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明日の記憶III 桒形亜樹子チェンバロリサイタル2025|大河内文恵

明日の記憶III 桒形亜樹子チェンバロリサイタル2025 明日を聴く音たち

2025年4月8日 ムジカーザ
2025/4/8  MUSICASA
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by オフィスサワイ 

<出演>        →foreign language
桒形亜樹子 チェンバロ
ゲスト出演:
大須賀かおり ピアノ

<曲目>

フランソワ・クープラン:メヌトゥ(第7オルドルより)
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ:バレエ「オルフェウス」よりエウリディーチェ
ダヴィッド・ラクロワ:クラヴサンのための13の単純な品より小品より  鐘/濁り水/お楽しみ/子供のスーフィー修行僧/ずれ/シャコンヌ/世紀末のパッサカイユ
F.クープラン:ミューズ誕生、幼少期、青春時代(第7オルドルより)
国枝春恵:〈桑の実〉ハープシコード・ソロのための(委嘱世界初演)

~~休憩~~

ヨハン・ヤコブ・フローベルガー:ファンタジア ホ調
間宮芳生:「にほんのこども2」1977/8より
インヴェンションI,II/マズルカ/輪舞/パストラール/2対3/おいな
J.J.フローベルガー:ファンタジア イ調
ヤッセン・ヴォデニチャロフ:チェンバロのための4つのエチュード  蝉のダンス/アラベスク/メタモルフォーゼ/迷宮
夏田昌和:ピアノとチェンバロのための組曲(2024)
I.快速なテンポで、リズミカルに  II.緩やかに進むテンポで、音をよく保ちながら
III.やや快適なテンポで、諧謔的に  IV.中庸なテンポで、動きをもって

アンコール
間宮芳生:にほんのこども2 カンテレ

使用楽器:島口孝仁2000年製作、パスカル・タスカン1769年の複製
12等分平均律 a1=442Hz

 

「明日の記憶」と題された桒形亜樹子のチェンバロ・リサイタルシリーズの第3回を聴いた。このシリーズは、チェンバロのための作品を現代作曲家に委嘱して初演をおこなうことと、チェンバロのための現代作品の演奏をおこなうことを主眼とし、そこにバロック時代の作品を組み合わせておこなわれている。今回は国枝氏の作品が委嘱作品である。チラシの段階では北爪道夫作品が予告されていたが、2026年秋の第4回に延期となり、代わりに夏田作品(再演)が演奏された。

プレリュード的に弾かれた《メヌトゥ》に続くヘンツェの《エウリディーチェ》は、バレエ『オルフェウス』のなかの1曲。小劇場での現代演劇をみているかのような響きと空気感が印象的で、チェンバロ独奏の部分だけを切り取っているので短いのだが、全体を通して聴いてみたいと思った。
ラクロワ作品はいずれもかわいらしい小品で、「お楽しみ」は子どもがピアノの発表会で弾くのにぴったりの楽しい曲。13曲の中から桒形が7曲を選び、曲順も若干変更している。ピアノで弾いてもよさそうな作品だが、シャコンヌ、パッサカイユはやはりチェンバロの魅力にあふれたもの。ラクロワはギタリストらしく、ところどころにギターを思わせるパッセージが聞かれた。ギターもチェンバロも演奏方法は違えども、弦をはじくという同じ発音機構をもつ。近年はギターの演奏家がバロック作品をギターで演奏したりしているが、逆にギター作品をチェンバロで弾くというのも可能性としてあるのかもしれないと聞きながら思った。

演奏前のアナウンスで、演奏者のある動作までは拍手を控えるようにとのお願いがあった。それは2曲ずつまとめて演奏される形を取っていたからで、その2曲の組み合わせがよく考えられていてセットで演奏することに意味を持たせているからだということが、演奏が始まってわかった。ラクロワからクープランへのつながりのスムーズさなど見事。ここで演奏されたクープラン作品は誕生・幼少・青春と人生の初期をたどった構成になっており、とくに青春時代の輝かしさが印象に残った。

前半最後は国枝作品の初演。国枝によるプログラムノートには、チェンバロの楽器の特質を知る困難さとピアノの打鍵の感覚で無意識にアプローチしてしまうと書かれていた。たしかに、チェンバロの最低音と最高音域との組み合わせ方に通常のチェンバロ作品にはない異質さを感じた。また、和音をアルペジオにせずに同時に弾く形が多用されていたために、和声の移り変わりが聞き取りにくいところがあった。ところが、最初のパッセージが戻ってくると、耳が慣れたのか、もはや異質さはなく、普通に聞こえたことに驚いた。人間の耳というのは、こんなに短時間で慣れるものなのか? あるいは、なにか巧妙な仕掛けがあったのか? その不思議さをかみしめながら休憩にはいる。

後半はギアが上がる。フローベルガーの後、第2回に続き間宮作品が演奏された。今回は「にほんのこども」というピアノ小品集からの抜粋。この作品集は多くの作品がフィンランド民謡もしくは日本の民謡に基づいており、楽譜には元となった旋律が併せて掲載されている。コンサートで演奏された作品を帰ってからピアノで弾いてみたのだが、これをチェンバロで弾いてみようと思いつくところがまずすごい。
さらに、曲順である。対位法の美しいものとダンスを選んだとプログラムノートに記載されているが、インヴェンションと舞曲である輪舞をつなぐマズルカは、舞曲でありつつ中間に対位法的な部分がはさまれている。曲の選択とその配置が絶妙で、最後に新潟の盆踊りの旋律を使った「おいな」で〆るところなど、天晴れである。

後半のバロック曲はいつものクープランではなく、フローベルガーが選ばれた。今回のテーマは小品の魅力とその組み合わせによる変容ということだが、もう1つの裏テーマは対位法でとなっており、そのためにフローベルガーをもってくるところが桒形らしい。鍵盤組曲の祖として舞曲に注目されがちなフローベルガーにこんな一面があったのかと蒙を啓かれた。

ヴォデニチャロフの4つのエチュードは、チェンバロに精通した作曲家による作品。高い音域にコンピュータ的な響きが聞こえたり、ミニマルミュージック的なテクスチャーで書かれた曲があるなど、チェンバロの特質を活かす音楽で非常に楽しめた。

プログラムの最後は夏田作品。ピアノとチェンバロのための作品で、奥にピアノ、手前にチェンバロが置かれ、2台ピアノならぬ「ピアノとチェンバロ」である。フォルテピアノではなくモダンのピアノなので、一緒に弾いたら、チェンバロの音は聞こえなくなってしまうのではないかと心配したが、そこはどんな編成でも高いレベルで仕上げることで知られる夏田のこと、ピアノとチェンバロが重ならないように工夫が凝らされていた。両者の音域を分けることによって、お互いが干渉しないという方法である。

聴きながら思い出したのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番でオーケストラの大音量の部分とピアノとが重複しないように注意深く書かれているというあの話だ。なるほど、この手を使ったのかと心の中で膝を叩いた。
ピアノとチェンバロとが同じパッセージを交互に弾くところでは、同じ旋律なり和音なりが楽器が異なることによって違ったニュアンスに聞こえ、何倍にも楽しめる。緻密な音の織物が目の前で織られているように感じた。そして、最後の1フレーズの魅力的なこと。コンサートを締めくくるのにふさわしい作品だった。

アンコールは間宮作品から「カンテレ」。3段楽譜で書かれたものをピアノとチェンバロで分担しての演奏は、最初からこの2つの楽器のために書かれたのではないかと思えるほどぴったりだった。委嘱新作はもちろん、まだあまり知られていない現代作品にもまだまだ出会いたいと思うと同時に、これらの作品を他の演奏家の演奏でも聴いてみたいと思った。第4回はどんなコンサートになるのか楽しみである。

(2025/5/15)

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<performers>
Akiko KUWAGATA harpsichord
Guest:
Kaori OHSUGA piano

<program>

François CPIPERIN: La Ménetou (7ème ordre, 1717)
Hans Werner HENZE: Euridice, frammenti per il clavicembalo(“Orpheus” 1978)
David LACROIX: 13 pièces simples pour le clavecin 1989)
F. COUPERIN: La Muse naissante / L’Enfantine / L’Adolescente(7ème ordre, 1717)
Harue KUNIEDA: “Mulberry Fruits” for Harpsichord Solo (2024/5)

–intermission—

Johann Jakob FROBERGER: Fantasia in e, FbWV202(Libro seconde 1649)
Michio MAMIYA: Nihon no kodomo 2, for young pianist
J.J. FROBERGER: Fantasia in a, FbWV205
Yassen VODENITCHAROV: Quatre études pour clavecin (1994)
Masakazu NATSUDA: Suite pour clavecin et piano(2024)

Encore

M. MAMIYA: Nihon no kodomo 2 Kantele