェゴスさんは、医者の指示通りに瞬いた!
それでも、臓器提供コーディネーターは、「たんなる反射反応」と言い張り、モルヒネを注射して動きをとめようと主張。さすがに、病院の医師たちはコーディネーターの要求を拒否して、ガイェゴスさんは病室に戻された。『ニューヨーク・タイムズ』には、すっかり元気になったガイェゴスさんの美しいポートレートが載っている。 

42歳のミスティ・ホーキンズさんは、オートバイ・ラリーが大好きな、元気一杯の女性だった。去年5月、ランチに食べた「ピーナッツバター・アンド・ジェリー・サンドイッチ」が喉につまり、窒息。すぐ救急車で病院に運ばれ、閉塞を取り除いたが、酸素欠乏のため脳が損傷し、人工呼吸器につながれる昏睡状態になってしまった。
医師は母親に、「ミスティさんが回復し、自力で呼吸する可能性はありません。医療施設に移して、介護を続けるか、それとも生命維持装置を取り外すか、72時間以内に決めて下さい」と求め、母親は「娘を苦しめたくありません。彼女の臓器を提供できないでしょうか。悲劇から何か良いものが生まれるように」と答えた。
臓器提供コーディネーターが、移植する相手を選び、臓器を取り出す外科医を派遣する手はずを整える。
病院の医師が、ミスティさんの人工呼吸器をはずし、103分後2時間以内に心臓が止まらないと、臓器を移植に使えなくなるので、ギリギリの時間)に「死」の判定を下す。
派遣されてきた外科医が、臓器を取り出す手術を開始。胸を切開し、胸骨を切断したとき、心臓がしっかりと鼓動するのが見えた! 呼吸もしているではないか! 手術をやめて退室。別の医者が、ミスティさんの切り裂かれた部位を縫い合わせ、12分後にあらためて「死」の判定が下る。
母親が家に戻ると、臓器提供コーディネーターが電話してきて、ミスティさんの臓器は移植に使われなかったことを伝えたが、手術室で何が起こったかには触れなかった。病院も沈黙を守ったまま。1年後に、『ニューヨーク・タイムズ』の記者から、真相を聞かされ、娘が生きたまま麻酔なしに手術されたとすれば、痛みを感じなかっただろうかと、あらためて悲嘆に暮れた。 

信じられないような話だ。死んだはずの患者が生き返ったり、回復したかもしれない患者が殺されたり、コワイことが起こるのはなぜだろう?
アメリカでも、移植のための臓器不足が深刻だ。ウェイティング・リストは10万人を超え、運の良い患者しか臓器移植してもらえない。「脳死」の人を待っていたのではとても、需要に応えられないのだ。
そこで、「脳死」=脳が全く働かず、自発的に呼吸もできず、心臓も動かない「死体」ではなく、脳がいくらかは働く、つまり「生きて」いるけれど、回復の見込みはない患者の心臓を止める「循環死」が許されるようになった。患者の親族が、臓器提供に同意したら、患者の生命維持装置を取り外し、心臓が止まるのを待つ。生命維持装置なしだと、臓器が劣化するので、移植に使うためには、1~2時間以内に、患者が死んでくれないといけない。 

去年の臓器提供数は2万。10年前の3倍に増え、そのうち3分の1は「循環死」の患者からである。アメリカでは、各州に臓器のドナーと病院とをつなぐ非営利組織があって、国と契約を結んで仕事している。この臓器提供コーディネーション組織の勇み足が、怪談めいた事態を引き起こす元凶のようなのだが、彼らが臓器獲得をあせる背後に、何が何でもたくさん臓器を獲得させようとする、政府の圧力があると、『ニューヨーク・タイムズ』は指摘している。この臓器調達組織、どれだけの数の臓器を提供できたかによって格付けされ、来年からは、平均以下の成績の組織は国との契約を更新しないというのだから、無茶な「循環死」が頻発しても不思議はない。 

看護師や医療技術者たちのなかに、あってはならない場面を目撃した、悩ましい記憶を語る人もいる。『ニューヨーク・タイムズ』は55人の医療従事者から、不適切な「循環死」の証言を得たと書いている。
手術助手のブライアニー・ダフさんの話。
臓器摘出される中年の女性が、泣きながら周りをみまわしている。医者は、彼女に鎮静剤を注射し、人工呼吸器を外した。臓器を移植するためには、1~2時間以内に心臓が止まらないといけないが、彼女の心臓は鼓動し続け、数時間後に死んだ。
ダフさんは、「もうしばらく人工呼吸器につないでおいてあげれば、元気になったかも知れない。私も殺人に手を貸したように感じます。」と述懐する。この出来事の後、ダフさんは病院を辞め、しばらくは手術助手の仕事に戻る気持ちになれなかったそうだ。 

複数の関係者の証言によると、2023年マイアミの病院で、首を折って「ドナー」にされた男が泣き始め、呼吸器の管を噛み始めた。「死にたくない」と意思表示しているようにしか見えなかったのに、医者は鎮静剤で「ドナー」の動きを止め、生命維持装置を外し、予定どおり臓器を取り出した。 

これらの証言には、病院の記録など裏づける証拠はないので、「いくらなんでも……」と疑いたくなる。しかし、去年9月、米議会が臓器移植について聴聞会を開いたとき、2021年ケンタッキーで、いままさに臓器を取り出すというとき、目を覚ました男についての証言があり、議員を仰天させたというのだから、『ニューヨーク・タイムズ』の仰天証言も、医療従事者の誤解とばかりは言えないだろう。 

……生命維持装置が患者への拷問に過ぎない場合もあるし、点数稼ぎのために、まだ生きられる人の生命維持装置を外す場合もある。限りなく高度化した医療は、私たち素人の理解を超える「秘儀」の世界になってしまった。おまけに高度化し、莫大な費用のかかる医療は、資本主義的貪欲の誘惑に弱い。
シュヴァイツァー博士の「生命への畏敬」という言葉が、なつかしく思い出される。 

(2025/8/15