ベトナム便り|美術鑑賞記 in シンガポール|加納遥香
美術鑑賞記 in シンガポール
Text & Photos by 加納遥香(Haruka Kanoh)
7月中旬、夏季休暇を利用してシンガポールに行ってきた。お目当ては、2025年4月2日から8月17日にかけてナショナル・ギャラリー・シンガポールで開催されている展覧会「City of Others: Asian Artists in Paris 1920s-1940s」だ。日本にいたら気軽に行けるものではないが、せっかくベトナムにいるので、「ふらっと」飛行機で3時間ちょっとの旅に出てみた。シンガポール建国60周年を前にして、美術館前の広場では記念イベントの準備が着々と進んでいた。
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この企画展のパンフレットの表紙を飾っていたのは、藤田嗣治の「猫のいる自画像」(1926)。パンフレットを開くと、展覧会の趣旨について次のように書かれている。
「他者の都市:1920~40年代のパリのアジア人作家たち」は、アジアの視座からパリの芸術史を検証する画期的な展覧会である。この展覧会は、藤田嗣治、ジョーゼット・チェン、レ・フォー、劉抗、ペ・ウンソン、板倉鼎、浜中勝といったアジアのアーティストの作品に焦点を当て、ダイナミックな時代におけるパリのアジア人アーティストの経験を比較する。これらのアーティストたちは異なる文化から来た人々(文化的「他者」)と出会い、彼ら自身もアウトサイダー(「他者」)として見られており、このことが美学と思想の躍動的交流につながったのである。(展覧会パンフレット、筆者仮訳)

本展覧会では、日本、中国、そしてフランスの植民地だったベトナム出身のアーティストが主に取り上げられていたが、以下ではベトナムを中心に、印象に残ったことを綴りたい。私は美術に関する知識がなく、素人の感想となってしまうのだが、植民地時代のベトナムにおける美術の形成について論じた大著『ベトナム近代美術史:フランス支配下の半世紀』(二村淳子著、原書房、2021年)を読んで学んだことも、適宜参照したいと思う。
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まず印象深かったのは、セクション1「Workshop to the World」で展示されていた漆画である。私は、アジアのアーティストがパリに行くというのは、西洋のアートを学び、吸収し、創作することを意味すると思い込んでいたのだが、実際には、パリで漆画を研究し創作するアジアのアーティストたちがいた。日本人では菅原精造や浜中勝がおり、ボランティアの方の説明によれば、浜中はパリで菅原から漆画を学んだという。最初は、本場といえる日本ではなくてわざわざパリで?と思ってしまったが、作品を見ていると、パリで作られる漆画は、日本で制作するのとは異なる表現を生みだしたのだろうと思われてきた。
もう一つ興味深かったのは、フランスの漆芸家ジャン・デュナンの存在だ。作品キャプションの説明によれば、デュナンは1912年に菅原から漆芸を学び、1920年代にはフランスのアトリエにベトナム人の漆工を抱え、多くの作品を作った。また、二村によれば、ベトナム漆画については、1925年に設立されたインドシナ美術学校の教師や学生たちによって創出されたという誕生物語が通説となっているが、実際にはそれ以前からベトナム、そしてフランスや日本でも研究や試みがあり、デュナンはその一人といえるという(二村 2021: 375-376)。
展示されていたのは、1930年に制作された屏風式の漆画「La Forêt(森)」。ここでの植物の表現は、ベトナム人画家レ・フォー(Lê Phổ: 1907-2001)の同年の漆画作品「Paysage tonkinois(トンキンの風景)」での表現と類似しているように見える。デュナンの漆画はエキゾチックさを求めるアールデコの潮流と軌を一にするものであろうが、パリという場所での人と人の交流が生みだした表現であることに、なんだかときめきも覚える。
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一方で、当然のことながらベトナムはフランスの植民地であった。その文脈を前面に押し出したのが、セクション2「Theatre of the Colonies」である。1931年にパリで開催されたインドシナ植民地博覧会は現地の画家がパリで認知されるようになるきっかけを与えたイベントであり(二村 2021: 41)、今回の展覧会では、1930年代パリで注目された絹絵の代表的画家グエン・ファン・チャン(Nguyễn Phan Chánh: 1892-1984)や前出のレ・フォーの油絵、他にもトー・ゴック・ヴァン(Tô Ngọc Vân: 1906-1954)の絹画、ヴー・カオ・ダン(Vũ Cao Đàm: 1908-2000)の彫刻などの作品が展示されていた。
さらにこのセクションでは、博覧会に対する抗議を紹介する展示もあった。そこではベトナムの建国の父とされるホー・チ・ミンが描いた反植民地主義を表現するイラストや、ホー・チ・ミンも設立の一メンバーであったフランス共産党の出版物などを紹介している。これらは、フランス本国が主催する植民地博覧会に対する被支配者側の視角を捉えるもので、植民地支配という文脈を等閑視しまいという姿勢が垣間見える展示であった。

Nguyễn Ái Quốc (pseud. Hồ Chí Minh), published in Le Paria, 1922, reproduced 2025
左:Cartoon titled “Exposition Coloniale”
右上:Cartoon titled “Civilisation supérieure”
右下:Cartoon of a Rickshaw Puller
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続いて、パリに移住して活動したベトナム人画家たちの作品を取り上げたい。先に触れたように、ベトナムでは1925年にインドシナ美術学校が設立されており、上述の画家たちは皆、ここの卒業生であった。中には、「絵画のためのマーケットがなく、画廊も存在せず、それ以前に『美術(mỹ thuật)』の概念が広く一般に定着していなかった」当時のベトナムを離れ、フランスに移住した画家たちがいた(二村 2021: 224)。彼らは「パリ仏越派」と呼ばれていて、今回の展覧会で数多く取りあげられているレ・フォー、ヴー・カオ・ダン、そしてマイ・チュン・トゥ(Mai Trung Thư: 1906-1980)は、このグループのメンバーである。
彼らの作品について多数紹介されていたのが、絹画である。二村の研究によれば、レ・フォー、ヴー・カオ・ダン、そしてマイ・チュン・トゥはいずれも、ハノイ時代から絹画を描いていたわけではなく、フランスに渡ったことで「国画のメディア」として絹画を選択したのだという(二村 2021: 321)。
いずれも素材ゆえの柔らかい質感、それと調和するかのような曲線を持ち合わせており、心にすっと染み入る優しい作品であった。音楽を題材とした作品もあった(マイ・チュン・トゥは音楽を愛好しており、自らダンバウというベトナムの一絃琴を嗜んでいたという)。一方、優しいながらもこんな作品もあるのか、と私が意外性を感じたのは、男性の役人を描いたヴー・カオ・ダン作「Le Mandarin(官吏)」だ。また、別のセクションで展示されていた同じくヴー・カオ・ダンによる「Trois baigneuses(3人の入浴者)」は、乳白色の肌と繊細な髪質が美しく、北部ベトナムの3姉妹を描くトラン・アン・ユン監督の映画「夏至」や封建時代の3人の夫人を描くアッシュ・メイフェア監督の映画「第三夫人の髪飾り」を想起させた。
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最後のセクション6「Aftermaths」では、映像も扱われていた。その1つが「ホー・チ・ミンとベトナム政府代表団の訪仏」(1946)というドキュメンタリー映像である。1945年9月2日の独立宣言後、ベトナムがフランスに再占領される中、ホー・チ・ミンは交渉のために1946年に訪仏した。そこでホー・チ・ミンはフランスに移住したアーティストにも会っており、その際にマイ・チュン・トゥが撮影、制作した映像が今回の展覧会で紹介されていた。先に紹介した反植民地運動の展示とこの映像の存在により、植民地支配から独立を果たすベトナムの政治史が展示全体の構成の中で浮かびあがっていたのが興味深かった。
また、本展覧会全体を振りかえってみると、仏領インドシナのなかで取りあげられていた画家が、私の見た限りではベトナムだけで、ラオスやカンボジアは表象される対象としては取り上げられていたが、表象する主体としては登場しなかった。一つにはキュレーション上の話があるかもしれないが、やはり大きな理由は、そもそも画家、アーティストが輩出される環境が作られたのが、ラオスでもカンボジアでもなくベトナムであったということ、その背景には、インドシナのなかでベトナムを統治や文明化の中心に据えるという植民地支配の構造があったことであると言えるだろう。
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最後にもう一つ。序盤で述べたとおり、この展覧会の目玉の一つは藤田嗣治の自画像であったが、今回のシンガポールの旅では、思わぬところで藤田の別の作品に出会った。それは、シンガポールの中心地から西に10キロ程のところにある、旧フォード工場においてである。戦時中に日本軍の拠点となっていたこの建物は、1980年に工場が閉鎖され、2006年から第二次世界大戦期の日本軍の占領に関するミュージアムとなっている。私が平日の午前中に訪れたときには、教員らしき大人に引率された大学生くらいの若者の集団や小学生くらいの子どもの集団が訪問していた。
展示を順番に見ていると、シンガポールの風景を描いた水彩画が目に留まった。よく見るとそれは、藤田の絵である。これは日本軍から委嘱を受けた画家たちが描いた「戦争作戦記録画」で、2006年、日本軍のプロパガンダ部門に所属していたSakurai Takaという人物がシンガポール国立アーカイブに寄贈したものであった。日本軍の占領に関するミュージアムに展示された原画とポストカードは、小さく控えめながらも、戦争と芸術の関係を強く問いかける展示であった。
ここ数年、私はベトナム以外の東南アジアを数か国訪れたが、昨年訪れたシンガポールの空港近くのチャンギ博物館、一昨年訪れたタイのカンチャナブリにある「死の鉄道」ミュージアムをはじめ、博物館での日本軍の占領に関する展示は、日本の学校教育では教えられない日本像を教えてくれた。私が知らない日本の顔はまだ無数にある。今を生きる私たちには、それを知る権利があるし、知って省みる責任があるのだと、戦後80年の夏に改めて思うところである。
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ナショナル・ギャラリー・シンガポールは、シンガポールを含む東南アジアの現代アートの膨大なコレクションを有しており、今回の訪問では、東南アジアの中心地としての自負を感じさせられた。とはいえ日本には、福岡アジア美術館(あじび)がある。今回の企画展にはあじびも協力していたが、このあじびで、ベトナム戦争終結50周年を記念して、2025年9月13日から11月9日まで「ベトナム:記憶の風景」展が開催されるとのことだ。ベトナムをテーマとした展覧会はめったにないので、「ふらっと」とはいかない距離だが、帰国の機会が見つけられたら是非行きたいと思っている。
(2025/8/15)
*このエッセイは個人の見解に基づくものであり、所属機関とは関係ありません。
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加納遥香(Haruka Kanoh)
2021年に一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士後期課程を修了し、博士(社会学)を取得。現在、同研究科特別研究員。専門はベトナム地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。修士課程、博士後期課程在籍時にハノイに留学し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。著書に『社会主義ベトナムのオペラ:国家をかたちづくる文化装置』(彩流社、2024年)。現在、専門調査員として在ベトナム日本国大使館に勤務している。














