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2月の2公演 短評|齋藤俊夫

2月の2公演短評
Reviewed by 齋藤俊夫 (Toshio Saito)

♪アジア音楽祭2025 in KAWASAKI オーケストラコンサート
♪音の始源(はじまり)を求めて ジャン=クロード・エロア『楽の道・マテリアル』電子音楽マラソン 2025

♪アジア音楽祭2025 in KAWASAKI オーケストラコンサート→曲目・演奏

2025年2月7日 ミューザ川崎シンフォニーホール

かつて批評家・思想家のエドワード・W・サイードは1人の人間が複数のアイデンティティを持つ可能性について言及したことがあった。筆者なりに彼の論を敷衍するに、人間、特に芸術家が「自分の中にある他者」を見つけることにより気付かされる、「自分の中の他者」と「自分」との「ズレ」の感覚を起点として世界と接することにより、自己と他者を架橋する「作品」の可能性が生まれる、のではなかろうか。
今回、シンガポールのホー・チュンシー、フィリピンのジョナサン・ドミンゴ、日本の菅野由弘の3者の作品が文句なしに面白く新しく感じられたのは彼らがオーケストラと西洋現代音楽という自分の中の他者と、今現在アジアに生きる自分とのズレに対して真正面から向き合ったことによると筆者は見た。また、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』をただなぞっていると思えた韓国のジュンヒー・リム作品には、武満という既にして自分の中の他者ならざる存在を通して自分の中の他者とのズレを隠滅してしまったが故の残念さを感じた。
俄然難しい立場に置かれるのはオーストラリアのアンドリアン・ペルトゥである。オーストラリアに住んでいる彼はどこの何のアイデンティティを自己のものとしているのだろうか? 今回の彼の作品はその内にどこにも「西洋という自分」と「アジアという他者」を架橋しようとする緊張がなく、現在の西洋現代音楽の惰性的延長線上にあるとしか筆者には感じられなかった。求める音楽はこれではない。もっと、他者との邂逅の驚きに満ちたものを。

♪音の始源(はじまり)を求めて ジャン=クロード・エロア『楽の道・マテリアル』電子音楽マラソン 2025→曲目・演奏

2025年2月15日 Artware hub KAKEHASHI MEMORIAL

今でも白昼夢のように思い出される。さほど広くない会場にスピーカーと電子機材が設置され、14時から16時まで、それから30分の休憩を挟み、16時30分から18時35分まで延々と電子音響に身を委ねる。会場は出入り自由で、筆者は3回ほど外に出て買ってきていた菓子パンを食べた。会場外の世界はいつも通りの日本の風景なのに、照明が落とされ電子音が渦巻く会場は完全に異空間。
ジャン゠クロード・エロアはフランスの作曲家。1977年から1978年にかけて 3期間に渡り来日し、電子的に一から作り出した抽象音と、日本で収集した具体音から電子的に生成した音を合成して、今回の超大作『楽の道』を作曲した。
日本の文化に精通したエロアが「道」と名付けたのは、日本語における「道」の精神をこの作品に込めたからだと言うが、筆者は茶道の極意とされる「自由自在」の精神や、「一座建立」の精神を感じた。 何をしても自由な異空間において、参加者は聴くもよし、出て行くも入るも、眠るもよし(実際筆者も結構眠っていた)。轟音と言って良いであろう音響の中で皆があるがままにある、それで良い、という大いなる肯定の精神を感じた。良きことかな。実に良きことかな。おそらく筆者が生きている間にはもう二度と味わえないであろうこのような贅沢をさせてもらったことに心から感謝したい。

♪アジア音楽祭2025 in KAWASAKI オーケストラコンサート
<演奏>
指揮:山下一史
管弦楽:東京交響楽団
ピアノ:小川典子(*)
テグム:アラム・リ(**)
コンサートマスター:グレブ・ニキティン

<曲目>
ホー・チュンシー(シンガポール):Distancing Etude for Orchestra(*)
ジョナサン・ドミンゴ(フィリピン):Particles in Motion
ジュンヒー・リム(韓国):Concerto for Daegeum and Orchestra <Honbul(Spiritual Fire)VII-Encounter>(**)
アンドリアン・ペルトゥ(オーストラリア):Entropia for Symphony Orchestra, no.441b
菅野由弘(日本):ピアノ協奏曲第1番「海嶺」(*)

♪音の始源(はじまり)を求めて ジャン=クロード・エロア『楽の道・マテリアル』電子音楽マラソン 2025
<曲目>
ジャン゠クロード・エロア:『楽の道・マテリアル』
<主催>
大阪芸術大学音楽工学OB有志の会

(2025/3/15)

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