ベルチャ・クァルテット|藤原聡
2025年3月27日 TOPPANホール
2025/3/27 TOPPAN HALL
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 大窪道治/写真提供: TOPPANホール
〈プログラム〉 →foreign language
シェーンベルク:弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 Op.7
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131
※アンコール
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 Op.73〜第3楽章
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135〜第3楽章
〈演奏〉
ベルチャ・クァルテット
ヴァイオリン:コリーナ・ベルチャ
ヴァイオリン:カン・スヨン
ヴィオラ:クシシュトフ・ホジェルスキー
チェロ:アントワーヌ・レデルラン
エベーヌ弦楽四重奏団の稿に記したように、このたびのトッパンホールにおける3夜連続のエベーヌ弦楽四重奏団&ベルチャ・クァルテット祭(勝手に祭と書かせてもらった)は弦楽四重奏好きは看過できないイベントである。オールドスタイルを好むファンならいざ知らず、現代最高/最先端の弦楽四重奏演奏を連続して体験できるのだから。本稿では第2夜、ベルチャ・クァルテットを取り上げる。プログラムは誠にヘビーであり、前半にシェーンベルクの弦楽四重奏曲第1番、後半にはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番。いずれも全楽章が連続して演奏されるという共通点があり、さらに言えばシェーンベルク作品はベートーヴェンのこの作品から間違いなく影響を受けている。
まずシェーンベルクから。本作は第2番の弦楽四重奏曲において無調世界に突入する前の作品で、一応ニ短調ではあるが既に調性感はかなり希薄であり、そのテクスチュアは恐ろしく入り組んでいて複雑である。分かりやすい旋律はなく、4楽器全体の対位法の駆使、和声的変化の連続で聴かせるような趣。また、全曲が切れ目なく演奏される中でも4つの部分に分かれており、最初は第1主題と第2主題が登場するソナタ形式、次にスケルツォ的なパート、そして緩徐楽章に相当する箇所、最後はロンド形式のフィナーレ。後期ロマン派の成れの果て、この路線でこれ以上は進めないような地点で難産の末に生み出されたような巨大な難物である(小節数1320。この日のベルチャの演奏時間は50分近くあったのではないか?)。本作で思い出すのは昨年の東京・春・音楽祭でのディオティマ弦楽四重奏団による演奏だが、あちらが作品のテクスチュアをドライかつ鋭利に浮き上がらせることに主眼を置いていたとするならば、この日のベルチャの演奏、明晰さは担保されながらもより濃密かつロマン的情緒が匂い立っていた。その意味では『浄夜』との近親性を肌で感じるものとなっていたが、それもベルチャの4人それぞれの驚嘆すべき表現力の賜物だろう。ディオティマはもちろん、エベーヌに比べてもベルチャの演奏は―シェーンベルクに限らず―先鋭さと同時にある種の「どろ臭さ」、濃密な情緒をしばしば感じさせる。それがこの日のシェーンベルクをあまり晦渋なものと感じさせることなく知的把握とは別の次元での共感をもって聴き通すことができた要因ではないか(つまり、筆者にとって本作は基本的に難解でとっつきにくいということ)。勝手な憶測だが、シェーンベルクその人はこういう演奏を望んでいたのではないかと妄想させる。むろん情緒に寄りかかった演奏ということではなく、冒頭モティーフの変容という本作構成上のキモも的確にフォローされていた印象だ。ディオティマの演奏を聴いた後には「今後これ以上の演奏に実演で接することがあろうか?」などと思ったものだが、ベルチャがそれ以上か以下か、というような単純な話ではなく、芸術作品は多面体ゆえ「完璧な演奏」なるものは存在しないのだから、ある演奏にない要素が別の演奏にはあり、その逆もまた然り。だから面白い。
休憩後はベートーヴェンの第14番。冒頭4人によるフーガ旋律のクレシェンドやアクセントからベルチャの面々の表現の濃厚さに唸る。この楽章全体、シェーンベルクにも共通するテクストへの反応の起伏の大きさがそのまま情念の深さに直結している印象だ。誠に感銘深い。続く第2楽章では第2vnカン・スヨンの存在感が光り、切れ込み鋭い第1vnのベルチャに対等に切り込む。第3楽章は間奏的なイメージと捉えているのかあっさりした表現、本作の中心を成す次の第4楽章の変奏曲ではゆるやかなテンポで天上感を醸し出すと思いきやこれも存外淡白であったのは意外であったが、楽章終結直前、主題が回帰する箇所の浮き立つような表現は絶妙。第5楽章スケルツォは快速、最後のスル・ポンティチェロによる音色変化からの空気感の一変は今まで聴いたどの演奏にも増して効果的で息を呑む。短くも感動的な音楽である第6楽章ではホジェルスキーのいかにも野太いvaの音が大変に魅力的。そしていよいよ突入した第7楽章では表現のテンションのギアが明らかに一段上がり、4人それぞれがガシガシ弾くこと弾くこと。これは明確にここを頂点と見極めた上での演奏設計であり、どの演奏でも多かれ少なかれそうではあるものの、かようにコントラストを付けた演奏は初めて聴いた。これを唐突とみるかドラマタイズの巧妙さとみるかは聴者によって分かれるところがあるだろうが、筆者は大変に惹かれた。いまさらアルノルト・シェーリングによる本作のシェイクスピア『ハムレット』音楽化説を引き合いに出すのもどうかと思うが、この音楽にそういう音楽外のドラマを見出す誘惑は確かにあって、してみると筆者はこの高揚には胸騒ぎがするのだ(ベルチャがどう考えているのかは知らない)。どうあれすさまじい演奏だったのは間違いない。
このヘビーなプログラムの後だけにアンコールはなかろう、と思い込んでいたらなんと2曲、まずはショスタコーヴィチの第3番から第3楽章アレグロ・ノン・トロッポ、これが凄い。異様なハイテンション、強烈な弓圧で4人がギチギチに攻めまくった演奏を展開、ショスタコーヴィチの暴力性を示してあまりある。当夜、本演奏の後の聴衆の喝采が1番凄かった。こんなものを聴かされては無理もない。次にはまるで趣を変えベートーヴェンの第16番から第3楽章、なんというハーモニーの美しさ。あるいは薄明に漂う暗い雲のような儚さ、不穏さ。かように詩的な表現を使いたくなるようなベルチャの演奏は、徹底的に鋭利でスマートなエベーヌとはまた違った持ち味のゆえだろうか。
第1夜のエベーヌ弦楽四重奏団、第2夜のベルチャ・クァルテット。最高を2日続けて聴いた。アーティストたちとトッパンホールに感謝。最後に余談だが、筆者がやはり現代最高クラスのクァルテットと考えるパヴェル・ハース四重奏団も再度呼んでいただきたい。
(2025/4/15)
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〈Program〉
Schönberg:Streichquartett Nr.1 d-Moll Op.7
Beethoven:Streichquartett Nr.14 cis-Moll Op.131
※encore
Shostakovich:String Quartet No.3 in F-major Op.73〜3rd movement
Beethoven::Streichquartett Nr.16 F-Dur Op.135〜3rd movement
〈Player〉
Belcea Quartet
Corina Belcea,violin
Suyeon Kang,violin
Krzysztof Chorzelski,viola
Antoine Lederlin,violoncello

