キリシタンの見たローマ:修道士たちの残した16~17世紀イタリア音楽|大河内文恵
キリシタンの見たローマ:修道士たちの残した16~17世紀イタリア音楽
2025年5月17日 日本ホーリネス教団東京中央教会
2025/5/17 Tokyo Center Church
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 阿部丹吾
<出演>
小野綾子 ソプラノ
上村誠一 カウンターテノール
大野彰展 テノール
鈴木集 バス
平尾雅子 田中孝子 加藤久志 和田達也 ヴィオラ・ダ・ガンバ
上野訓子 コルネット
小野和将 サックバット
上羽剛史 オルガン
菅沼起一 プログラム構成、リコーダー
<プログラム>
ペトロ岐部カスイ(1587-1639)が、その人生で出会ったかもしれない西洋音楽
導入
ジョスカン・デ・プレ/ティールマン・スザート:パヴァーヌ(千々の悲しみ)
グレゴリオ聖歌:おお、栄ある聖母よ(おらしょ)
1600年~1606年:有馬のセミナリヨでの音楽教育
ベネーガ・デ・エネストローザ:讃美歌第20番(おお、栄ある聖母よ)
天正遣欧少年使節団の遺産
アンドレア・ガブリエーリ:キリエ-クリステ
1616年春:マカオにて、参列した復活祭の行列
京都無名者編:聖週間/復活祭の行列
1618年4月2日:エルサレムにて
グレゴリオ聖歌:鹿が谷川の水を求めるように(『サカラメンタ提要』)
1620年春:ローマに入る
ロドヴィーゴ・ヴィアダーナ:シンフォニア「ラ・ロマーナ」
フランチェスコ・ソリアーノ:キリエ(パレストリーナ〈教皇マルチェルスのミサ曲〉による)
~~休憩~~
ローマでの滞在
ジローラモ・フレスコバルディ:反行形の係留を持つ半音階的カプリッチョ
作者不詳:御母の花婿のように(『カルロ・G写本』)
フレスコバルディ:第五声部を弾かずに歌うことが課されたカプリッチョ
1621年1月28日:教皇パウルス5世の帰天
フランチェスコ・ソリアーノ:我を解き放ちたまえ
1622年3月12日:イグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルの列聖(殉教の国、日本)
ジョヴァンニ・シローラモ・カプスペルガー:音楽劇〈イグナティウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルの神化あるいは列聖〉より、第三幕
1622年6月6日:日本へ
ドゥアルテ・ロボ:永遠の光が(〈死者のためのミサ曲〉より)
ロボ:我は天の声を聞きぬ
1639年7月4日:殉教――2008年6月1日:列福
グレゴリオ聖歌:主を讃美せよ(おらしょ)
クリストバル・デ・モラーレス:思い出したもうな(〈死者のための聖務日課〉より)
天正遣欧少年使節団を切り口に南蛮音楽を演奏するコンサートは、これまでにも聞いたことがあったが、初めて味わう感慨が生まれたことに自分自身で驚いた。
イル・マドリガローネは2023年に立ち上げられた若い団体である。2024年1月に小野・大野・上羽の三人で「ディミニューションの祭典」というコンサートを東京・宮城でおこなった。今回は演奏者の人数が4倍となり、事前にはワークショップをおこない、コンサートの前にその成果発表がおこなわれた。
成果発表に先立つプレトークでは、ペトロ岐部の生涯が紹介された。ペトロ岐部は長崎の神学校で学び、1616年にマカオでの記録を皮切りに、インドに渡り、エルサレムを訪問している。そこから最終目的地であるローマに向かう。同地滞在中に司祭となり、さらなる勉学を積む。足掛け3年の滞在の後、16年ぶりに祖国に戻った岐部を待っていたのは、キリスト教が厳しく取り締まられるようになった日本であった。潜伏しながら活動を続けるも捕縛され、拷問ののち殉教した。
今年4月21日に帰天したフランシスコ教皇の先代であるベネディクト16世は、2008年にペトロ岐部を含む187名の殉教者の列福を認め、長崎において列福式がおこなわれた。本コンサートは、彼の人生を各地に残された資料から跡付け、その地に当時流れていたであろう(=岐部が聴いたであろう)作品をつないでいくものであった。
プレトークの後半は、平尾を交えてのインタビュー形式でおこなわれた。2008年にジョルジュ・サヴァールによるCD「東方への道」がリリースされ、平尾はその演奏メンバーに入っていた。本公演はこのCDにもインスパイアされており、図らずも平尾が語った「日本人がなぜ西洋音楽をやるのか?」という問いへの一つのアンサーにもなっている。
コンサートの前半はペトロ岐部がローマに入るまで、後半はローマ滞在から列福までを音楽でたどる。《千々の悲しみ》から始まり、よくあるパターンかと思いきや、何か違う。伴奏なしの4人だけの歌からフル楽器の伴奏まで、さまざまな編成で演奏される曲は、グレゴリオ聖歌、ミサ曲の一部、宗教曲、世俗曲とこれまた多種多様だが、雑多な感じはせず、どこか一本筋が通っているように感じた。若手精鋭たちの演奏の持つ説得力ゆえであろう。
前半で特に印象に残ったのは、5曲目の京都無名者(という名の某出演者)による行列の音楽。オルガンの長く延ばした音にサックバットとコルネットが絡み、鈴の音色も加わってアジアの民族色豊かな風景が広がる。そして、前半最後はあの《教皇マルチェルスのミサ曲》のソリアーノによる編曲版。元は6声だった曲を8声に拡大したこの編曲は、単に2の声部が増えたというだけではない。透明感が身上のパレストリーナ版に比べて、人間味を感じさせる豊かさ、いい意味での雑味が加わることで深い味わいが出ている。教科書の文字でさらりと知る曲を、当時の人たちが「いやいや、そんなんじゃないよ」と教えに来てくれたとでも言おうか。
後半最初のフレスコバルディのカプリッチョはガンバ4本によるアンサンブルだが、音のぶつかりかたが激しく、ドキドキしながら聴いた。13番目に演奏されたのは、音楽劇の一部。カプスペルガーはリュート音楽のイメージが強く、彼の作品に音楽劇があることを初めて知った。フランスと日本が寓意的に表現された部分の抜粋だったが、いつか全曲を生で聴いてみたい(録音は存在する)。
ここまで敢えて触れなかったが、このコンサートのコンセプトである、ペトロ岐部の生涯を追いかけるということの意味が、前半の途中からじわじわと感じられていた。音楽に身を浸すことによって、その当時の空気を吸っているような気持ちになっていくのだ。それゆえ、彼が日本に帰ってからの音楽を聴いていると、映画「沈黙」のシーンが脳裏によみがえってきてなんとも苦しくなる。彼の殉教をかたどった、《主を讃美せよ》(この曲は殉教の際に信者によって歌われた記録がある)の後の長い長い沈黙、そしてその後のモラーレスの《思い出したもうな》は胸に迫るものがあり、気がついたら目から涙が溢れていた。悲しいとかかわいそうだとか、そうした言葉であらわすことのできる感情を超越した感情が揺り動かされた。今ここで一人の人生を体験したのだとその時気づいた。重いけれど心に残るいい映画を見た後のような心持ちで帰途に就いた。
(2025/6/15)