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テリー・ライリー バシェ音響彫刻コンサート|齋藤俊夫

テリー・ライリー バシェ音響彫刻コンサート

2025年6月15日 京都市立芸術大学堀場信吉記念ホール
2025/6/15 Kyoto City University of Arts HORIBA Shinkichi Memorial Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 三浦麻旅子(Mariko Miura)

<曲目・演奏>
即興(演奏:テリー・ライリー、SARA)

『NIJINOWA』
1. Rainbow with Dark Clouds (コーラス→バシェ音響彫刻)
2. Chasing Midnight(コーラス→バシェ音響彫刻)
3. Wonderful Magic Mantra(コーラス→バシェ音響彫刻)
【編成】
歌ソロ/テリー・ライリー
歌コーラス/京芸生、京芸卒業生、京都大学生、京都教育大学生、大阪大学生、大学教員、一般社会人など50名
バシェ音響彫刻(渡辺フォーン、FUYUNOHANA)/岡田加津子、SARA

 

テリー・ライリー、言わずと知れたミニマル始祖4人衆(ライヒ、ライリー、グラス、ヤング)の一角にして現役の作曲家・(即興)演奏家。まさに現代音楽界の生ける伝説であるが、筆者は彼についてアンビヴァレントな感覚を禁じ得ないでいる。最初期(60年代)の『曲がった空にかかる虹』『ポピー・ノー・グッド』そして『in C』の人知を超えた実験精神に対して、ある年代を越えた頃からの復古主義というか、彼自身、自分の何が優れていて、自分が何を求めているのかがわかっていないのではないかとすら感じられる実験精神の忘却が筆者の拒絶感をたまらなく喚起する。過去、数回彼の生の即興演奏や生配信の即興演奏に接したことがあるが、ものすごくたまらなくこちらの実験精神を掻き立てる箇所と、ものすごくたまらなく「やめてくれお願いだ」と祈ってしまうような箇所が混ぜ合わされており、生ける伝説としてどう扱ったら良いのか手を出しあぐねてしまう存在、それが筆者にとってのテリー・ライリーである。

今回の演奏会前半のライリー(キーボード(シンセサイザー?)2台)とSARA(キーボード(シンセサイザー?)1台)による即興演奏、全4部構成だったように筆者のメモ帳にはあるが正しくはわからない。その第1部が始まっての「レトロ・フューチャー感」がSF愛好家たる筆者のツボに刺さる。約60年前に人類が見ていた未来の世界に満ちていた音の群れ。その原初の海的安らかさと刺激に酔う。
しかしである。第2部に入って(細かいジャンルは不確かだが)フュージョン的音楽が始まってしまうと筆者にとっては「やめてくれお願いだ」状態になってしまう。せっかくの現代音楽演奏会での即興演奏でこんなものを聴かせないでくれ、と。寿司屋に入ったら「今日は良い肉が入りまして」と〈焼肉〉を出されるような気分。もちろん60年代的楽想やミニマル的反復楽想も入り交じるのだが、ライリーの「もてなし」は筆者には辛い。第3部ではさらにモダンジャズというさらに〈焼肉〉的な音楽を奏でられてしまい頭を抱えるばかり。
しかししかし、第4部でライリーとSARAがミニマル的反復楽想に徹してそこから音楽を展開すると「俺のライリーが帰ってきた!」と感極まってしまうのだから筆者も安いものである。まだ〈焼肉〉も交じることはあったものの、1時間前後の長きにわたる(89歳による!)即興演奏の終わりには2人の奏者によるミニマル的反復音楽が会場を満たし、筆者も歓喜と幸福の中拍手を贈ることができた。

ライリーの音楽の実験精神と保守主義の混雑、それは彼の音楽思想、いや、彼の観る世界全体を包む神秘主義的博愛主義にあると筆者は見ている。全ての音楽が博愛の名のもとに「是」とされることにより、実験的な音楽も先述の〈焼肉〉と等しい存在として現れてくる。それは果たして良いことなのだろうか。真に博愛と呼ぶことのできる〈主義〉なのだろうか。そこに〈自我〉は存在するのだろうか。いや、〈自我〉を遍く無限(無量)に広げるのがライリーの信奉するインド哲学なのだろうか。筆者にはよくわからない問いだ。

そして休憩を挟んでライリーのバシェ音響彫刻を使った合唱新作品『NIJINOWA』が始まる。

渡辺フォーン(終演後齋藤撮影)

ここで「音響彫刻」について少し解説をしておこう。
バシェ音響彫刻とはフランソワ・バシェとベルナール・バシェ兄弟によって作られた、彫刻であると同時に楽器としても機能するオブジェのこと。1970年の大阪万博に際して全17個(それぞれ「渡辺フォーン」「川上フォーン」「桂フォーン」「勝原フォーン」など制作に関わった人物の名前がつけられていた)が作られたが、万博後は倉庫で部材のように保管(?)されていた。それを復元したキーマンがスペインバルセロナ大学でフランソワ・バシェの最晩年を共にしたマルティー氏。今回の即興演奏ではその復元した「渡辺フォーン」が使われた。

FUYUNOHANAとマルティー氏(終演後齋藤撮影)

また、バシェ没後に作られた音響彫刻を「アプレバシェ」と総称し、そのうちマルティー氏によって作られた「FUYUNOHANA」も今回即興演奏で用いられた。

第1部「Rainbow with Dark Clouds」、ライリーが「Ah-」と歌うのに合わせて合唱隊が漸増しつつ自然倍音(と思われる)で「Ah-」と歌い始める。やがてヴォカリーズは母音を多様化させつつまさに空にかかる虹のごとき光を放つ。合唱隊が退くとバシェ音響彫刻の岡田加津子、SARAによる即興演奏が奏でられる。金属と水と人間が交わることによる今まで宇宙のどこにも存在しなかった音響! 暗黒の宇宙から迸る光の条のような輝き!
第2部「Chasing Midnight」、ライリーがおそらくインドのラーガであろう歌を歌い(この枯れた声がまた良い)、それにコール&レスポンスで合唱隊が従う。合唱隊は手作りシェーカー(飲み物の容器に砂か何かを詰めたもの)で変拍子を作り出し、さらに合唱隊がドローンとラーガに分かれて絡み合うその光量たるや! 合唱隊がまた退いての音響彫刻の即興では超巨大なゴングを叩きつけるような音……いや、ゴングではこの音は出せまい。もっと何か違うもの……バシェ音響彫刻でしか出せない音が宇宙的スケールで踊り狂う!
第3部「Wonderful Magic Mantra」、シェーカーと共に複雑な変拍子で”Wonderful Wonderful Wonderful We are We are We are” ,”Wonderful We are” と合唱隊が我ら全てを肯定する力強い歌声を上げる! これがライリーの博愛主義か!? なんと気宇壮大で、なんと温かく、なんと優しいものであることか! 「我々は皆全てが素晴らしい」と歌うことが現在の全人類の破局的状況にあってどれだけ果敢なことであることか。絶対に絶望に陥らず”Wonderful We are” と歌い続ける、その意思の大きさよ。
最後はバシェ音響彫刻の巨大な歓喜の音響で締められた。

プログラムが全て終わってもなおも収まらぬ興奮の中、合唱隊が”Wonderful We are”と歌いだし、ライリーも照れくさそうに少しだけ袖から顔を出して投げキッスをしてさようなら。ありがとう、ありがとう、テリー・ライリー。あなたの博愛の世界に触れられて幸せだった。

(2025/7/15)