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特別寄稿|「河村尚子が贈る音楽の旅Vol.2 Nos Dames―我らの女性」を聴いて|丘山万里子

「河村尚子が贈る音楽の旅Vol.2 Nos Dames―我らの女性」を聴いて

Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 藤本史昭/写真提供: 王子ホール

王子ホールでの《河村尚子が贈る音楽の旅》シリーズvol.2は「Nos Dames ー我らの女性」と題し、女性作曲家3人の室内楽作品を並べる(4/25)。プログラムは以下。
レベッカ・クラーク:ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重奏曲(1921)、ヴィオラ・ソナタ (1919)
クララ・シューマン:3つのロマンス Op.22 (ヴァイオリンとピアノ)(1853)
アマンダ・レントヘン=マイエル:ピアノ四重奏曲 ホ短調(1891)
(アンコール)
ナディア・ブーランジェ:3つの小品から第1曲目(チェロとピアノ)
レベッカ・クラーク:ヴィオラとチェロのための小品
リリー・ブーランジェ:小品(ヴァイオリンとピアノ)
演奏は河村を軸に若手俊英、岡本誠司vn、伊藤悠貴vc と実力派赤坂智子va。

レベッカ・クラーク(1886-1979)の『三重奏曲』冒頭、いきなりの殴打に凍りく。ピアノ、ユニゾンでの凄まじい連打音、そこから投げ落とされる音の鉄片はあたかも自爆テロに似る。自壊と他壊の轟音が、無数の破片を瞬時に噴き上げ、と、その閃光から優しいアルペッジョの雫が落下、それをすくいとるようにチェロが歌い出す。ヴァイオリンがそこにまとわりつく。時に悲鳴のように。やがてピアノの単音連打が、今度は弔鐘のように鳴らされ、わずかな静穏。だが同じ連打音形でも、ちょうど能面が所作次第で鬼にも仏にもなる、そういう類の書法だから、浮沈の激しい流れに翻弄される感じ。と思えば、ヴァイオリン、チェロのどこか牧歌的な旋律の歌い交わし。伊藤のチェロが深く切ない...いったい、これはなんなんだ。循環する圧迫音形の波、合間を埋めるアルペッジョ、剥き出しの神経を震わせるかの弦のトレモロ。心身を強張らせたまま、第1楽章弱奏終尾、息を詰めてのピアノとチェロのピチカートを聴く。
筆者はこの作曲家の作品を音楽評論家谷戸基岩・音楽学者小林緑氏主催「知られざる作品を広める会」の女性作曲家のコンサート第1回(2002)、第6回マラソンコンサート(2007)で聴き、レポートも書いている(資料も原稿も手元から消失で確認できず)。だが、全く印象に残っていない。かつて私は何を聴いたのか?
第2楽章はヴァイオリン、チェロが、うねうねと歌う。旋法的でどこかケルト音楽を思わせ、これを三者で歌い回してゆく。印象的なのは弦が重音でバグパイプのように響く中、ピアノの高音が透明な光点を高空に打ちほろほろとこぼれてゆくさま、あるいは鄙びた色合いで歌うさま。河村のピアニズム、繊細の極み。
一転、ロンド・フィナーレは平原を駆ける駿馬、溌剌たるギャロップだ。馬上には野生の女。髪たなびかせ、振り乱し、走る、踊る、叫ぶ。ちょっとアラブ風ですらある。まるで膨らみすぎた鬱屈を、わあっと解き放つみたい。
弱音器使用の中間楽章にこそ幾らかの静寂があったものの、弦二人のボウイングのほとんど宙をなで斬りするような圧力と切先には、都度、胸ぐらを喉元を突き上げられる。たゆたうピアノが突如、天を裂く雷鳴にもなり、しめやかな雨だれにもなる。筆者には怪奇小説を読むような、その映像がありありと浮かぶような、尋常ならざる聴取だった。
万雷の拍手。ぶらあぼ、の声。確かに。
筆者だって、思い切り手を叩いた。
だがこの戦慄を、ただの喝采で終えられようか。

次曲 『ヴィオラ・ソナタ』の準備の間、河村が短いMCをした。
作曲家の簡単な紹介、イギリス生まれだが父は米、母は独、彼女の音楽もロシア、スコティッシュなど様々な要素が入り混じっていること。そして一言、暴力的、なところがありますよね、お父さんから暴力を振るわれていたんですね、と漏らす。

以下、ソナタ演奏開始直前に改めてサッと目を通したプログラム解説(青澤隆明)と、帰宅後手元にあった『女性作曲家ガイドブック2016—古典派から近代の26人』(小林緑編著)記載文から。
クラークはチェロを弾く父親の影響で当初ヴァイオリンを習い王立音楽アカデミーに入学するが、教師に言い寄られ父の命で退学、王立音楽カレッジで厳格な名教師に師事しヴィオラに転向、父に勘当(1910)されてからはヴィオラ奏者として身を立て、1912年オーケストラの初女性団員となった。女性のみの弦楽四重奏団でも活躍、歌曲、室内楽曲などの創作に励み、米国に演奏旅行もしている。『ヴィオラ・ソナタ』は米国の作曲コンクールでブロッホと同数最高票を獲得したが、主催者エリザベス・クーリッジの判断で2位に甘んじた。ちなみに、このソナタ以前に書いた2作のうち1つを彼女は男性偽名を用いて演奏、本名のものより高い評価を受けたという。

河村の言葉に、筆者の脳裏には、遠い記憶の断片が浮かんでいた。
音大生になりピアノを教えるバイトを始めた時、学生課の紹介で我が家を訪れた母子3人のこと。娘は小学2年生、3歳ほどの幼い男児を抱いて、母は言うのだった。
この娘には手に職をつけさせたい。髪を掴まれ引きずり倒され引きまわされるような思いをさせたくない、と。筆者には信じられない光景であり、言葉であった。
ピアノを、しかも私立音大経由で個人宅に習いに来るような子は、大抵、それなりの家庭であったから。男の怒声も聞くことなく育った筆者が、肉体に受ける暴力というものの存在を、身近に知ったのはこの時だ。

『ヴィオラ・ソナタ』がどう聴こえたかと言えば。
こちらは旋法というよりほぼ民謡的なメロディーが朗々と歌われ、ヴィオラの中低音のずっしりした手応えが存分に生きる。赤坂の芳醇な響きが逞しくすらあり、ピアノはそこに華やかな彩りを添える。第2楽章ヴィヴァーチェは両者がコマネズミのように野を駆け回る。ここでも旋法音階や、ダダンダダンと地を蹴るピアノの打音が快感。が、第3楽章冒頭ピアノ・ソロのどこか望郷を思わせるクレズマー風音調、中間弱奏部でのピアノの背後で微かに鳴らされるヴィオラの不穏なトレモロに、筆者はどうしようもなく胸塞がれてしまったのだった。
クラークの耳にはたぶん街角の、あるいは村人たちの歌い踊る、自然の奔放と哀歓の交錯するさまざまな声が、風に乗って聴こえていたのではないか。会社勤めの父の嗜むチェロは、ある意味上層階級、エリートへの憧憬でもあったろうが、彼女にとってはむしろ旅する楽師たちの市井の楽音が親しかったと思える。だからこういう音楽になる。馴染み深く、強く、激しく、痛く、優しく、えぐられる。
英国は古代ケルト民族がローマ軍に追い詰められてたどり着いた最果ての地(だがどの地にも先住民はいる)、アイルランド、スコットランド、ウェールズも含む血塗られた支配と被支配の歴史を背景とすることを思えば、彼女の音世界の複合性もわかる気がするのだ。

手に職を、の母娘は1年くらい来たろうか、たまに菓子折りを持って。
夫の知人と聞いた作曲家が急逝したあとしばらくで、辞めていった。ピアノが好きとは思えない、付き添いの母の顔ばかり窺っていたあの娘はあれからどうしたろう。
弦のトレモロは、突然、その眼差しを筆者に甦らせたのだ。

クラークが父から勘当され、職業音楽家としての道を踏み出したのは、自分の居場所に飢(かつ)えていたからだろう。演奏旅行などキャリアを積みつつ不倫の恋で創作は一時中断、訪米中に世界大戦勃発で職にあぶれ、家庭教師や子守の合間に創作を再開、1944年元同級生のピアニストと結婚以降はニューヨークに定住、音楽教育活動に専念し93年の生涯を終えている。その存在が再び知られるのは1976年、生誕90年記念ラジオ番組で。

休憩後のクララ・シューマン(1819-96)も父親との確執があり、さらにはおそらく夫ともあったろう。母はコンサートピアニスト・歌手として活躍、結婚後も何度か舞台に立ったが、クララが4歳の時に家を出て離婚している(のち再婚)。この母娘は、ロベルト亡き後、何くれとなく支え合ったという。世に流布する「愛の物語」など、今なお残る(どこかで復活しつつある)男性父権社会が垂れ流す甘い作話でしかない。父の反対を押し切って結婚後1年で日記にクララは書く。「ロベルトが作曲している時は丸1日のうちほんの1時間さえままならない...時々何も生み出さない自分の頭を殴りつけたくなるほどだ」(この気持ち、よくわかる。結婚後の女は家事に育児に追われ研究書を開く時間も読解する思考回路も失ってゆく、筆者世代の実感だ)。それでも彼女が天才少女を脱し、病んだ夫の入院費と7人の子(実質的結婚生活15年)を養うため演奏旅行に飛び回り、亡夫の作品を広めるピアニスト役を最後まで全うしたについては、尋常ならざる才と運と意志があったからに他なるまい。1856年クララはロンドンでの初舞台に際し、「ここでは芸術がまるでビジネス」とこぼすが、やがてエージェントを通して諸事が片付くことを心地よく思うようになった。彼女は現実を見通す眼を持ち、賢明かつ柔軟で逞しく、人生に襲いかかる波を適度に乗りこなすだけの度量・器量があったのだ。ブラームスからの想いも含め。
親しい仲だったファニー・メンデルスゾーンはあくまで私的音楽会での音楽活動に留まったが、クララは成功したおそらく最初の女性職業音楽家としてその名を残し、その作品も今や愛奏されている。
『ピアノとヴァイオリンのための3つのロマンス』は、文字通り岡本のロマンに濡れそぼる語り口が濃やかだが、当夜の流れにあっての演奏であれば、適度に時代の空気に合わせつつそれとなく斬新をも忍ばせ、夫の密かな嫉妬を生んだ彼女の才が見え隠れするようでもあった。

最後、スウェーデン生まれ、アマンダ・レントヘン=マイエル (1853-94)作品はユニゾンの堂々たる冒頭から序奏つきアレグロ・ヴィヴァーチェの終楽章まで火を噴くような熱演。やはり民謡風な味わいと舞踏性を持ち、ユニゾンやトゥッティを多用したシンプルかつ迫力ある書法だが、1880年結婚後の公的演奏活動はなく本作が最後の主要作品とされる。クララとクラークの中間世代だが、両者に比すれば聞き映えはするものの作品と
しての奥行きの不足を感じさせた。

河村は後半の MCで、彼女らが居たから今の私たちがある、こういう作品があることを知らしめたい、と今回のテーマへの想いを語った。「我らの女性」とはそういう意味だろうが、そもそものきっかけについては第51回サントリー音楽賞受賞記念コンサートでのメッセージから拾おう。コロナ期、学生たち(男1名、残りは女ばかりのクラス)のオンライン・スピーチで韓国の学生がルイーズ・ファランク(1804-75) の交響曲について語ったことが発端。これに刺激を受け、クラスで女性作曲家たちの国や時代背景など学び、さまざまな発見をする中で「男女平等な社会に生まれ育った時代と環境に感謝するべき」との振り返りを得た、と。
日々のニュースにセクハラ、パワハラ、カスハラ、アカハラ、家庭内暴力など、精神であれ肉体であれ男であれ女であれ、強者の弱者への暴行は枚挙にいとまがない。だがそれらのほとんどは、「どこか」で起きている事ごとであり、自分が実際に受けた痛みではない。筆者も然り。いや、大なり小なり、生きる途上で避けられないそれは、実はあるのではないか、被害も加害も。少なくとも筆者は、それらはあったと言おう。だから、ではない。でも、だ。筆者はクラークの音の殴打に戦慄し、記憶の底に沈んでいた母娘の姿をそのトレモロに思い出した。それはひとえに、クラークの音が、それを現前させる河村らの音がそうさせたのだ。書かれた音は、鳴り響く音として立ち現れて初めて命を持ち、生き続けることができる。そのように、誰かがあげた「声」は誰かによって伝えられ、聴き取られ、継がれてゆく。
アンコール、3組のデュオの和やかな会話を最後に用意した河村の配慮に感謝しつつ、一方で奮い立つように、一方で打ちのめされながら(眼前の現実の、なんと重く苦いことか)、インバウンドに華やぐ銀座の夜道を歩いたのだった。

筆者は男女という図式的対比を好まないが、結婚によって女の人生がいかに左右されるかは、女性作曲家たちのキャリアを見れば歴然だし、いたく同感する。性差における力関係がそのままあらゆるハラスメントにつながることも事実。平等も共産も平和も共生も畢竟、夢でしかなく(何度、新しい人間、新しい社会、新しい世界が唱えられたことか)、社会制度を創るのは常に時代の強者だが、勝者はやがて敗者となって必ず消えてゆく。力を得たものはなぜか自分を駆りたてた最初の動機を忘れ、どうその力を行使すべきかを忘れる。だが大事なのは、そのような力の連綿たるシーソーゲームにあって、自分はどこに身を置くか、そこで何をするか、だろう。
河村の音楽の旅のこれからが、誰かの、あるいは自らのしるべとなることを祈りたい。

(2025/5/15)

参考文献)
『女性作曲家ガイドブック2016〜古典派から近代の26人』 編著:小林緑
『クラシック音楽と女性たち』 編著:玉川裕子 青弓社 2015
『女性作曲家列伝』 編著:小林緑 平凡社 1999
『「ピアノを弾く少女」の誕生〜ジェンダーと近代日本の音楽史』玉川裕子著 青土社 2023

――――――
<Player>
Hisako Kawamura (Piano)
Seiji Okamoto (Violin)
Tomoko Akasaka (Viola)
Yuki Ito (Cello)

<Program>
Rebecca Clarke : Piano Trio
Rebecca Clarke : Viola Sonata
Clara Schumann : 3 Romanzen Op.22
Amanda Röntgen-Maier : Piano Quartet in E minor
(Encore)
Nadia Boulanger : 3 Pieces, No. 1 (cello and piano)
Rebecca Clarke : Piece for viola and cello
Lily Boulanger : Piece (violin and piano)