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特別寄稿|「Places for Us」を探る — シンポジウム「Music Theatre Studies and Transnational History」に参加して |辻 佐保子

特別寄稿|「Places for Us」を探る — シンポジウム「Music Theatre Studies and Transnational History」に参加して

Text by 辻 佐保子 (Sahoko Tsuji): Guest

10年ほど前のことである。国際学会に出席し、研究成果を発表するべく音楽劇研究者の集うワーキング・グループに参加した。発表や質疑応答自体は大きな問題なく進めることができた。ところが、一日のプログラムが終わり、ワーキング・グループのメンバーとホテルへの帰路についた時に、あるイギリスの研究者にこのように尋ねられた。

「あなたはアメリカン・ミュージカルを研究しているけれど、日本のミュージカルを研究した方がいいんじゃない?」

無邪気な推奨だったのか、(日本人に理解できるわけがないのに)といった含意があったのか、その時の筆者には計り知れなかったし、今でも計り知れない真意が明らかになることはないと思っているし、明らかにしなくて良いとも思っている。それでも、その一言は今でもちょっとした棘のように残り続けている。

ミュージカル研究が活発な展開を見せるようになるのは21世紀に差し掛かる頃であるが、それから20年ほどはアメリカ(そしてイギリス)が中心に想定され、英米以外の地域・言語圏の実践・批評・研究は(それぞれの地域・言語圏で扱われることはあっても)例外や傍流として位置づけられることが大半だった。しかし2020あたりから、ドイツやウィーン、フランスなどの大陸ヨーロッパや南米、英国連邦、アジアにおけるアメリカン・ミュージカル受容やオリジナル・ミュージカル制作に着目した研究が増えつつある。世界的に拡散するミュージカル受容・実践という論点で編まれたラウトリッジやオックスフォード出版局の論集(1)では、アメリカン・ミュージカルはもはや絶対的な規範ではなく、20世紀の国際情勢の動向に沿ったでグローバルに伝播した多分にローカルな実践として位置づけられている。グローバルな実践に見出されるローカル性や、ローカルな実践が帯びるトランスナショナルな潜在は、ミュージカル研究における2020年代前半のホット・トピックと言ってよい

このような研究動向の先取りとして、上記の発言を捉えることもできるだろう。日本の様々なミュージカル実践(劇団四季、宝塚歌劇団、OSK歌劇団、東宝オリジナル・ミュージカル、わらび座、2.5次元ミュージカル……)対する研究の余地が十二分に残されているのは事実だ。だが、日本で生活するミュージカル・ファンにとって、イギリスやウィーン、フランス、韓国発のミュージカルと並んで、アメリカン・ミュージカルの翻訳上演や来日上演は相変わらず受容の大きな一角をなしている。アメリカン・ミュージカルを観客として鑑賞し、その歴史や表現に知的好奇心がどうしようもなく掻き立てられることに対して、インオーセンティックという含みが読み取られるような問いが投げかけられる謂れはなかったのではないか、という腹立ちにも似た違和感は付きまとう

2025124日に神戸大学で開催された国際シンポジウム「Musical Theatre Studies and Transnational History」は、10年前に刺さった棘を忘れられるひと時なった。6名の発表者による5つの発表と会場全体でのディスカッションで構成された本シンポジウムでは、以下のように、トランスナショナルに制作・受容される音楽(劇)を、トランスナショナルに研究する方法や意義が多方面から検討された。

登壇者。左から田中、Oja、Rao、能登原、大田、Savran各氏

まず、大阪音楽大学の能登原由美氏による発表 “Transnational Perspective on Britten’s Sinfonia Da Requiemからは、ベンジャミン・ブリテン (Benjamin Britten) が皇紀2600年奉祝曲としてイギリス文化振興会から委嘱を受け、1940年に完成させたシンフォニア・ダ・レクイエムSinfonia da Requiemについて、「レクイエム」という概念が不在だった当時の日本において(特にクラシック音楽教育の場で)どのように受容され、ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムがいかに日本のローカルな文脈に落とし込まれていったか、精密な報告がなされた。

続いてラトガース大学のナンシー・ユーワ・ラオ (Nancy Yunhwa Rao) は、 “Transpacific Operatic Imagination: Chinese Theatre and Transpacific Migration” と題された発表にて、19世紀後半にサンフランシスコを中心に各地で京劇(チャイニーズ・オペラ)の来米上演が盛んに行われ、中国からの移民コミュニティで親しまれるだけでなく、サンフランシスコやニューヨークの新聞で報じられるなど一定の認知を得ていたことを豊富な史料から提示した。現在のアメリカ演劇研究で見落とされている、トランスナショナルな演劇史の一端を浮かび上がらせる報告で、啓発的だった

京都産業大学の田中里奈氏は “Beyond the Tower of Babel: Transnational Musical Theatre Historiography”において 、ミュージカル批評・研究におけるアメリカ中心主義をユーモアを交えつつ小気味よく批判すると同時に、学術的交流において英語の技能がある意味で通貨となっている現状において、非・英語母語話者の若手研究者が研究成果を発信することがいかに困難か、状況が整理された。トランスナショナルというトピックを考えるにあたり、言語と知の流通に関する不均衡は今後も課題となるであろう。

4人目のニューヨーク市立大学名誉教授デイヴィッド・セイヴラン氏 (David Savran) からは、 “Recent Productions of Kurt Weill’s Der Silbersee in Belgium, France, and Germany and the Continuing Relevance of the Piece’s Anti-Fascism Message”というタイトルが示す通り、クルト・ヴァイル作曲、ゲオルク・カイザー (Georg Kaiser) 脚本・作詞のオペラ銀色の湖 Der Silberseeを端緒として、トルコ生まれのドイツ人現代オペラ演出家エルサン・モンターク (Ersan Montag) について詳細な紹介がなされた。環境破壊や労働者の搾取といった文明社会がもたらす不正義を批判するヴィジョンでモンタークの演出は一貫しており、ナチスが国家政党として権勢を誇るようになる1933年に制作された『銀の湖』をモンタークがいかに創造的に再解釈しているかが論じられた。

最後の発表は、ハーヴァード大学のキャロル・J・オージャ氏 (Carol J. Oja) と、オーガナイザーである神戸大学の大田美佐子氏との共同発表 “Revisiting the Role of U.S. Music During the Postwar Occupation of Japan: A Bicultural Perspective” だった。GHQ占領下の民間情報教育局運営図書館ことCIE図書館が、戦後日本におけるアメリカの大衆音楽・クラシック音楽・実験音楽の受容をいかに形づくり、戦後日本の音楽家たちの活動をいかに触発したかが、貴重な史料から示された。戦前から変わらず、ヨーロッパ(特にドイツ)のクラシック音楽が重視される日本において、ジャン゠カルロ・メノッティ (Gian Carlo Menotti) の楽曲が重用されたことは、戦後日本のトランスナショナルな音楽受容の一面に新たな光が投げかけられた瞬間と言っても良いだろう。

シンポジウムでは、歴史・文化・社会がひとつのオーセンティックな像を結ぶことう姿勢が共有されていたように感じられた。音楽(劇)に、内から外から、複数の手によって、新たな光を当て、新たな鉱脈を掘り当てる。それこそが、トランスナショナルな歴史を描くことの意義であり、日本に生まれ育った日本語話者の筆者がアメリカン・ミュージカルを研究する意義もそこに連なるのだと、強く鼓舞された。

最後に、発表者と聴衆とで輪になり、トランスナショナルな事象についてトランスナショナルに研究することの重要性や、現実に立ちはだかる困難について、忌憚なく言葉を交わすことができた。ウエストサイド物語West Side Story サムウェアSomewhere という楽曲に、争いが絶えて融和が実現するA Place for Us」があると歌われる。しかし、今回のシンポジウムで感じたのは、私たちの交流が叶う場はたったひとつ (“A Place”) ではない、ということだった。私たちは違う、けれど私たちには共有するものが多くある。私たちは見落とし、聞き逃し、意識にも上らせないことがあるけれど私たちは向かい合い、「Places for Us」を探りたい。そのような切実な願いで場が満たされていた。

シンポジウムにいる間、棘のことを忘れられたその時の感覚を、筆者は忘れていない。 


(2025/3/15)

(1)Laura MacDonald, and Ryan Donovan, eds. The Routledge Companion to Musical Theatre. Routledge, 2003.
    Robert Gordon, and Olaf Jubin, eds. The Oxford Handbook of the Global Stage Musical. Oxford UP, 2024.

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辻 佐保子  (Sahoko Tsuji)

1987年横浜生まれ。静岡大学人文社会科学部言語文化学科講師博士(文学)。
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース博士後期課程満期退学。早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系講師(任期付)後、現職。研究対象は、アメリカの舞台ミュージカルの作劇に対する映画・ラジオ・テレビからの影響。近年の研究成果に、「ベティ・コムデンとアドルフ・グリーン作品における撹乱の劇作法ラジオ、テレビ、そして舞台ミュージカルの交錯」(早稲田大学文学研究科博士論文、2024年)、「ダフィーの両義性、ラジオの可能性 : コメディ番組『ダフィーズ・タヴァーン』におけるキャラクター表象のメカニズム(前編)」(『静岡大学人文論集』第72号の2、2025年、119145頁)など 

 

 

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