CIRCUITは架橋する ~丁仁愛を迎えて~|齋藤俊夫
2025年5月20日 トーキョーコンサーツ・ラボ
2025/5/20 Tokyo Concerts Labo
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 石塚潤一/写真提供:石塚潤一
<演奏>
fl:丁仁愛(ちょん いんえー)、cl:岩瀬龍太、gt:山田岳、pf:川村恵里佳
主催:CIRCUIT
<曲目>
エルンスト・フリオ・ナザレー:『3つのタンゴ』(1913-1916)
fl、cl、gt
鈴木治行:『Souvenir』(1996)
gt、pf
フランコ・ドナトーニ:『Het』(1990)
fl、cl、pf
エイトール・ヴィラ=ロボス:『花の分布』(1937)
fl、gt
エイトール・ヴィラ=ロボス:『ショーロス 第1番』(1920)
gt
エイトール・ヴィラ=ロボス:『ショーロス 第2番』(1924)
fl、cl
松平頼則:『フルートとクラリネットのためのソナチネ』(1940)
fl、cl
ジョルジオ・コロンボ・タッカーニ:『アンティリア』(2011)
fl、gt
エサ=ペッカ・サロネン:『Nachtlieder』(1978)
cl、pf
鈴木治行:『Fracture』(2025) *世界初演
fl、cl、gt、pf
(アンコール)
アントニオ・カルロス・ジョビン、ニュートン・メンドンサ『メディテーション』
fl、cl、gt、pf
ナザレー『3つのタンゴ』、タン・タタタのリズムで愛さずにはいられない愛らしさで踊る「Atrevido(大胆な)」、明るいが少し切ない少年期の回想のような「Garôto(少年)」、憂いを帯びた表情と笑顔が交互に現れる「Carioca(リオ・デ・ジャネイロっ子)」の3曲がさあこれから楽しい時間の始まりだよ、と告げてくれる。
が、楽しい時間が始まる、と思ったら次の鈴木治行『Souvenir』は「気持ち悪くて楽しい」という異形の音楽。なんとなくジワジワと風景が変わっていくなあ、特に面白くも怖くもないなあ、と思っていたら、初めのころにはなかったピアノとギターのトリルが増えてきて、微分音によるズレも拡大して、実に気持ち悪い空間に引っ張られてきてしまっていたことに気づいた。怖さを感じさせないままに怖い空間に放り込むのが本当の怖さ。そしていつの間にか這い寄ってきた死に至る。
ドナトーニ『Het』、結晶的輝きと狂気のアマルガムを軽やかなアンサンブルで表現する、これもまたある種怖い作品。トリオ、デュオ、ソロが連結されるのだが、そこに一点の構造的迷いがなく全てが計算され尽くしている。それにしてもよくこの難曲をアンサンブルできたものだ! 聴いているうちに楽器がこちらに聴いたことのない、親しみと同時に不安も掻き立てる言語で語りかけてきているような気分になった。
ヴィラ=ロボス『花の分布』、夢心地の花の曲。前半に怖い曲を聴いた後で、ギターとフルートとはこんなに綺麗なかつ気持ち良い音が出せたのかと思う。
『ショーロス第1番』、南国ブラジルのセンチメンタリズムを山田岳がヴィブラートもキマりきって自由自在にソロで奏でる。
『ショーロス第2番』、フルートとクラリネットが少なからずこんがらがった感情を表出する。しかしそこはヴィラ=ロボス、それらが合わさっての美しい南国の豊かな色彩の情景を映し出す。3曲を締めるのにふさわしい。
松平頼則『フルートとクラリネットのためのソナチネ』、第1楽章を聴いたときは動揺を隠しきれなかった。日本的……かなあ? 何と言うか、ソナチネだなあ、としか思えず。松平頼則とはこんな作家だったか?の疑問がよぎる。
第2楽章は日本風とは感じられたが、自己の内面と音楽の素材が乖離しているようなよそよそしさもまた聴き取れた。フルートに尺八的奏法が影響していると石塚潤一氏のプログラムノートにはあったが、筆者にはあまりそれは感じられず、むしろチャルメラのように感じられたクラリネットの音に心が動かされた。
第3楽章、これは俄然面白かった。不思議な、松平的としか呼べないような端正に構築されたフーガ。日本的でもある。音楽を何らかのシステムに従って書くと松平は自己表現を全うできるのだな。1940年にこんな面白い作品を書いていたとは!
タッカーニ『アンティリア』、プレストと思ったらレントに、レントと思ったらプレストに、と目まぐるしく音風景が転変する。鈴木的な不気味さよりもドナトーニ的な直截的狂気を感じる。それにしてもピッコロとギターがよくこんな音楽で合わせられるものよ。つんざくような音で了。
サロネン『Nachtlieder(夜の歌)』、石塚氏のプログラムノートの通り、危うい精神を切り詰めた表現で表出する、これは確かにベルクだ。ピアノもクラリネットも危ういがゆえに美しい。時に激情(ベルク的だ…)を迸らせ、最後は2人で上行しつつ昂ぶって、そこからデクレッシェンドで消えて、了。
鈴木治行『Fracture』、これは完全に壊れた世界の音楽だ。いや、音楽と呼べるのかどうかすら危うい。フルート、クラリネットが微分音的にズレた音を奏で、ギターは金属棒(らしきもの)で弦を擦り、ピアノは淡々と音を並べ、各自で「森の、奥の」「小鳥は、囀り」「次第に、溶け合っていく」と何故か発声される。……いや、これだけではない。とにかく大量の断片が秩序を持っているのかランダムなのか判明しないで突然「音楽的」な断片も挿入されるが、それも一瞬で、すぐに「非音楽的」な断片に取って代わられる。もうやめてくれと思いつつも聴かざるを得ず、ピアノが鍵盤ではなくボディを叩き始めて、岩瀬が目覚まし時計を鳴らす。この目覚ましで終わりかと思ったらギターが響かない音を爪弾き、他3人がフワフワとしたエピローグ的な音を奏でて消えていき、やっと了。どういう頭と音感、論理と感性を持っていればこんな音楽が書けるのだろうか?
アンコールはブラジルの爽やかに強い陽光を感じさせる「音楽らしい」音楽を4人で楽しく。実に粋だ。
鈴木治行のような異形の現代前衛音楽とヴィラ=ロボスらの現代新古典主義音楽といった、様々な音楽の架橋、実にワクワク感あふれる体験であった。CIRCUITの活動にこれからも期待し注目していきたい。
(2025/6/15)



