五線紙のパンセ|音色と空間、身体性|佐原洸
Text by 佐原洸(Ko Sahara): Guest
高校生の頃、ゲルギエフ指揮・マリインスキー歌劇場管弦楽団によるリムスキー=コルサコフ《シェヘラザード》のCDを聴いていた際、思わず目を見開いた瞬間がありました。オーケストラ作品であるはずなのに、第2楽章のある一節が、何度繰り返し聴いても合唱が加わっているようにしか聞こえなかったのです。それもほんの一瞬だけ。後にスコアを手に入れ、同時期に地元の図書館で借りたジャン=クロード・リセの書籍に載っていた楽器の音色に関する資料などを手がかりに、そこで何が起きていたのかをうっすらと理解しましたが、その現象を明確に捉えられるようになるのはずっと後の話。このときの衝撃は、今に至るまで私に潤いを与え続けており、いつか自らの手で同じような感覚を生み出すことができたならどれほど素晴らしいだろうかと夢見てやみません。
ミクスト音楽とは
さて、今回はミクスト音楽及びライブ・エレクトロニクスについて考えてみたいと思います。前回触れた通り、両者は用語の由来に違いはあるものの対象とする範囲はほとんど同じだと言って差し支えないと私は考えており、指し示す領域は器楽とコンピュータ音楽がミックスした音楽です。器楽側はソロからオーケストラまでを含み、つまるところ制限はありません。コンピュータ音楽はスピーカーを発音源とするものがその多くを占めますが、共鳴体に貼り付けることであらゆるものをスピーカーにする振動スピーカー(エキサイター)や、自動演奏ピアノのように電子制御されているけれども発音自体はアコースティックであるデバイスもこの領域に含まれます。この定義に関しては前回も触れた私の2023年度の論文の冒頭に言及されています。あくまでミクスト音楽ならびにライブ・エレクトロニクスという言葉が示す範囲は音楽部分のみであり、コンピュータが音楽に加えて他の領域、例えば映像を同時に扱うような場合にはマルチメディアと分類されたり、あえて分類を避ける場合も多く見られます。ミクスト音楽として最もシンプルな形式はあらかじめ用意された楽曲通しのサウンドファイルに合わせて奏者が演奏するかたちですが、最低限行われていることのみを見ればカラオケと同様であり、この最もシンプルな形式にも素晴らしい作品は数多く存在しています。実演では、演奏者がその場で響いている音全体を聴き取り、どのような音を生み出すかを的確に判断することが求められます。これはアコースティック作品にも同様の姿勢であり、器楽とコンピュータ音楽の一体感を生み出し作品の真価に迫るためには、たとえ最もシンプルな形式であったとしてもコンピュータ音楽部分の現場でのリアルタイムでの調整が不可欠です。
ヴァイオリン奏者のことをヴァイオリニスト、トランペット奏者のことをトランペッティストと呼ぶように、この領域でコンピュータを管理する奏者のことをフランス語でリム(RIM, Réalisateur en informatique musicale[女性の場合はRéalisatrice])と呼びます。これもミクスト音楽という言葉と同様にフランスでは広く浸透した言葉ですが、他の言語でそれに対応する言葉が市民権を得ているかというとそうではないように見受けられ、エレクトロニクス、音響などの肩書きで紹介されていることが多いです。原則的にはリムはコンピュータを管理しソフトウェアやプログラミングを通じて、音響処理や楽曲の進行制御を担い、音響はミキサーを中心とした機材を用いて音場の調整を担当します。日本においては、この領域の第一人者である有馬純寿さんが長らくほとんど一人でその役割を担っていましたが、有馬さんの活動が広がる一方、ここ10年ほどで下の世代の名前も多く見るようになったので、領域そのものが成長していることを感じさせます。私は作曲の活動と共にリムの活動を行っており、コンポーザー・ピアニストのように作曲とリムという異なる領域をいずれも重要な活動として行う存在でありたいと願っています。リムとして自作自演をすることもありますが、それはむしろ副次的なもので、他の作曲家による作品の演奏に積極的に携わっていきたい、そしてアコースティック作品だけでなくミクスト作品において私以外の奏者の演奏でも自作を聴きたいというのが私自身のスタンスです。
ミクスト音楽の特徴
以下より、コンピュータ音楽についてはスピーカーから発音される領域である電子音響音楽に限定してこの領域の特徴について考えてみたいと思います。私自身は器楽を拡張する存在としてこの領域を魅力的に見ています。コンピュータを用いることで、合成音や録音された音声、さらにはマイクを通して得た素材に多様なオーディオエフェクトを施すことが可能になります。その結果、生み出される音は非常に多彩で、どんな音でも作れるかのような感覚すら覚えるほどです。それゆえにミクスト音楽において器楽と電子音響をどのように重ね合わせるか、そのバランスや交差の仕方がこの分野ならではの醍醐味のひとつとなります。スピーカーの配置も重要な要素であり、演奏者の左右に置かれる形式が一般的ですが、観客を囲むように配置したり、天井や床に設置するなど、実務上の様々な制約との兼ね合いとなるものの多くの可能性が考えられます。客席の周囲に奏者が配置されることはアコースティックの領域においてもみられますが、そちらではある程度の特殊性を感じさせる一方で、ミクスト音楽に関してはある程度普遍的な位置付けだと個人的には考えています。
また、電子音響音楽の大きな特徴として、身体性が直接的に介在しにくいことが挙げられます。人間の動作と音が必ずしも直結しないため、リムが何も操作しなくても音楽が進行する時間は珍しくありません。私たちが器楽を聴くとき、音そのものとともに演奏者の動きや呼吸を無意識に感じ取っていますが、リムが仮にどれほど複雑なことをやっていたとしても、器楽でいうところの超絶技巧のような身体的困難さをそこに見出すことは少ない。リムにおける技巧性は、むしろ外からは見えない制御の緻密さにこそ宿っており、身体的困難さとは逆のベクトルに位置するものかもしれません。ただし、不可視の部分を観客と共有する…例えばライブコーディングなど他の特別な条件が重なると、その印象も大きく変化するでしょう。
このような特徴を持つミクスト音楽において、器楽と電子音響の関係性は実に多様です。たとえば、オーケストラにさらなる色彩を与えるような電子音響、器楽ソロの背後で協奏曲のオーケストラ部分のような存在感を放つ電子音響、あるいは室内楽のように親密で繊細な世界を構築する電子音響など、その役割は多岐にわたります。重要なのは、スピーカーからどのような音を出すのか、そしてそれを楽器とどのような関係性の中で響かせるのかという点です。電子音響を楽器のエコーや残響のように用いることもあれば、対等なパートナーとして対話させることもあります。
驚き
新たな響きの可能性に触れたとき、私はいつも心を動かされます。驚き、好奇心、畏怖、感嘆、脱帽など、こうした感情が湧き起こると同時に、「これはどのように生み出されたのか」「どうすれば自分もこの響きに近づけるのか」といった探求が始まります。それが音楽作品であるならば、単に驚きがあるだけでは心を打たれることはありません。《シェヘラザード》に合唱がいるわけないからこそ、そのような音が現れると強い衝撃を受けるのです。驚きは、音楽的文脈や予測との落差の中でこそ生まれます。それは単体で成立するものではなく、作品内の情報や、すでに響いている音との関係性の中において意味を持ちます。この距離感をどう取るか。私にとって、それがミクスト作品を作曲するうえで最も大切な要素です。電子音響は、ほとんどどんな音も生み出すことができるがゆえに、聴き手に過剰な情報を与える危険もはらんでいます。驚きは音楽に潤いをもたらしますが、過剰になればその効果は薄れてしまいます。電子音響における音のバリエーションに関する多彩さの一方、器楽は演奏者の身体性や楽器の構造といった制限を伴います。この制限こそが創造の源泉となり、新たな美を切り拓く力ともなり得ます。器楽でしか、そしてミクスト音楽でしか実現し得ない表現は存在します。そしてそれぞれを深く知り、対比していくことはそれまでに気づくことのできなかったそれぞれの魅力を発見することにつながります。器楽とミクスト音楽を行き来するうちにそれぞれの美の領域が広がる過程こそが、私にとって創作の喜びのひとつであり、音楽と向き合う根源的な理由なのだと思います。
最後に私のミクスト作品を3つご紹介し、締めくくりたいと思います。
《デュオ》
パリ国立高等音楽院の修士課程2年次に制作した作品で、その2年後、現在kasaneとして共に活動している河村絢音さんのCD収録に際し、改訂を行いました。ヴァイオリンの奏法は極めてシンプルに抑え、その音色や響きを電子音響によっていかに拡張できるかを主眼に創作しました。ヴァイオリンと電子音響が相互に反応し合いながら、連続的かつ漸次的に変化し、穏やかな時間の中で展開していく作品です。すべての音は互いに溶け合い、混ざり合いながら響きます。器楽と電子音響を対等な関係として捉えるようになったのも、ちょうどこの時期であり、その考えがタイトルにも反映されています。
《連歌 IV》
昨年のSPAC-Eの演奏会で初演されたヴィブラフォンと電子音響による作品です。多数の打楽器作品が並ぶ演奏会の中で、どのような作品が響きうるのかを模索しながら、一つの響きを突き詰めていくことで生まれる音の状態を目指して創作しました。ヴィブラフォンの動きや響きを電子音響によって拡張することに主眼を置き、音の変容を繊細に描いています。悪原至さんに初演していただきましたが、彼とは8月に開催予定のプラットフォームの演奏会でもご一緒することができ、このようなご縁が続いていることをとても嬉しく思います。《連歌》は、器楽独奏と電子音響によるミクスト作品のシリーズとして構想しており、今後も継続的に展開していく予定です。11月には義太夫三味線奏者の田中悠美子さんに《連歌V》を初演していただきます。初めて邦楽器を用いた作品で、どのような響きが生まれるのか今からとても楽しみにしています。
《蝉の羽》
2021年のSPAC-Eの演奏会で初演された作品です。フルートとバス・フルート、バリトン・サクソフォンの作品で、2024年にフルート、バリトン・サクソフォン、コントラバス版も初演されました。電子音響の存在感が前面に出る作品ではありませんが、時間的・空間的な広がりを意識しつつ、音響や動きの総合的な拡張が静かに試みられています。さりげない仕掛けが重なり合うことで、演奏空間に微細な揺らぎや奥行きをもたらすような構造を目指しました。
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佐原洸 (Ko Sahara)
作曲、電子音響デザイン。作品は有機的で繊細な音響を特徴とする。東京音楽大学、東京藝術大学大学院、パリ国立高等音楽院(CNSMDP)第一課程、第二課程の作曲専攻をそれぞれ卒業、修了。2019年度フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)作曲研究員。第29回現音作曲新人賞富樫賞受賞。第82回日本音楽コンクール入選。作品はEnsemble Intercontemporain、アール・レスピラン、Ensemble IJ Spaceなどの団体によってアジア、ヨーロッパ各国で演奏される。在仏時より器楽と電子音響のために書かれた作品における電子音響パートの演奏活動を開始。「東京オペラシティリサイタルシリーズ B→C」(東京オペラシティリサイタルホール)、C×C 作曲家が作曲家を訪ねる旅(神奈川県民ホール)、「新しい視点」紅葉坂プロジェクト Vol. 1(神奈川県立音楽堂)、フェニックス・エヴォリューション・シリーズ(ザ・フェニックスホール)などの演奏会に参加し、これまでに約100の器楽と電子音響のための作品の演奏に携わる。仏BabelScoresより作品の一部が出版されている。SPAC-E、kasane主宰。Metamor、プラットフォームメンバー。洗足学園音楽大学、ヤマハマスタークラス各講師。
https://kosahara.com
室内アンサンブル作品初演(プラットフォーム)
2025年8月14日(木)17時開演 旧東京音楽学校奏楽堂

